マッスルスーツEveryの戦略的な市場投下

東京理科大学発ベンチャー企業のイノフィス(東京都千代田区)は、2019年11月1日に発売した身体に負担のかかる作業をする際の動作をアシストし、作業負担を軽減させることができる「マッスルスーツEvery(エブリイ)」の発売を機に、「作業用支援ロボット」事業を本格化させ、独創的な製品を武器として成長するベンチャー企業のお手本のような進化を遂げている。

2020年9月28日には、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)と科学技術振興機構(JST)が優れた成果を上げている大学発ベンチャー企業を表彰する「大学発ベンチャー表彰2020 〜Award for Academic Startups〜」において、「経済産業大臣賞」を受賞し、その名前が世間にさらに広く知れわたった(注)

事業を本格化させる契機となった「マッスルスーツEvery」の販売価格は14万9600円(消費税込み)と、戦略的にかなり入手しやすい価格に設定されている。販売促進での謳い文句は「月々3500円・分割金利0パーセントで購入可能」である。同社は中小企業などのユーザーが購入しやすい価格設定を実現し、注目を集めている。

  • マッスルスーツEvery

    マッスルスーツEvery (出所:イノフィス)

マッスルスーツEveryの販売開始より1年以上早い時点で、当時の同社の代表取締役社長・CEOを務めていた古川尚史氏は「市販の電動自転車並みの20万円を下回る普及型作業用支援ロボットの投入が当社の事業を本格化させる」と、その後の展開を匂わせていた(現在、古川氏は同社の代表取締役会長)。逆にいえば、1年以上かけて、価格20万円以下の“本命製品”の設計・生産を準備していたことになる。

微妙な言い方だが、東京大学や京都大学などの政府から手厚い“保護施策”を受けている国立大学ではない、私立大学発のベンチャー企業が市場動向をしっかりと見極め、製品戦略を立て、正しい資本政策をとって製造業市場で成長している点では、MOT(技術経営)論の教科書に載るような成長を歩み始めていると言える。出発点は大学発ベンチャー企業であるものの、その後は“プロ”の経営陣を招いて、製品開発と事業化を進める米国流ベンチャー企業の成長戦略を描いているという点でも注目を集めている。

これは同社のWebサイトの企業情報の中の「VISION」に、「イノフィスは技術先行ではなく、問題解決を目的とし、問題を抱えたユーザーの困りごと解消を果たす開発を行う大学発ベンチャーです」と宣言している点にも表われている。

本社を移転し、決意を具現化

イノフィスは、マッスルスーツEveryの発売を機に企業体制と事業構造をそれぞれ変えている。まずは、2020年11月に本社を東京都新宿区神楽坂の東京理科大学森戸記念館という大学施設から、千代田区神田紺屋町のオフィスビルに移転したことだ。

新本社はJR神田駅からも徒歩5~6分と近く、購入希望の潜在ユーザーや製造関係の支援企業などの来訪者が訪れやすい場所にある。販売戦略を進めやすい場所に移転しただけの話だが、有力な国立大学のキャンパス内にはインキュベーション施設があることが多いため、大学発ベンチャー企業の多くが大学内に入居し続けるケースがよく見られていることもあり、実は珍しい決断である。

次の変化は、経営陣の強化だった。2020年開催の定時株主総会と臨時取締役会の決議を経て古川氏が代表取締役会長に、そして代表取締役社長・CEOには折原大吾氏が就任した。折原氏は、2019年5月にイノフィスに入社し、CFO(最高財務責任者)として事業態勢の強化などに辣腕(らつわん)をふるってきた。ベンチャー企業としてシリーズB、同Cなどの投資案件への参加企業などの合意をまとめ上げ、イノフィスの財務基盤を強固にした実務担当者として実力を見せた。

  • 折原社長

    マッスルスーツEveryを持つ折原大吾代表取締役社長

また、この定時株主総会と臨時取締役会では、新任の取締役を2人選出し、今後の布石も打っている。これは簡単なようで、なかなかできない未来への布石である。

経営はプロの経営者に任せるのが伝統に

同社は創業以来、取締役・CTO(最高技術責任者)を務めている東京理科大工学部の小林宏教授が研究開発したMcKibben型人工筋肉を利用する「作業用支援ロボット」を製品化・事業化するベンチャー企業として、2013年12月に創業した。

McKibben型人工筋肉は、圧縮空気を入れたゴム系チューブの外側にポリアミド(通称ナイロン)線でできたメッシュを被せたものの変形による反発力を利用するという独創的な補助機構が評価され、経済産業省系の投資会社である産業革新機構(現INCJ)」を筆頭とする投資会社グループが、6億5000万円までを上限とする投資を2015年8月に実行した。イノフィスは、この事業化資金を得て、マッスルスーツの製品化・事業化に取り組み始めた。

同時期にイノフィスの2代目の代表取締役社長に就任した藤本隆氏はマッスルスーツの量産設計・事業化をさらに進めるためには、「プロの経営者を招くことが不可欠」と考えた。そして2017年12月に同社3代目の代表取締役社長に古川氏を招いた。古川氏は日本銀行、ボストンコンサルティンググループを経て、事業再生を手掛ける経営共創基盤(IGPI)で経営者として腕を振るう、“事業再生請負人”として名が知られていた存在の人物だった。

古川氏は、2年7か月代表取締役社長を務めた後に、同じくIGPIで勤務経験のある折原氏にバトンを渡した。同氏は、ミシガン大学ビジネススクールを修了し、MBAを獲得。直近では、IGPIにおいて、プリンシパル投資案件、JV設立やM&A(合併と買収)、製造業の事業戦略立案、ハンズオン経営支援などに携わっていた。

企業の成長に応じて経営陣を最適化している点をみても、イノフィスにはさらなる進化が期待できるだろう。

筆者注:2020年にイノフィスが「大学発ベンチャー表彰2020 〜Award for Academic Startups〜」において、「経済産業大臣賞」を受賞した際、同時に表彰された 大学発ベンチャー企業は、大阪大学発ベンチャー企業1社と東京大学発 ベンチャー企業3社、産業技術総合研究所発 ベンチャー企業1社である。私立大学発のイノフィス以外は、研究開発支援や起業支援を受けている国立大学系ベンチャー企業だった点でも、イノフィスの独創的な事業戦略とその結果としての事業成長が見て取れる。2014年度から始まった「大学発ベンチャー表彰」では、その表彰対象の多くが 国立大学系ベンチャー企業になっていると言えるであろう。