北海道大学(北大)、海洋研究開発機構(JAMSTEC)、東京大学、新江ノ島水族館の4者は8月8日、鉄の鱗を持つユニークな巻貝「スケーリーフット(和名:ウロコフネタマガイ)」の共生微生物の全ゲノム配列の解読に成功し、代謝経路を網羅的に同定すると共に、共生微生物の伝播様式を突き止め、さらにスケーリーフットが敏感に環境感知・応答することをとらえたと共同で発表した。

成果は、北大大学院 水産科学研究院の中川聡 准教授(JAMSTEC 深海・地殻内生物圏研究プログラムの招聘研究員兼任)らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間8月8日付けで「The ISME Journal」に掲載された。

深海底熱水活動域は、暗黒・高圧、超高温の有毒熱水が噴き出す極限環境にありながら、特殊な微生物に支えられた極めて生産的な生態系を育んでいる。近年、これまでの未探査海域において深海探査が広く行われた結果、新しい深海底熱水活動域が次々と発見され、そのいくつかでは類まれな生物群が見つかった。中央インド洋海嶺の熱水活動域「かいれいフィールド」(画像1)の水深2420メートルに生息するスケーリーフット(画像2)は、極めてユニークな巻貝だ(通称「黒スケ」)。

画像1(左):インド洋中央海嶺に位置する「かいれいフィールド」(★)。画像2:インド洋の深海底熱水活動域に生息するスケーリーフット。足の表面を硫化鉄の鱗で覆い、捕食性の動物から身を守っていると考えられている。貝殻は最大4.5cm

スケーリーフットはカタツムリと同じ巻貝(軟体動物腹足綱)の仲間だが、食道に共生微生物を有し、腹足の表面に硫化鉄の鱗をまとうという、ほかの如何なる生物にも見られない特徴を有している。スケーリーフットは2001年に米国の研究者らにより発見されたが、採取個体は極めて少なく長期飼育も困難であるため、あまり研究が進んでいなかった。

しかし2009年11月に、JAMSTECの有人潜水調査船「しんかい6500」および支援母船「よこすか」により、スケーリーフットが高密度に群がる大群集が発見されたのである。多数の個体を採取すると共に、今回の研究につながるさまざまな船上実験が集中的に行われた。また、採取した個体の一部を生きたまま持ち帰り、神奈川県の新江ノ島水族館で一般公開することにも成功している(現在は標本を公開)。

スケーリーフットがどのような生物か理解するためには、その共生微生物の研究を欠かすことはできない。なぜならスケーリーフットは、二酸化炭素から栄養分を作り出す特殊な共生微生物を体内に住まわせ、生息に必要なほぼすべての栄養分をこの共生微生物からもらっているからだ。スケーリーフットの共生微生物は食道の細胞内に生息しているが、共生微生物を純粋培養することは極めて困難なため、スケーリーフットの食道をすりつぶし、共生微生物の細胞を集めた(画像3)。

画像3。スケーリーフットと共生微生物の関係(左はスケーリーフット断面図)

集めた細胞からDNAを抽出し、全ゲノム塩基配列を決定。なお、DNAと遺伝子とゲノムというと、その差異がわかりにくいかも知れないが、DNAは4つの塩基でできた遺伝情報を載せた媒体である。遺伝子は、ある特定のタンパク質の設計図など、その生物を生命として形作るのに必要な遺伝情報の1つ1つのことである。そしてゲノムが、生物の全遺伝情報のことで、生物の完全な設計図のことをいう。

また、スケーリーフットと共生微生物の相互作用を解明するため、安定同位体で目印をつけた化学物質をスケーリーフットに与えられ、さまざまな条件下で船上飼育が行われた。さらに、飼育中のスケーリーフットから体液が採取され、ヒトの血液検査と同じ手法を用いて生理状態が調べられた。

そして、スケーリーフットの命綱ともいえる共生微生物の完全なゲノム配列が259万7759塩基対であることを解読したのである。これまで、さまざまな共生微生物のゲノムが解析されているが、今回の研究は巻貝の共生微生物の全ゲノム配列を決定した世界初の成果で、スケーリーフットの生命維持に不可欠な代謝経路(例えば、二酸化炭素から栄養分を作り出すための代謝経路)を数多く解明することに成功している。

今回の研究により、共生微生物が水素からエネルギーを取り出す仕組みの一部は、系統的にかけ離れた微生物同士が遺伝子をやり取りすることで獲得された(水平伝播した)可能性が高いことも判明した。また共生微生物が作り出した栄養分が、スケーリーフットへと渡される際に使われると考えられる分子機構も発見されている(画像3)。

さらに血液検査により、スケーリーフットは環境中のエネルギー源(硫化水素や水素)を敏感に感知し、速やかに体液成分を変化させることも判明。それらのエネルギー源がない場合でも、スケーリーフットは活発な代謝活動を保っていたのである。これは、共生微生物がエネルギー源を備蓄しているためと考えられ、そのための遺伝子も同定された。

これまで、陸上生物を含むさまざまな共生系の研究により、共生が進化に与えるさまざまな影響がある。一般に、共生関係の歴史が長くなるに従って、環境獲得型の共生(ホスト生物の世代ごとに共生微生物が環境中から獲得される)から垂直伝播型の共生(卵に共生微生物が存在し、親から子へと伝わる)へと進化すると共に、共生微生物のゲノムは無駄が削ぎ落とされ、小さくなっていくことが知られていた。

スケーリーフットの共生微生物は比較的大きなゲノムを持ち、遺伝子の残骸と考えられる無駄も数多く残っていることから、スケーリーフットと細胞内共生微生物との関係は、環境獲得型で歴史が浅いものと考えられるという。このことは、同一群集から採取した複数個体について行った遺伝学的解析でも裏付けられており、スケーリーフットは世代ごとに決まった共生微生物を、環境中に無数にいる微生物の中から厳選して獲得していることが確認された。

今回の研究を足がかりとして、まだ謎の多いスケーリーフットの進化や生理・生態・伝播経路の解明、深海底における共生系進化の道筋、さらにはほかに類を見ない鱗形成能力の産業利用や共生機構の医療・創薬への応用といった研究が飛躍的に進むことが期待されるとしている。