素粒子ミュオンの反粒子の正ミュオンを中心にして、その周りを電子が回っている束縛状態をミュオニウムと呼ぶ。水素原子の陽子が正ミュオンに置き換わった構造で、その生成が素粒子物理学の謎を探る実験に重要と考えられている。そのミュオニウムを室温で従来の方法より10倍も大量に生成することに、理化学研究所の石田勝彦(いしだ かつひこ)副主任研究員と高エネルギー加速器研究機構の三部勉(みべ つとむ)准教授らが成功した。
このミュオニウムから作られる超低速ミュオンビームの精密測定は現在の素粒子の標準理論を超える新しい物理現象の発見に道を開く可能性があり、重要な成果といえる。TRIUMFカナダ国立素粒子原子核研究所など7機関との共同研究で、9月12日付の国際物理学誌Progress of Theoretical and Experimental Physicsに発表した。
ミュオニウムは反粒子の正ミュオンと電子が電磁力で結びついた複合粒子で、陽子と電子が電磁力で結びついた水素原子に似ている。室温で生成されたミュオニウムはほとんど静止状態で作られる。そのミュオニウムから電子をはぎ取って得られる超低速ミュオンを速やかに加速すれば、いつまでも広がらない極めて指向性が良いミュオンビームができる。このビームで、ミュオンの異常磁気能率(g-2)などを超精密に測定することができる。
このg-2は2004年に発表された米国の実験結果で、素粒子の標準理論から大きくずれていることが報告され、「新しい物理法則の兆候」と解釈する論文も多く発表されており、全く違う方法による超精密実験の実現が待たれていた。極めて指向性が良いミュオンビームは新しい測定方法として有望視されている。しかし、そのビームは、ミュオニウムから電子をはぎ取る煩雑なステップを経ないと得られないため、精度の高い実験をするのに十分な量が簡単に得られない点が障害になっていた。
研究グループはTRIUMFカナダ国立素粒子原子核研究所でミュオンビームをシリカエアロゲルの標的に打ち込み、生成されるミュオニウムを測定した。この実験で、ミュオニウムがシリカエアロゲル内で拡散する距離と同じ大きさの穴を開ければ、ミュオニウムが壊れる前にその穴から真空中に出る確率が上がることに気づいた。
理化学研究所の大石裕(おおいし ゆう)協力研究員の提案したレーザー加工法が規則的な深い穴を開けるのに適していることを見いだした。この技術を使い、断熱材などに広く使われるシリカエアロゲルに0.3ミリ間隔で 穴を開け、室温の熱エネルギーを持つミュオニウムの収量を、既存の技術で生成できる量の10倍に増やした。
今回の成果で、大量のミュオニウムが生成可能になり、ミュオニウムから作られる超低速ミュオンの強度が、大強度陽子加速器施設J-PARC(茨城県東海村)で数年後を目指して計画中のミュオンg-2などの超精密測定に必要なレベルに近づいた。ミュオニウムは寿命が2.2マイクロ秒だが、それから加速したミュオンの特性の測定は十分にできる。g-2などの精密な測定は「標準理論のほころび」の検証につながると期待されている。
三部勉准教授は「ミュオンの異常磁気能率などは、素粒子物理学を進めるための重要なテーマになっている。今回の成果で、われわれがJ-PARCで計画中のミュオン超精密測定の独創的な実験に見通しが得られた。素粒子の標準理論を超える手がかりを探る実験に向けて、突破口になる」と話している。