北海道大学(北大)とむかわ町立穂別博物館は1月17日、2013年7月に発表した「約7200万年前のハドロサウルス科恐竜の可能性がある化石を発掘した」件に関する続報として、2013年9~10月に行った第1次穂別恐竜発掘調査(画像1)によりさらに多数の化石を採取し、前回のものも含めてハドロサウルス科の新種の可能性もある恐竜の全身骨格(画像2)であることを確認したと発表した。

成果は、北大 総合博物館の小林快次 准教授、むかわ町立穂別博物館の櫻井和彦学芸員、西村智弘学芸員らの共同研究チームによるもの。第1次発掘調査の詳細な成果は、1月25日に兵庫県立人と自然の博物館で開催される「日本古生物学会第163回例会」において発表される予定だ。

画像1(左):第1次発掘の様子。確認された主な骨の名称(部位名)が示されている。これら以外にも多くの骨が含まれており、今後のクリーニング作業が必要だという。画像2(右):ハドロサウルス科恐竜の骨格図(モデルは「ニッポノサウルス」)。「尾骨の中間から後ろの尾椎骨」とあるのは、最初に発見された化石の部分

今回の化石は、ハドロサウルス科恐竜の可能性があるとして、2003年にむかわ町穂別(当時・穂別町:画像3)において、同地在住の堀田良幸氏によって発見された。北海道においては4例目の恐竜化石であり、第1次発掘調査で確認されたことから、北海道で発見されたハドロサウルス科恐竜としては2例目となる。

化石は、むかわ町穂別に分布する上部白亜系函淵層の海成層(約7200万年前の外側陸棚堆積物、水深およそ80~200メートルの範囲内)から発見された。化石や砂粒を核として、岩石中の珪酸や炭酸塩などが濃集沈殿しながら固まってできたノジュール内に保存された状態で発見され、尻尾の骨がつながっており、13個の尾椎(びつい)骨が確認されたのである(画像4)。それらには横突起がなく、尻尾の中間から後ろの尾椎骨であると考えられ(画像2)、また保存された尾椎骨の長さから全長7~8メートルほどと推定された。

画像3。むかわ町穂別の位置

画像4。発見された恐竜の尾椎骨化石

なお備考として、恐竜について復習がてらに触れておくと、中生代に繁栄した陸生の爬虫類の1グループである。現在では、鳥類の起源は中生代三畳紀の竜盤目恐竜であるので、鳥類も恐竜に含めるという考え方が多くなっている。鳥類以外の恐竜は、中生代白亜紀末の約6600万年前に絶滅した。

日本国内では、これまでに60点ほどの恐竜の体化石(足跡化石を除く)が発見されている。ただし、それらの大部分は断片的な標本であり、全身の大部分、あるいは数割が発見されているものは数例にとどまる状態だ。北海道ではこれまでに中川町、小平町、夕張市で発見されているが、いずれも断片的な標本である。またむかわ町穂別を初め、北海道各地で数多く発見されているクビナガリュウ・モササウルスは中生代の爬虫類の1種であるが、恐竜とは異なるグループだ。

ハドロサウルス科の恐竜化石は、兵庫県淡路島に露出している約7200万年前の地層からも発見されているが、骨は関節していない断片的なものである。今回の骨格標本は、骨格が関節している可能性があり、世界からも注目される非常に貴重な恐竜化石標本の可能性があるとされたのである。

ちなみに今回発見された化石は、断面の形が六角形であり、前後の関節面は平らな形状だ(画像5・6)。これらの特徴から、ハドロサウルス科恐竜(鳥盤目鳥脚亜目)のものと考えられる。ハドロサウルス科恐竜とは、植物食恐竜で、白亜紀後期に繁栄した恐竜として有名だ。

また画像5の矢印部分にあるように、椎体後方の関節面の背面側に大きな突起があるのが特徴だ。これだけ顕著な突起は、ほかのハドロサウルス科恐竜には見られないため、新しい種類の恐竜である可能性が考えられるとされていた。

画像5(左):尾椎の一部。矢印部分は新種の証拠となるかも知れない突起。画像6:後方から見た尾椎の関節面

また発見後のこれまでの経緯は、発見者の堀田氏によって穂別博物館(当時・穂別町立博物館)に発見後すぐに寄贈され、2010年11月からは化石標本のクリーニング(整形)作業がスタート。2011年8月に、東京学芸大学の佐藤たまき准教授によって恐竜化石である可能性が指摘され、翌9月には小林教授によって恐竜化石と同定された。

採集地の露頭(崖)の現地調査が行われ、胴体側(体の前方)の脊椎骨1つが埋没しているのが確認されたことから、全長7~8メートルと推定される骨格の残りが露頭に向かって垂直方向に埋没している可能性があることが判明。そこで北大と穂別博物館による共同研究が開始され、前述したように2013年9~10月には第1次発掘調査が行われたという具合だ。

第1次発掘の成果として、次の3点が挙げられた。まず、ハドロサウルス科の恐竜であることが確認された。次に、当初予想されていたように全身骨格が埋まっていることも確定されたのである。そして、その全身骨格の保存状態のよさが確認されたというわけだ。

また、第1次発掘で掘り出されたのは、腰から後ろの骨格であり、右半分の骨格は骨がつながった状態で保存されていることがわかった。右側の大腿骨・脛(けい)骨・腓(ひ)骨は、研究者が「見事」と評するほどきちんと関節した状態で保存されており、その大腿骨の長さは1.2mほどであることが確認されたのである。そしてこの大腿骨の長さから、この恐竜の体重は約7トンと推定された。

第1次発掘ではこの恐竜の遊離した歯も発見されたことから、頭部も腐敗・脱落することなく胴体部分と共に海底に沈んだことが強く示唆されるという。そのため、今後の発掘によって、頭骨が発見される可能性が極めて高いと考えられるとしている。なお、今回掘り出された骨格化石は全体の3割程度で、残りの骨格はまだ埋まっているという予想だ。保存状態から、全身のほとんどの骨格が残っている可能性が高く、現段階でも日本有数の恐竜骨格化石であるといえるという。

画像7は、これまで確認された穂別産の恐竜化石の部位。赤は2013年7月に発表された堀田氏が穂別博物館に寄贈した尾椎骨、黄は第1次発掘によって確認された骨の部位。ただし、発掘した骨は数多く、部位の同定には今後のクリーニング作業が必要としている。なお、画像1と骨格が異なるのは、こちらはロシアのハドロサウルス科恐竜「オロロティタン」の骨格図を使用しているため。

画像7。これまで確認された穂別産の恐竜化石の部位

今回の恐竜化石は、白亜紀末(約7200万年前)における国内の地層から発掘された点が重要だという。この時代は、北米では恐竜界のスターであるティラノサウルスやトリケラトプスが棲んでいた時代であり、今回発掘されたものは、国内の白亜紀末の恐竜化石としては、初の全身骨格だ。また、保存状態がよく、これまでに発見されているものの中でも、日本有数の恐竜全身骨格化石であるといえるという。

これだけの骨がすでに発掘されていることに加えて、今後の発掘によって頭骨を含めた残りの骨格が発見される可能性が極めて高いことから、今回の化石は白亜紀末のアジア恐竜の多様性を理解し古環境復元をする上で重要な発見だ。さらに、頭骨を含め多数の骨格が発掘される見込みが高いため、この恐竜が新種であるかどうかの判定もおそらく可能であり、今後の研究が期待されるという。またこの発見は、ハドロサウルス科恐竜の進化や生態解明にも大きく貢献することが期待されるとしている。残りの部分の発掘は、来年度以降の第2次発掘で行われる予定だ。

また、各国の研究者も今回の発見に対して、以下のような期待を寄せているとした。

米国・ニューヨーク自然史博物館のマーク・ノレル博士は、「長年モンゴルで恐竜発掘を行っていますが、日本からこれだけ見事な恐竜の化石が出てきたことはすばらしい。まだ発掘の最中だと聞いていますが、今後の調査を楽しみにしています。新種である可能性が高く、今後の研究が待たれます」としている。

カナダ・アルバータ大学のフィリップ・カリー博士は、「1991年に穂別に行ったことがあり、当時、穂別は白亜紀海棲爬虫類では有名でしたが、恐竜は知られていませんでした。これだけすばらしい標本が発見されたことはアジア恐竜研究にとって意義があります。また、絶滅直前の恐竜の多様性の変化を知る上でも重要な化石になることは間違いありません。頭骨が発見される可能性が高いと聞いていますが、頭骨が発見されると新種であるかどうかが確実になります。早く穂別の化石を見てみたいです」とした。

米国・ペロー自然史博物館のアントニー・フィオリロ博士は、「私は長年、小林博士とアラスカを調査しています。日本の化石は断片的なものが多いのですが、これだけすばらしい標本が発見されたのは驚きです。この発見は、アラスカの恐竜がどれだけアジアの恐竜の影響を受けているかにおいて重要な化石になることは間違いないでしょう」とコメント。

中国科学院地質研究所のル・ジュンチャン博士は、「このような、骨がつながって出てきた恐竜化石が日本から発見されたことは、東アジアの恐竜進化の解明において重要な発見です。中国やモンゴルの恐竜と比較することで、海岸線に棲んでいた恐竜が、どのようなものであったかがわかるのではないでしょうか。今後の展開が、非常に楽しみです」としている。

なお下の画像8は、今回の化石となった恐竜の遺骸が流されている様子の復元画だ。

画像8。今回の化石となった恐竜の復元図。(c) 服部雅人氏