人が集う場で「偶然の出会い」は"デザイン"できるのか?
ここからは、トークセッション「人が集う場のデザイン」へと移行した。まずはモデレーターの庵原氏が、同セッションの副題にも含まれる「偶然の出会い」というものはデザインできるのか?という質問を登壇者に投げかけた。最初に田中氏が「デザインしてまで"偶然"出会いたいものか?」と疑問を呈した上で、「偶然をデザインしたい人は怠けている」とし、家の中に閉じこもっていて良い出会いなどはなく、自分がもっと動く必要があるのではないかと述べた。
これに対し大西氏は、同氏が展開していた使われていない場所で自分のやりたいことを無料でするプロジェクト「パーソナル屋台」に言及し、「とはいえ、僕らが屋台を出すときは告知し、それを目的とした人がイベントとして集まるのは面白くない」と反論。たまたま通りがかった人が話しかけてくれることが面白く、通りがかる人(つまり受け手側)も偶然の出会いを面白がってくれる人がいて成立するものだと述べ、「補助線」をどこに引くかを考慮していると明かした。
横石氏は「偶然をデザインしたら偶然じゃない」としながらも、「戦略的偶発性」は考慮しているという。出会ったばかりの人と共通のテーマがあると話しやすいと前置きした上で、同氏が手がける「働き方の祭典」では誰しもが働くため共通のテーマが多く、食事やお酒などの仕掛けも取り入れるなど、トーンの強弱を含めてどうデザインすれば出会うべき人同士が出会えるのかを考えているそうだ。
小林氏は「出会いは個人と個人」であるため、それを設計したり誘発させたりするのは難しいと語る。一方で、公共スペースを持っている企業の立場として「その場所を"人が出会える場所"として使おうと考える人が増えればいい」という思いを明かした。
それを受けて田中氏は、公共スペースにすべてが揃っていると「隙間」がないため活用しづらく受動的であるしかないと断言し、行政や企業は色々な人に対する寛容性が必要だと語る。庵原氏は、国や大企業が培ってきた故の不具合が場のデザインにも起きているのではないかとしながらも、個人レベルでできるイベントと大イベントとの接合地点を考える必要があり、大企業が持つ活かされていないリソースを活かしていくことが重要だという考えを述べた。