理化学研究所(理研)は8月28日、マウスを対象に、記憶を司る海馬の神経細胞群を光で操作して「嫌な出来事の記憶」を「楽しい出来事の記憶」に書き換えることに成功し、その脳内での神経メカニズムを解明したと発表した。
同成果は同研究所脳科学総合研究センターRIKEN-MIT神経回路遺伝学研究センター利根川研究室の利根川進 センター長、ロジャー・レドンド 研究員、ジョシュア・キム 大学院生らによるもので、8月27日付け(現地時間)米・科学雑誌「Nature」オンライン版に掲載された。
例えば、それまで「嫌な出来事の記憶」と結びついていた場所で、楽しい出来事を体験すると、「嫌な出来事の記憶」が薄れて「楽しい出来事の記憶」に代わる場合がある。この記憶の書き換えが脳のどの領域でどのように行われるのか、そのメカニズムはこれまで明らかになっていなかった。
記憶は、記憶痕跡(エングラム)と呼ばれる、神経細胞群とそれらのつながりに蓄えられると考えられており、同研究チームは、海馬と感情の記憶(嫌だ、楽しいなど)に関わる扁桃体という2つの脳領域とそのつながりに蓄えられた「嫌な出来事の記憶」のエングラムが「楽しい出来事の記憶」のエングラムに取って代わられるかどうかを調べたという。
実験では、ある小部屋に入ると「この小部屋は怖いところだ」と感じるオスのマウスを作成し、怖さを感じる際に活性化する海馬の神経細胞群を、「嫌な出来事の記憶」のエングラムとして光感受性タンパク質で標識し、海馬に光を照射することで怖さを感じるようにした。
しかし、このように処理したオスのマウスの海馬に光を照射しながら、メスのマウスを部屋の中に入れて1時間ほど一緒に遊ばせてやると、今度は「楽しい出来事の記憶」が作られた。
この結果ついて同研究チームは、「嫌な出来事の記憶」に使われた海馬のエングラムをそのまま使って、「楽しい出来事の記憶」に置き換えることができるということが証明され、同様の方法で「楽しい出来事の記憶」を「嫌な出来事の記憶」に置き換えることも可能だということも示されたことになるとしている。
一方、扁桃体のエングラムに同様の処理をしても、「嫌な出来事の記憶」と「楽しい出来事の記憶」を記憶それぞれ作り出すことはできても、置き換わる現象は起きず、単に後から経験する出来事の情緒的側面が、先行する経験のそれに置き換わるということではないことがわかった。
同研究成果について利根川センター長は、「この研究の最も重要な結論は、海馬から扁桃体への脳細胞のつながりの可塑性が、体験する出来事の記憶の情緒面の制御に重要な働きをしているということだ」とコメント。今回の発見はうつ病患者の心理療法に科学的根拠を与え、将来の医学的療法の開発に寄与することが期待されるとしている。