「パブロフの犬」の条件反射は20世紀初めからよく知られている。この条件反射が報酬によって起きる脳内の仕組みを、東京大学医学系研究科の河西春郎(かさい はるお)教授と柳下祥(やぎした しょう)特任助教らが約100年の時を経てマウスで詳しく解明した。脳神経細胞で起きるドーパミン系の報酬作用はわずか2秒以内で起きることを突き止めた。さまざまな依存症や強迫性障害などへの理解を深める新しい手がかりといえる。9月26日号の米科学誌サイエンスに発表した。
犬にベルを鳴らしてえさを与えると、ベルを鳴らしただけで、犬がだ液を分泌するようになる。ロシアのパブロフ(1849~1936年)が実験で発見した生理現象で、「パブロフの犬」と呼ばれる。こうした条件反射は、ヒトの行動選択の基本として広く研究され、利用されてきた。この「条件付け」は、神経伝達物質のドーパミンがヒトや動物の報酬学習に関与して起きるが、ドーパミンがどのような仕組みで報酬信号として働くかは不明で、最後の詰めの段階で謎が残っていた。
学習が成立する際には一般に、グルタミン酸を興奮性伝達物質とする神経細胞のシナプスの結合強度が変わる。これをシナプス可塑性と呼ぶ。研究グループは最新の2光子顕微鏡と光遺伝学を駆使して、マウスの脳にある快楽中枢の側坐核で、グルタミン酸とドーパミンをそれぞれ独立に放出させ、シナプス可塑性に対するドーパミンの作用を調べた。
マウスの脳の実験では、シナプスがグルタミン酸で活性化され、その直後の0.3~2秒の短い時間枠でドーパミンが作用した時のみ、興奮性シナプスの頭部の増大が起き、シナプス結合が50分後まで強化され続けることを確かめた。グルタミン酸刺激の直前や5秒後に、ドーパミンで刺激しても、シナプス頭部の増大は起きなかった。
動物の報酬学習には報酬を与えるタイミングが鍵を握る。ドーパミンが作用する短い時間枠は、実験で条件付けが成立するために、行動の直後に報酬を与えなければならない時間枠とほぼ一致した。この研究で、条件反射の神経基盤の仕組みが時系列とともに初めてわかった。研究グループは「側坐核は、ヒトの依存症や強迫性障害とも密接に関係する部位で、これらの精神疾患の理解や治療に新しい展望をもたらす」と期待している。
河西春郎教授は「古典的な生理実験の『パブロフの犬』の解明が分子レベルで進んだ意義は大きい。覚醒剤やアルコールは快感物質として強い報酬学習を引き起こしてしまうので、なかなかやめることができない依存症になる。これまでの治療では快感の記憶を消せないため、再発しやすいことが問題となっている。今回の研究を発展させれば、快感記憶を消失する仕組みもわかり、依存症に対する新しい治療戦略が立てられるかもしれない」と話している。