京都大学は2月26日、米・ノースウエスタン大学の協力を得て、「造血幹細胞」と造血を制御する司令塔である骨髄の「造血ニッチ細胞」の形成のカギとなる転写因子を発見したと発表した。
成果は、京大 再生医科学研究所の長澤丘司 教授、同・尾松芳樹 助教、ノースウエタン大の久米努 准教授らの国際共同研究チームによるもの。研究はJST課題達成型基礎研究の一環として行われ、詳細な内容は、現地時間3月2日付けで英科学誌「Nature」オンライン速報版に掲載された。
体の全細胞に酸素の供給を行う赤血球、細菌やウイルスなどの感染からの防御を受け持つ白血球、外傷などによる血管の損傷の修復を担う血小板など、血液細胞はいうまでもなく生体にとって重要な細胞種だ。すべての血液細胞は骨の中心部分の空間を占める骨髄で、少数の造血幹細胞から毎日産生され続けており、造血とは血液細胞の産生のことをいう。血液細胞の産生量は精緻に調節されており、健康な時は、一定数に保たれ、感染や傷害が起こると必要に応じて必要なだけ産生され供給される仕組みだ。
しかし、造血幹細胞やそこから分化した未分化な前駆細胞の一部に遺伝子の変異が蓄積すると白血病が発生し、白血球の産生が異常になると微生物の感染から防御できなかったり、過剰な炎症を引き起こして慢性疾患の病態に関与したりすることなどが考えられている。また、がんの化学療法や放射線療法の副作用で造血幹細胞が減少すると、増やすための治療が必要となるというわけだ。従って、造血幹細胞と造血を調節する仕組みを明らかにすることは非常に重要なのである。
造血幹細胞や造血の調節は、骨髄の微小環境と呼ばれる血液細胞以外の環境、特に、造血幹細胞ニッチと呼ばれる特別な限局した環境が担っており、造血を調節する仕組みの解明にはニッチを理解することがカギとなると考えられたことから、多くの研究者が取り組んで来た。しかし、骨髄の研究は技術的に困難で、ニッチの実体は長年明らかではなかったのである。
それでも、造血幹細胞ニッチの研究はこの10年間に大きく進歩し、ニッチを構成する主要な候補細胞が報告されるようになってきた。米国の研究チームにより、「骨芽細胞」と「血管内皮細胞」が報告されているが、前者は骨を造る細胞、後者は血管の壁を形成することを本務とする細胞であることから、造血の調節は副業ということになる。
それに対し、長澤教授らは「ストローマ細胞」という正体不明の付着細胞の中に含まれる、造血に必須のケモカイン(細胞間でやり取りされる多様な生理活性を持つタンパク質の1種であるサイトカインの仲間)「CXCL12」と「SCF」を高発現する突起を持った「CAR細胞」が造血幹細胞と造血前駆細胞の維持に必須のニッチとして働くこと、CAR細胞が脂肪細胞と骨芽細胞に分化することができる「脂肪・骨芽細胞前駆細胞」であることを明らかにした。しかし、CAR細胞を含むニッチ細胞の造血幹細胞・前駆細胞ニッチとしての能力が形成される仕組みはまったく不明だったのである。
長澤教授らは、ニッチ細胞がニッチとして働くために重要なCXCL12とSCFの発現が高いCAR細胞と、低い骨芽細胞との間で遺伝子発現を比較することによって、「フォークヘッド」ファミリーに属する「転写因子」で、これまで水頭症の原因遺伝子として知られていた「Foxc1」がCAR細胞で著明に高いことを見出した。なお転写因子とは、タンパク質の産生につながる遺伝子からのmRNA発現を調節するタンパク質のことである。
そこで詳細な解析が実施されたところ、Foxc1は骨髄では胎生期から成体に至るまでCAR細胞やその幼若な細胞において特異的に発現していることが判明。それを受けて、次にその生体骨髄での役割の解析が行われた。長澤教授らは久米准教授の協力を得て、発生工学技術を用いて骨髄の細胞やCAR細胞でFoxc1を欠損するマウスを作製してその骨髄の解析を実施。その結果、骨髄でCAR細胞が顕著に減少し、同時に造血幹細胞・前駆細胞の産生も顕著に低下していることを確認した。そして、しばらくして老化した骨髄のように脂肪細胞で満たされてしまったのである。これらの遺伝子欠損マウスでは、ほかの造血幹細胞ニッチの候補である骨芽細胞や「PαS細胞」は正常に存在していた。
次に、成体になった後に骨髄でFoxc1を欠損させるという手法で実験を実施。すると、CAR細胞は存在するが、CXCL12とSCFの発現量は低下し、造血幹細胞・前駆細胞の細胞数も著明に減少することが確認された。詳細な解析の結果、Foxc1は、発生の過程でCAR細胞をニッチとして働かせると共に、脂肪細胞にまで分化が進んでしまうことを抑制していること、成体ではニッチとしての機能を維持していることが明らかになった。さらに、試験管内で造血幹細胞・前駆細胞からBリンパ球を産生することができない脂肪細胞前駆細胞株にFoxc1を発現させるとBリンパ球が産生できるようになることも判明したのである。
以上により、Foxc1は発生過程のCAR細胞において、造血幹細胞・前駆細胞ニッチとしての機能の獲得と脂肪細胞への分化の抑制、成体のCAR細胞においてはニッチとしての機能の維持に必須であることが明らかになったというわけだ。この発見によって、ほ乳類で初めて幹細胞ニッチに特化した細胞系列が存在することが分子レベルで実証され、同時にその形成と維持の分子機構が明らかになったのである。
造血幹細胞・前駆細胞ニッチの形成や機能の調節においては、重要な転写因子はほかにも多く存在すると考えられており、今回の発見を端緒にFoxc1の活性化の仕組みなど、その分子機構の研究が大きく進展することが期待されるという。
一方、骨髄以外でも大部分の組織で組織幹細胞が存在し、ニッチによって維持されると考えられているが、その同定を含むニッチの研究はあまり進んでいない。今回の発見を契機に、多くの組織で幹細胞ニッチに特化した細胞系列が同定され、その形成と維持の分子機構が明らかになることが期待されるとしている。
さらに、白血病や慢性炎症など、多くの難治性疾患の原因となっているであろう造血幹細胞と造血の異常に対して、これまでは血液細胞を標的にする発想の治療法を研究することが中心だが、今回の成果は、ニッチを標的として機能を調節する新しい発想での治療法の研究を発展させることに大きく寄与すると考えられるという。
また組織幹細胞は、生体から分離して増幅したりiPS細胞から作製したりすることができると再生医療のツールとして大変有用で、今回の成果は皮膚の「線維芽細胞」やiPS細胞などから人工的に造血ニッチ細胞を作製することで、より正常に近い血液細胞を試験管内で産生して利用する再生医療が発展する契機となることが期待されるとしている。