名古屋大学(名大)、神戸大学、科学技術振興機構、日本医療研究開発機構の4者は3月20日、2光子顕微鏡を用いた生体カルシウムイメージング法およびホログラフィック光刺激により、痛み強度や部位の認知に重要な役割を担う大脳皮質の「第一次体性感覚野」において、痛みが形成される際に各神経細胞間の機能的結合が強化されることを解明したと発表した。
同成果は、名大大学院 医学研究科 分子細胞学分野の和氣弘明教授(神戸大 先端融合研究環兼務)、同・加藤大輔助教、神戸大大学院 医学研究科 麻酔科学分野の岡田卓也特定助教、同・溝渕知司教授、神大 先端融合研究環の的場修教授、神戸大大学院 システム情報学研究科の滝口哲也教授、オーストラリア・ニューサウスウェールズ大学のAndrew J Moorhouse博士らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、国際学術誌「Science Advances」に掲載された。
痛みは末梢組織の侵害による炎症や末梢神経の損傷によって生じ、誰にでも経験のある不快な感覚だが、生きていくうえで必要な感覚である。ただし意外なことに、その詳細なメカニズムの完全解明には至っていない。
これまで、脊髄における神経細胞活動やグリア細胞に着目した痛みの研究が進められてきたが、近年の画像技術の発達に伴って増加傾向にあるのが、脳における痛みの研究だ。
これまでの研究により、大脳皮質の第一次体性感覚野(S1)が、痛みの識別に関与する重要な領域であることがわかっている。従来機能的核磁気共鳴法(fMRI)や2光子顕微鏡を用いた研究でS1についてわかってきたのが、痛みの急性期にS1の神経細胞集団の活動が亢進することが示される点だ。その一方で、痛みの発生・維持におけるS1の詳細な神経回路基盤は明らかにはなっていなかった。
脳は非常に複雑精緻な器官であり、なおかつ生きて活動しているところを観察することが重要だ。かつてはそれを叶える手段がなかったが、少しずつ新たな観察技術が開発されてきた。そのうちの1つである2光子顕微鏡による生体カルシウムイメージング法は、生きたまま脳の神経細胞の活動を調べることが可能である。
2光子顕微鏡は赤外線レーザーを使用するために組織等価性が高く、脳の深部まで観察が可能だ。そして生体カルシウムイメージング法は、2光子顕微鏡を用いて、神経細胞内のカルシウムイオン濃度を光の強度として計測することで、神経細胞の活動を観察する方法だ。今回、この2光子顕微鏡による生体カルシウムイメージング法を用いて、炎症性疼痛モデルマウスの脳の観察が行われた。
その結果、痛みの急性期においては、S1にある神経細胞の自発的活動が上昇し、各細胞間の活動相関性が上昇していることが確認された。また痛みの緩和に伴ってそれらが元の状態まで低下すること、さらに各神経細胞間の活動相関性が高いほど痛みを感じるしきい値が低いことが発見された。
痛みのしきい値とは、痛みを感じるか感じないかの境界にある壁のようなもので、しきい値を越えると痛みが感じられるようになる。しきい値が低いということは、この痛みの境界にある壁の高さが低いということだ。つまり、容易に乗り越えられること=痛みが起こりやすい状態になるということである。
これらの結果を検証するため、続いて2光子顕微鏡による生体カルシウムイメージング法に、ホログラフィック光刺激を組み合わせた実験系が用意された。ホログラフィック光刺激とは、物体からの光波の情報を記録し、計算機で3次元情報を再生できるホログラフィ技術を用いて、特定の細胞だけを選択して光刺激することが可能となる技術のことだ。
そして、モデルマウスのS1にある1つの神経細胞を刺激した際の周囲の神経細胞の応答が、痛みの急性期に上昇し、痛みの緩和に伴って応答が低下することが発見された。
これらの発見により、痛みの急性期においてS1の各神経細胞の機能的結合が強化された結果、各神経細胞の活動相関性が上昇し、痛みの緩和に伴ってそれらが低下したことが示唆された。
このS1の自発的な神経細胞の活動上昇と痛みを感じるしきい値の関連を検証するため、「ヒトムスカリン受容体」を改変させた「変異型ヒトムスカリン受容体(hM3Gq)」をマウスのS1に発現させる実験が行われた。hM3Gqが発現したS1は、「クロザピン-N-オキシド(CNO)」によって人為的に神経細胞活動の興奮と抑制を制御することが可能となる(こうした方法は、化学遺伝学的手法と呼ばれる)。そしてCNOが投与された前後での神経活動や痛みを感じるしきい値の比較が行われた。
その結果、S1の神経活動を人為的に活性化させたマウスでは、各神経細胞活動の活動相関性が上昇し、さらに痛みを感じる最小の刺激レベルが低下することが判明したのである。
次に、これらの結果に関与する分子メカニズムの探索が行われた。フローサイトメトリー法が用いられ、モデルマウスの痛みの急性期におけるS1神経細胞の各イオンチャネルの発現を、痛みのない野生型マウスとの比較が実施された。なおフローサイトメトリー法とは、微細な粒子を流体中に分散させ、その流体を細く流して、個々の粒子を光学的に分析する測定手法のことである。
実験の結果、「N型カルシウムイオンチャネル」の発現量が、モデルマウスにおいて増加していることが判明。さらに、その阻害薬を脳室内投与やS1の脳表に塗布することで、痛みを感じるしきい値が緩和される(高くなる)ことも明らかとなった。
国際共同研究チームは今後、ホログラフィック光刺激を応用し、痛みに大きく関与するS1の神経細胞の同定や特徴抽出を行う予定だ。さらに、同定された痛みに関与する多細胞をホログラフィック光刺激することで、神経細胞活動と痛みを感じるしきい値との因果関係の検証も行う予定としている。神経細胞間の機能的結合の増加を防ぐことが、痛みが慢性化した慢性疼痛患者に対する治療法の選択肢となる可能性があることから、その方法の探求を計画しているとした。