あの小さな日本海は、世界でも珍しい「孤高の海」だ。対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡、間宮海峡という狭いすき間で、大きな太平洋、東シナ海、オホーツク海とつながっているが、海峡の水深はせいぜい百数十メートルほど。最深部の水深は、富士山の高さとほぼ同じ約3800メートルなので、つまり、ほとんど出入り口のない器に塩水がたまったような海なのだ。

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    図 日本海周辺の海流。NPDWは北太平洋の深層の水、LCDWは南極周辺から流れてきた水。450万年前になると、太平洋から流れ込むこれらの水は少なくなり、日本海の中だけで反時計回りに循環する海流ができたと考えらえる。U1425は、分析に使った試料を海底で採取した場所。(小坂さんら研究グループ提供)

それなら湖のようなものかといえば、そうではない。まず、海流がある。黒潮から分かれた南からの海流が、対馬海流となって対馬海峡から流れ込んできている。大陸沿いに北から南に流れるリマン海流もある。外洋との海水の行き来がほとんどないので、水深300メートルより深いところには「日本海固有水」と名付けられた海水がたまっている。こういうたまり水は、生物の死がいなどが分解されるときに酸素を消費して酸欠状態になり、死の海になるところだが、日本海はそうはならず、豊かな海の恵みをもたらしてくれている。冬の季節風で海面が冷やされ、酸素をいっぱい含んだ海面近くの水が深く沈んで酸欠を防ぐからだ。絶妙のしくみだ。

日本海は、他の海から隔絶され、ほぼ独立したひとつの海だ。ジブラルタル海峡を通して、かなり深い海水まで大西洋と行き来している地中海とは、その点で違う。そして、大きな海のように海流もある。外洋の力を借りずとも、自分で「海」の姿を保っている。小さくても、太平洋などとよく似た一人前の海なのだ。だから、「小さな大海」「ミニ大洋」「ミニオーシャン」などともよばれている。

では、日本海がこのような孤高の海へと歩み始めたのは、いつごろなのか。この一帯の火山活動をもとに500万~400万年前といわれたり、放散虫という生き物の化石から350万~250万年前といわれたり、諸説あった。海底に埋もれた魚の骨や歯を使ってこの問いに答えを出したのが、富山大学博士課程3年の小坂由紀子(こざか ゆきこ)さん、堀川恵司(ほりかわ けいじ)准教授らのグループだ。いまから450万年前、わずか14万年の短期間のうちに、太平洋との海水の出入りが一気に減って孤立の度を深め、いかにも日本海らしい海の原型ができたのだという。

小坂さんらは、日本海のほぼ中央部の海底に埋まった魚の骨や歯を分析した。動物の骨や歯には、海水に含まれるネオジムという金属を取り込みながら海底に埋もれていく性質がある。深く埋まった骨を分析すれば、当時の海水に溶けていたネオジムがわかる。ネオジムにはいくつかの種類があり、種類ごとの割合は、「北太平洋の深層の海水」「南極の周囲から北上してきた海水」のように海水ごとに決まっている。したがって、海底に埋もれた骨を調べれば、その当時の日本海の海水がどこからやってきていたかがわかる。

海底から下に400メートル、過去1000万年分の試料を小坂さんらが分析したところ、いまから450万年前、14万年のあいだにネオジムの種類が大きく変化していた。太平洋からの海水の流入がきわめて少なくなり、大陸からアムール川が注いでいる北方の海水が、試料を採取した日本海中央部まで流れてきたと考えられる。この時点で太平洋とのつながりが大幅に減って、日本海の中だけで海水が循環する現在の姿の原型ができたらしい。

堀川さんによると、この当時は、太平洋の海底である「太平洋プレート」が東から西に動く活動が活発で、現在の東北地方にあたる場所でも、海底が隆起してさかんに陸地が作られていた。太平洋と一体だった日本海の海水はこのとき、太平洋との行き来を断たれ、まだ出入り口が開いているオホーツク海から海水を受け入れることになった。

最近は、日本海の深層で酸素が減ってきている。地球温暖化の影響で冬季に海面が冷えにくくなり、酸素を多く含む海水がじゅうぶん深くに下りてこなくなったことが原因といわれている。日本海は「ミニオーシャン」だから、環境の変化に敏感だ。日本海で起きたことは、やがて太平洋でも起きる可能性がある。450万年前にせっかくミニオーシャンへと歩み始めてくれた日本海に、もうすこし関心を向けてよいのかもしれない。

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