宮崎県西臼杵郡高千穂町、ここには「高千穂峡」として有名な峡谷がある。この峡谷は、阿蘇カルデラの火山活動によって出来上がったもので、7kmにも連なる美しい柱状節理が見所の観光地となっている。
峡谷には「真名井の滝」など複数の観光スポットが存在し、高千穂峡の入口となる場所から高千穂神社まで遊歩道が整備されている。この遊歩道をちょっとしたピクニック気分で歩くのも良いのだが、この高千穂峡にはもう1つ、人気の楽しみ方が存在する。それが、貸しボートだ。
高千穂峡周辺では、運転手が高千穂峡に関するさまざまな逸話(日本神話で天孫降臨の地とされているなど)を話してくれる観光タクシーが存在するが、その運転手の話によると、かつては遊歩道の利用が非常に多かったという。
しかし近年、貸しボートの人気がうなぎ登りとなり、今では早朝に車で駆けつけ、貸しボートの受付が始まる前から長蛇の列ができることも珍しくないようだ。インターネット上の評判、「早く行かないとボートに乗れない」といった口コミが「人が人を呼ぶ」形でつながり、ボートに乗るまで5時間待ち、6時間待ちという状況を生んでいる。
高千穂町としては、観光客が押しかける状況は嬉しいに越したことはないだろう。しかし、長時間待ち続けた観光客が疲弊して帰ってしまう状況では、「あらためて訪れたい観光地」とはなりにくい。そこで高千穂町はこの10月から「Airウェイト」の試験導入を始めた。
手作業→iPadアプリで業務を効率化
Airウェイトは、待ち時間解消サービスとして、飲食店の行列解消を目的に開発されたものだ。行列ができるような店舗のお客さんが待ち時間を有効に使えるように、整理券の発券やQRコード読み込みによるメール通知など、その場にいなくても入店の順番待ちが可能になっている。
もともとは飲食店向けのサービスだったが、ロボット「Pepper」との組み合わせでアミューズメント施設の受付、大規模ショッピングモール、世界遺産の受付など、「どうしても順番待ちが出来てしまう環境で、お客さんの満足度を少しでも上げたい」というニーズがあるような場所であれば、業種を問わず導入が進んでいる。
この高千穂峡の貸しボートについても、早朝から数十名単位の行列ができ、筆者が現地に到着した12時過ぎには90組以上の待機者がいた(その後、13時30分頃にはその日の受付を終了)。実はこの貸しボート、これまではすべて手作業で待機者を管理していた。
「今までは紙で待ち人数を管理されていました。貸しボートの受付と、実際に乗り込むボート場が離れているため、受付人数とボート乗船者を消化できた"消しこみ"はトランシーバーでやり取りをされていたんです」(リクルートライフスタイル ネットビジネス本部 クライアントソリューションユニット リアルマーケティング開発1グループ Airウェイトプロデューサー 渡瀬 丈弘氏)
貸しボートは長年やってきたことから、「用意している20隻が周遊30分でだいたいどれくらい戻ってくるか、次の待機組を呼ぶまでに何分かかるか」は経験則で表にまとめられている。しかし、どれだけの待機組がいるかという総数がパッとわかりづらかったほか、待っている利用者側も「いつ頃に自分たちがボートに乗れるのか」がわかりにくく、高千穂峡入口の集落で数時間待つケースもあった。
Airウェイトはその辺りが概ね自動化されており、ボート場の係員がボートに乗った待機組の消し込みを行えば、上の受付にも待機組の変動がすぐに通知されるし、時間の目安も合わせて変わる。観光客にも、ボート場からの呼び出しが電話の自動音声で通知されるほか、Webサイトで「あと何分で乗れる」という現況がわかるメリットがある。一挙両得のソリューションといってよいだろう。
とはいえ、こうしたスマートデバイスのアプリ・サービスは「リリースして終わり」ではなく、日々改修に改修を重ねて使い勝手が改善していくもの。現場で実際に利用していた担当者に話を聞くと、「今日から使い出したばかりで、入力に慣れていない。受付時に発行される管理番号とボートの番号が一致しないのでわかりづらいこともある」というちょっとした不満を抱えていた。
ただ、前出の渡瀬氏によると「受付番号と待ち受けカウンターの番号という2種類の番号を使われているお客様がいます。ボートの番号を受付番号に見立ててみれば、ほぼ同じ悩みですし、すぐに対応できる」という。その2種類の番号のすり合わせ機能は開発中であり、直近に実装予定とのことで、高千穂峡の悩みの解決はそう遠くなさそうだ。
もちろん、彼らがこぼした不満はそれくらいで「手計算で待ち時間を計算していた手間がアプリで解決しましたし、これまでは待っているお客さまの呼び出しにマイクを使っていたのですが、タブレットを操作するだけで勝手に通知してくれるので、それをやらなくて良くなったのは便利ですね」(担当者)と、好意的にとらえていた。
予約待ち状況が場所の離れた受付と乗り場、そして観光協会など、拠点が分散している環境でも、電話などの手段を使わずに共有できるようになったことが1つのメリットだという。また、「大人◯名」といった簡単な属性情報も取りやすくなっている |
待ち時間解消だけが導入目的ではない
観光地の課題は、行列だけではない。「その他すべての課題もAirウェイトさえあれば全部解決」とまでは言わない、言えないが、単なる待ち時間解消サービスに見えて「多言語対応」や「現地の回遊」にも役立つ。
多言語対応は、Airウェイトがすでに英語に対応したUIを組み込んでおり、外国人観光客が来た場合に英語メニューを表示するだけであとはお客さんにタブレットを操作してもらうことができる。"その程度"と思われるかもしれないが、これまでタブレットが用意されていなかった現場からすれば、マルチランゲージを操れる人員が現場にいなくても、ほかの翻訳アプリなどと合わせれたば対応がかなり楽になる。すでに中国語や韓国語などの対応も検討中のため、いわゆる「2020年に向けて」の課題解決の一助になることだろう。
一方の「現地の回遊」では、これまでの待ち時間の間に遠方へ流出していたお客さんをつなぎ止める効果がある施策を打てる。原始的と言えば原始的だが、待機組の整理券を発券する際、同時にクーポンも発行してお客さんを現地に留めるという仕組みだ。
高千穂峡はその場所柄、近隣の都市まで最低でも1時間以上の移動時間がかかる。一方で人気のボートに乗るためには待ち時間が4時間、5時間とかかるため、「熊本まで戻って市内観光、その後高千穂峡に戻る」といった移動もそれほど珍しくないようだ。せっかくの観光スポットがあっても、地元に還元されなければ自治体として気分は良くない。
今回、テストで発券されたクーポンでは「高千穂峡ソフト」というソフトクリームが350円から100円引きの250円で売られていた。「クーポン」は一般的に反応がなかなか出にくいものだが、「山の中だから朝は寒くて売れ行きが鈍いんだけど、今日は朝からクーポンを使うお客さんがいて結構調子が良いと思う。数十個売れている」(販売員)となかなか好調だったようだ。また、近くにある別のソフトクリーム販売店には「クーポンを使いたい」と、取り扱っていないにもかかわらずクーポン利用者が押しかけていたようで、その店舗の担当者が「うちもクーポン利用対象店になりたい」と観光協会に問い合わせてきたそうだ。
もちろん、ソフトクリームのクーポンだけで地元の回遊につながるとは誰も思っていないだろう。しかし、クーポンの対象が増えれば、一緒に売っているお土産のお菓子や雑貨を買うという購買の連鎖をもたらす可能性は十分にあるし、それだけ地元にいる時間が増えれば、よそに行ってしまうよりも地元の飲食店や「高千穂の夜神楽」と呼ばれる地元の民俗芸能などに興味を持ってもらえる可能性がある。
待ち時間解消を目的としたアプリ・サービスがこれだけの観光活性の可能性を秘めているというのは意外だが、世の中にはまだまだ知られていない、こうしたアプリが眠っているかもしれない。