東京大学は、原子1個に記録された磁気情報を長期間保持するためのメカニズムを解明したと発表した。今回、原子1個の量子力学的な対称性を考慮することにより、情報保持時間を従来比で10億倍に高めたという。

同成果は、同大 物性研究所 ナノスケール物性研究部門の宮町俊生助教らによるもの。詳細は、英国科学誌「Nature」に掲載された。

これまで、情報記録装置の性能を向上させるため、微細化技術によって記録する磁気素子の小型化および高集積化が進められてきた。微細化がさらに進むことにより、究極的に磁気素子は、原子1個で構成される原子磁石になると考えられる。しかし、1個の原子磁石は、磁気的に不安定で情報を保持できる時間が1マイクロ秒以下と短く、実用化は困難とされてきた。

磁石の安定性は、磁気異方性エネルギーと呼ばれるエネルギー障壁によって決定する。この障壁が小さいと磁石の向きが容易に反転してしまい、磁石としての安定性は低くなる。PCなどの電子機器に使用している"大きな磁石"はこの磁気異方性エネルギーを高めることにより安定性を確保している。しかし、磁石のサイズを原子レベルまで小さくすると、量子力学的な効果(量子トンネリング)により、エネルギー障壁を超えなくても磁石の向きが反転してしまうことが分かってきた。したがって、高い磁気的安定性を有する原子磁石の実現のためには、原子の磁気異方性エネルギーを高めるとともに量子トンネリングを抑える必要がある。

磁気異方性エネルギーが小さいと磁石の向きが容易に反転してしまい、磁石としての安定性は低くなる。磁気異方性エネルギーを高めると安定性が確保される

磁石のサイズを原子レベルまで小さくすると、量子トンネリングによって、エネルギー障壁を超えなくても磁石の向きが反転してしまう

研究チームでは、2008年から金属表面上に塗布した原子磁石の安定性に関する研究を開始し、磁気異方性エネルギーは原子1個の磁石としての性質である磁気モーメントの大きさに比例することや、磁気モーメントの大きさと原子を塗布する金属表面の対称性をうまく考慮することにより、量子トンネリングを抑制できることを明らかにしていた。今回の研究では、量子トンネリングを抑制できる六角形状の原子配列をもつ白金表面の上に希土類金属で最大の磁気モーメントを有するホルミウム原子磁石を塗布し、その情報保持時間を測定した。

白金表面の上にホルミウム原子磁石を塗布し、その情報保持時間を測定

ホルミウム原子磁石の情報保持時間を測定するためには、原子レベルで表面観察ができ、さらに原子磁石の磁気モーメントを検出できる手法が必要となる。そこで、条件を満たすスピン偏極走査トンネル顕微鏡(SP-STM)装置を2011年に新たに開発した。原子磁石の磁化方向は、SP-STMの磁気シグナルを観測することにより判断できる。SP-STM磁性探針と原子磁石の磁気モーメントが平行の場合、磁気シグナルは大きく、反平行の場合、磁気シグナルは小さくなる。

SP-STM磁性探針をホルミウム原子磁石の上に配置し、磁気シグナルの時間変化を測定した結果、ホルミウム原子磁石は1つの磁気情報(上向き、下向き)を10分以上保持していることが明らかになった。観測された情報保持時間は従来の原子磁石と比較して約10億倍と著しく向上している。原子磁石の磁気モーメントが上に向いている状態を"1"、下に向いている状態を"0"とすると、PCなどの電子機器と全く同じ方式での磁気情報の読み取りが可能になっている。

観測された情報保持時間は10分以上と、従来より約10億倍向上した

さらに、トンネル電子を介したエネルギー注入により原子磁石の向きを制御できることも分かった。このことは、原子1個に情報を書き込めることを意味している。また、原子磁石に長時間情報を記録するためには、磁気モーメントの大きさと原子を塗布する金属表面の対称性が非常に重要であることが理論計算によっても確認された。

トンネル電子を介したエネルギー注入により原子磁石の向きを制御できることも分かった

研究チームでは、原子1個の磁石としての性質である磁気モーメントの大きさと原子を塗布する金属表面の対称性をうまく組み合わせることによって、原子1個の情報保持時間を増大できることを明らかにした。これにより、学術的観点だけでなく、原子サイズの磁気素子を用いた次世代情報ストレージの開発や原子磁石を用いた新方式の量子コンピュータ実現の可能性が期待されるとコメントしている。