最近、記憶力が怪しくなっていませんか? 何度聞いても覚えられない。二階まであがってから「何しにきたっけ?」と立ちすくむ…もしかして認知症? 私の脳はどうなっているの? これから記憶力をアップし、物忘れを防ぐことは可能?

今、記憶をめぐる脳科学はめまぐるしく進歩しています。脳研究の第一人者、自然科学研究機構生理学研究所、柿木隆介教授に記憶と脳について、基本から最前線までざっくり伺い、10の疑問点としてまとめました。今回は前半の5つを紹介したいと思います。

1. 記憶力の良い人と悪い人の違いはどこにある?

自然科学研究機構生理学研究所の柿木隆介教授

まず本題に入る前に簡単な基礎知識を。記憶と一口に言うけれど、柿木教授によると、実は色々種類があるそうです。「一般的には大きく『短期記憶』と『長期記憶』に分かれます。短期記憶は数時間から数日単位で消えていく一時的な記憶です。『今朝、朝ご飯に何を食べたか?』を覚えているような種類の記憶です」。

短期記憶を処理するのは脳の中にある海馬で、フィルターの役割をしています。記憶が次々入ってくるとフィルターが詰まってしまう。そこで短期記憶の中から捨てるべき記憶か、長期記憶として残しておくべきかを海馬が振り分けます。長期記憶にふりわけられると、前頭葉や側頭葉という倉庫にある『引き出し』にしまわれ、長く記憶されていくというメカニズムになっています」

柿木教授は「記憶力の良い人はいくつかの特徴がある」と続けます。「まず記憶の仕方。どうやったら覚えやすいかを会得している。たとえば年号や英単語などを、短期記憶から捨てられることなく、長期記憶の引き出しに入れるやり方をつかんでいるのです」

記憶の要となる脳の部位「海馬」。ここで五感を通して得られた情報は短期記憶として処理され、その内容により、長期記憶として残すべきかの振り分けが行われる (出典:日本科学未来館Webサイト)

2. どうやったら記憶力をアップできるのか?

では記憶力の良い人は、どうやって短期記憶を長期記憶の引き出しに入れているのでしょうか?

「それには膨大な短期記憶から、海馬がどんなポイントで『これは覚えておくべき』と長期記憶の引き出しに入れるものを選ぶかを知っていたほうが良いですね。そのポイントは大きく分けて3つあります。『印象が強烈なもの』、『重要であると認識したもの』、そして『反復性』です。長期記憶は別名『エピソード記憶』とも呼ばれています。つまり思い出と結びついた記憶です。たとえば家族と行った旅行などの思い出は印象が強く、忘れませんよね。ところが年号や英単語などの知識は、脳にとって印象的でもなければ、生存に関わるほど重要でもありません。それならば『くり返す』しかないんです。嫌がる海馬をたたいて無理矢理、長期記憶にするわけです」(柿木教授)

なるほど。やはり何度も英単語を書いて覚えるのは効果があるようです。さらに、記憶力の良い人は反復だけでなく、ちょっと違う覚え方をするそうです。

「記憶力の良い人は、たとえば数字20個を覚える場合、数字の1は『あ』、2は『い』と文字に置き換えるなど、自分なりにどうやったら覚えやすいかを会得しています。また、文字に変換させることで、思い出すときに大量の記憶の引き出しの中から、目当ての記憶を引き出すためのフラグ(名札)にもなりますね」

そういえば、歴史の年号を覚えるとき「1192(イイクニ)つくろう鎌倉幕府」と語呂を考えたりしますよね。あの方式だと記憶しやすいだけなく、覚えたことを引きだしやすいというわけです。しかし、「なんでも結びつければ良いかといえば違います」と柿木教授。

「確かに記憶術の本でも何かと結びつけるほうが良いと書いてあります。だけど結びつける時間があったら、何度も書いて覚えたほうがいい。無限大に結びつける材料はないですから(笑)。やはり、王道は何度も繰り返すことです。それが誰でも短期記憶を長期記憶にする方法です。むしろ嫌がらずに反復練習ができる人が記憶力の良い人ですね」

3. 記憶の引き出しから、効率的に記憶を引き出すには?

柿木教授の説明の中に、「記憶の引き出しから目当ての引き出しを探す」という気になるフレーズがありました。確かにいくら必死に知識を引き出しに詰め込んでも、必要なときに出てこなければ意味がありません。覚えたはずなのに、なかなか固有名詞が出てこないことってありますよね? どうしたら良いのでしょう?

「記憶の引き出しが多くなると、思い出すための『フラグ=名札』が必要になりますが、その名札の付け方は人それぞれです。たとえば嗅覚が強い人は香りを使うこともあります。昔、文字がない頃の中国では口述で覚えるときに強力なお香を炊いたそうです。記憶と香りが結びついて、その香りがすると記憶が蘇るというのです。香りについては『プルースト現象』も有名です。作家マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』に、マドレーヌを紅茶に浸したときの香りがきっかけとなり、街の風景の記憶が鮮やかに蘇るという内容が書かれています」。

ただし、この記憶の引き出し、開けたいものばかりではなさそうです。

「たとえば思い出したくない記憶には、無意識に鍵をかけて、出てこないようにすることもあります。一方、トラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、嫌な記憶の引き出しに鍵をかけたいのにかけられない状態です。たとえばナイフで刺されて重傷を負った方の場合には、先端がとがっているものを見ただけで、バネ仕掛けのように引き出しが飛び出してきて、その時の怖かった記憶が蘇ってしまうのです」

4. 買い物に行って、買うべきものを忘れるのはなぜ? - ワーキングメモリの不思議

記憶と言えば、英単語のような暗記ものばかりではありません。たとえば日常生活で、スーパーに行ったのにお買い得品に気をとられて、目当ての物を買い忘れて帰ったり、2階にあるものを取りに行ったのに、階段を上ってから「何しに来たっけ?」と忘れたりすることもしばしば。これも短期記憶と長期記憶で説明できるのでしょうか?

「記憶には短期記憶と長期記憶があるとお話ししましたが、記憶のひき出しに入らない、短期中の短期の記憶があります。行動しながら記憶する『ワーキングメモリ』です。たとえば、会話では相手に聞かれたことを少しの間覚えていて話を進めます。ところが一度にいくつも質問されると、1つ答える間に他の質問を忘れてしまうことがありますね。

英単語を勉強するときは記憶することに集中しますが、日常生活では行動しながら、少しの時間だけ覚えておくべきことがけっこうあります。買い物リストや初めて目にする電話番号もそうです。面白いことに、ワーキングメモリで一度に覚えられる事項はだいたい5~7と決まっていて個人差がないのが特徴です」

忘れないようにするには、たとえばやるべきことをイメージで捉える方法が有効だとも言われますが、柿木教授によれば「ワーキングメモリの数を広げるのが良いかというと、必ずしもそうではない」とのこと。「いくつもの作業を同時平行で行うよりも、3~4つぐらいに絞って集中するほうが、実は効率が良いのです」。

5. お酒を飲みすぎて記憶がないのに、家に帰れるのはなぜ?

記憶についてあれこれお話を伺っていると、「脳と記憶についてわかりやすい例がありますよ」と柿木教授。「よくテレビドラマで主人公が深酒をした翌朝、隣に知らない人が寝ていて『なんで?全然覚えていない!』と慌てるシーンがありますよね?」

はい。ありますが…その時の脳に何が?

「お酒に強い人の場合ですが、飲んでいるときはまともな会話をしているんです。アルコールに弱いのは脳の中の海馬と小脳です。海馬が働かなくなると、短期記憶を長期記憶にできません。短期記憶だけ働くからその場の会話はできるけど、話した内容もその後も行動も、記憶に残らないんです。また、お酒が進むにつれてだんだんろれつが回らなくなりますよね。あれは小脳がやられるから。話すときは唇や舌の動きなど小脳がバランスをとっていますからね。ではなぜ酔っぱらっても切符を買ったり、電車に乗ったりして家に帰ることができるかと言えば、身体に染みこんだ記憶があるからです。これを『手続き記憶』といって、自転車に乗るのと同じで身体で覚えた記憶なので、一度覚えると忘れないんです」

柿木教授によれば、大酒飲みの人の脳をMRIで調べると、脳がかなり委縮している場合が多いそうです。ただし、アルツハイマー病の脳萎縮とは所見がかなり異なり、認知症状を呈する訳ではないとのこと。でも、お酒の飲みすぎは気を付けたほうがよさそうですね。

後編となる次回は、気になる「物忘れと認知症の見分け方」や「脳を活性化すれば認知症は防げるか?」などについて紹介します!

ちなみに、今回、記憶に関する脳科学の解説者として登場していただいた柿木教授も参加される脳と記憶の研究の最前線に関するシンポジウムが9月23日(火・祝日)に東京・一橋にて開かれます。今回の話を読んで、記憶に興味を持った方は、ぜひ参加してみてください。きっと、これまで知らなかった、新しい脳の世界を見ることができるはずです。

(後編はコチラ)

「第17回 自然科学研究機構シンポジウム」

テーマ:「記憶の脳科学 -私達はどのようにして覚え忘れていくのか-」
日 時:2014年9月23日 9:50~17:40
会 場:学術総合センター(一橋講堂)
東京都千代田区一ツ橋2-1-2 学術総合センター2階
参加費:無料
申込方法:専用の申込みフォームにアクセスし、必要事項を記入

柿木隆介 教授のプロフィール

自然科学研究機構生理学研究所 教授・医学博士。
1978年 九州大学医学部卒業
1981年 佐賀医科大内科(神経内科)助手
1983-1985年 ロンドン大学医学部研究員
1993年 岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授などを経て2004年より現職。

日本内科学会認定医、日本神経学会専門医
専門は神経科学、特に人間を対象とした研究
日本生体磁気学会会長など多くの学会の理事も務める

NHKやフジテレビ、TBSといったテレビでの脳科学特集などに多数出演しているほか、CBCラジオ(中部日本ラジオ)を中心としたラジオ番組にも多数出演している