海洋研究開発機構(JAMSTEC)は3月18日、世界で最も深いマリアナ海溝のチャレンジャー海淵(水深1万813~1万900m)にて、水深1万mを超える超深海の海底堆積物中の酸素濃度の現場測定を実施するとともに、堆積物のコア試料の採取・有機物分析を行うことに成功したことを発表した。

同成果はJAMSTEC海洋・極限環境生物圏領域の北里洋 領域長、南デンマーク大学、マックスプランク海洋微生物学研究所、コペンハーゲン大学、スコットランド海洋科学協会などによるもので、詳細は3月18日付け(日本時間)の「Nature Geoscience」に掲載される予定。

深海などの極限環境で生きる生物を理解するためには、実際に生命が生息する現場において環境条件など生命活動に関わるさまざまな条件を把握することが必要となる。中でも、堆積物中でバクテリアなどの微生物が有機物を分解する際に消費される酵素の量(好気分解)や有機炭素、生物が餌として利用しやすい有機物の濃度を把握することは、深海底に生息する生物が、その過酷な環境にどうやって適応しているかを知るための指標になるとされている。

すでにこれまでの調査から、チャレンジャー海淵の海底には、魚類などの大型の生物は確認されていないものの、カイコウオオソコエビ(端脚類)などの小型の生物が生息しているほか、堆積物中には原始的な底生有孔虫が数多く生息することが判明しており、JAMSTECでも2012年8月にカイコウオオソコエビが、通常の生物は餌として利用できないセルロースを分解する酵素を持っていることを明らかにするなど、通常の底生生物の餌となる有機物が極端に乏しい貧栄養環境である超深海で生きるための特殊な能力を持つことなどを明らかにしてきた。

しかし、これまでは1万mよりも深い超深海において、有機物濃度や、微生物活性の指標となる海底の酸素濃度、酸素の消費速度を直接測定するための手段はなく、実際にそうした特殊な条件下において、どうやって生命活動を維持しているのかを検証することができなかったことから、今回、研究グループは超深海の圧力に耐えられるよう改良した酸素センサや採泥器などを取り付けた2種類のフリーフォール型観測装置を用いて、チャレンジャー海淵の海底における酸素濃度の測定を実施したほか、有機物濃度分析のため堆積物のコア試料の採取・有機物分析を行ったという。

実際の観測は、微小酸素電極を搭載したフリーフォール型観測装置を用いて、深海平原サイト(水深6,018m)で36点、チャレンジャー海淵サイト(水深1万817m)で51点の酸素濃度の測定を行ったほか、ハイビジョンカメラ付き採泥システムを備えた別のフリーフォール型観測装置を用いて、両地点でそれぞれ6本、9本の堆積物のコア試料(全長25cm~45cm)の採取・水中ビデオ撮影を行ったという。

これらの観測の結果、微小酸素電極により計測された海底堆積物の鉛直方向の酸素濃度の記録から、チャレンジャー海淵サイトの方が、酸素が海底に浸透している深さが浅く、堆積物内部では好気分解が活発であり、より多くの酸素が消費されていることが示唆されたという。実際に、観測された記録から酸素が堆積物中で消費される速度を求めたところ、チャレンジャー海淵サイトでは、1m2あたり、深海平原サイトよりも1.8倍ほど高い値となる1日に154μmolの酸素が消費されていることが判明した。

今回の調査海域図。aがマリアナ海溝・チャレンジャー海淵の位置、bが調査を行った場所。チャレンジャー海淵サイトでは計4回、深海平原サイトでは計3回の観測が行われた (c)JAMSTEC

また、堆積物のコア試料に含まれる有機炭素の含有量と、生物が餌として利用しやすい有機物であるクロロフィルaやフェオフィチンの総量を比較した結果、チャレンジャー海淵サイト堆積物中の有機炭素、クロロフィルa、フェオフィチンの総量は1m2あたりそれぞれ1.1g、560ng、1680ngという値であり、これらは深海平原サイトより得られた値の、それぞれ1.2倍、4.3倍、2.7倍であったという。

今回の研究で使用された2台のフリーフォール型観測装置と付帯装置。aが南デンマーク大学・スコットランド海洋科学協会・マックスプランク海洋微生物学研究所が共同開発し、JAMSTECで耐圧化改造を施したフリーフォール型観測装置。アルミニウムのフレームに浮力材チェーン、ウエイト、音響切り離し装置、そしてセンサなどを搭載しており、船上から海底に投入し、着底後、センサで測定を行う。測定が終了する時間になると船から音響信号を送信、音響切り離し装置が信号を受信し、ウエイトを切り離すことで、観測装置に浮力が働き、海面まで浮上、船内に回収される仕組みとなっている。
bはaの観測装置に搭載された微小酸素電極装置。先端径が数十μmの細さをもった特殊な酸素電極を、高精度モーターによって0.5~1mm間隔で海底に挿しながら、海底環境を乱すことなく酸素濃度の鉛直分布を測定を行い、終了すると電極が上昇し、水平方向に移動する。そして、前回とは少し離れた場所で再び測定が行われる。
cはJAMSTECが開発したカメラ付き採泥システムを搭載したフリーフォール型観測装置。aのフリーフォール型観測装置と同様の方法によって運用されるが、ビデオ撮影のためのライトが点灯しており、脚に取り付けられた採泥器の中に、採取された堆積物が入っているのが見える。
dは2種類のフリーフォール型観測装置に使用した浮力材チェーンの一部。水深1万mを超える高圧環境下でも圧壊しないよう、微小なガラスの球体を含む特殊な樹脂によって作られている (c)JAMSTEC

さらに、バクテリアやアーキアなど微生物の平均生息密度も1cm3あたりの平均値は深海平原サイトよりも6.7倍高い970万個体であり、これらの結果は、チャレンジャー海淵では、深海平原よりも有機物の供給量が多く、また好気分解が活発あることを示すものだと研究グループでは説明しており、「水深が下がるほど海底に到達する有機物の量が減り、生物の代謝などの活動も低下する」という従来の考えを覆すものだとしている。

カメラ付き採泥システムによって撮影された海底の様子。aが深海平原サイト(水深6032m)、bがチャレンジャー海淵サイト(水深1万900m)。深海平原サイトの海底には、底生生物と、それらが作ったと思われるマウンド状の構造が見られたほか、魚類などの大型生物が確認されたが、チャレンジャー海淵サイトの海底には、底生生物が作った構造は見られず、流れによって作られる波状の構造(リップルマーク)がわずかに見られた状態であったという。また、この水深では魚類などの大型生物は見られず、わずかにカイコウオオソコエビ(端脚類)、なまこなどが確認されたという (c)JAMSTEC

ただし、チャレンジャー海淵のいずれの地点においてもクロロフィルaやフェオフィチンの総量は、有機炭素の総量に比べそれぞれ0.5ppm、1.5ppmと極少量であることも確認されているほか、有機物の大部分が難分解性物質であり、濃度は高くても通常の底生生物にとっては餌にできる有機物に乏しい貧栄養環境であることには変わりがないことから、研究チームでは、今回得られた成果は、これまでの底生生物の研究から明らかになった、「深海域の微生物は通常の微生物に比べ極めて活性が低い(餌となる有機物の消費が少ない)」ことや、「難分解性の有機物を分解できる生物が深海域の貧栄養環境に適応している」といった考えとは矛盾するものではないとも説明している。

aが深海平原サイト(水深6018m)、bがチャレンジャー海淵サイト(水深1万817m)の海底における酸素濃度の鉛直分布。深海平原サイトでは堆積物中での酸素の減少が少なく、チャレンジャー海淵サイトでは多いことが判明した。これらのことは、チャレンジャー海淵の堆積物では酸素の消費量が多く、有機炭素の好気分解も活発であることが示唆されるという (c)JAMSTEC

なお研究グループでは今後、今回の調査で得られた結果が、他の超深海環境にも見られる普遍的なものなのか、チャレンジャー海淵特有のものなのかの検証を進めていくとしており、すでにJAMSTECでも2013年1月より有人潜水調査船「しんかい6500」を活用した深海探査を進めており、2013年秋には世界第2位の深さをもつトンガ海溝・ホライゾン海淵(1万850m)での調査を実施する予定としており、この調査などから、今回の研究と同様の現場測定を行い、得られた知見などから、さらなる研究を進め、海洋の極限環境における生命の生存限界の理解と極限環境への適応戦略などの解明を進めていきたいとしている。

aとbが有機炭素、cとdがクロロフィルaとフェオフィチンの濃度、そしてeとfが微生物(原核生物)の生息密度。a、c、eは深海平原サイトから、b、d、fはチャレンジャー海淵から得られた堆積物の分析結果をそれぞれ示している (c)JAMSTEC