東京工業大学(東工大)、国立遺伝学研究所(NIG)、東京大学の3者は7月23日、タンザニア水産研究所、アクアマリンふくしま、インドネシア・サムラトゥランギ大学、日本大学、帯広畜産大学、慈恵会医科大学、台湾成功大学、長浜バイオ大学との共同研究により、生きた化石と呼ばれている希少な魚類である、シーラカンスの全ゲノム配列(約27億塩基対)について、現存する全2種を網羅したタンザニア産(3頭)、コモロ産(1頭)、インドネシア産(1頭)において決定することに成功したと共同で発表した。

成果は、東工大大学院 生命理工学研究科の二階堂雅人助教、同・伊藤武彦教授、同大学・名誉教授の岡田典弘氏(現職:国際科学振興財団主席研究員)、NIG 比較ゲノム解析研究室の藤山秋佐夫教授、同・生物遺伝資源情報研究室の小原雄治特任教授、東大大学院 新領域創成科学研究科の菅野純夫教授らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、7月22日付けで米科学誌「Genome Research」に掲載された。

シーラカンスは、古生代デボン紀に出現したシーラカンス目に属する魚類の総称で、6500万年前には絶滅したと考えられていた。しかし、その生きた個体が1938年に南アフリカのカルムナ川河口において世界で初めて生存個体が確認されて以降、コモロ諸島やアフリカ東側沿岸のみならず、近年ではインドネシアにおいてもその生息が確認されている。現生種はアフリカ大陸東側沿岸域に生息する「Latimeria chalumnae」とインドネシア近海に生息する「L. menadoensis」の2種が知られている。

現生種の形態が数億年も前の化石種のものとほとんど変わらないことから「生きた化石」と呼ばれており、その形態に変化のない理由については、現在もまったく明らかにされていない。またシーラカンスは、脊椎動物の進化の過程において陸上化を果たしたグループと最も近縁である種の1つであるため、水中から陸上への段階的な進化をDNAレベルで研究するのに最も適した生物であると期待され、数多くの研究者が注目してきた。ただし、シーラカンスは非常に希少な生物であるため、保存状態の良好な組織を必要とするようなDNAレベルでの研究はほとんど進められていない。

そうした状況の中、2004年に東京工業大学の岡田典弘教授(当時)は、タンザニア沿岸において地元の漁師によって混獲された後に研究目的で冷凍保管されていたシーラカンス標本を、タンザニア水産研究所(TAFIRI)から寄贈される運びとなり、その後もいくつかのシーラカンス標本がタンザニアから東工大へ輸入された。続いて、アクアマリンふくしまへはコモロ産のシーラカンス、さらには東京大学へはインドネシア産の別種のシーラカンスがそれぞれ輸入される運びとなったため、今回それらのサンプルをすべて網羅することで、これまでになく大規模なシーラカンス全ゲノム概要配列の決定とその比較解析につながったというわけだ。

なおシーラカンスの捕獲は、日本も批准しているワシントン条約によって禁止されており、今回の研究に使用したシーラカンス個体は、タンザニア産、コモロ産、インドネシア産のすべてについて偶然に混獲された個体(もしくはその一部組織)をワシントン条約に基づいて許可を得た後に国内に輸入したものである。

研究チームは今回、2007年にタンザニア沿岸で混獲されたシーラカンス雌個体の胎内から見つかった稚魚について(画像1)、次世代シーケンサを用いてその全ゲノム概要配列(全長約27億塩基対)を新規に決定することに成功し、続いてタンザニア産2頭とコモロ産1頭、さらには2008年にインドネシアにおいて捕獲されたシーラカンス個体の成魚についても、全ゲノムの決定を行った。

画像1。今回のゲノム解読に用いた個体と同腹のシーラカンスの稚魚(写真提供:岡田名誉教授)

この全ゲノム配列の構築には東工大が独自に開発したアセンブラ「PLATANUS」が用いられた。ここでいうアセンブラとは、次世代シーケンサによって決定された莫大な量のDNA断片の塩基配列を効率的に連結していくために開発されたプログラムのことをいう。PLATANUSは、多様性に富んだ野生個体由来のゲノムDNA配列を決定する際に特にその力を発揮する特徴を持つ。

今回のデータを用いた大規模な比較ゲノム解析の結果、まずゲノムの進化速度が極めて遅いことが明らかとなった(画像2)。これまでの研究では、遺伝子のアミノ酸レベルでの進化速度が遅いことが示唆されていたが、今回の研究ではDNAの進化速度そのものも遅いことが示されたのである。これは、シーラカンスが「生きた化石」としてその形態を進化の過程においてほとんど変えていないことの原因の1つである可能性を示唆するものだ。

また、シーラカンスの全ゲノム配列の中でも特に四肢形成や嗅覚に関連する遺伝子を魚類や四足動物(カエルやほ乳類などに代表される陸上化を遂げたグループ)と比較したところ、魚類には存在せず四足動物に特徴的であるため陸上化に深く関与していると考えられてきた遺伝子の多くが、水中に生息するシーラカンスのゲノム中にも存在することが明らかとなった(画像3)。

画像2。シーラカンスを含めた脊椎動物の系統樹と遺伝子の進化速度。シーラカンスの枝が他生物と比較して顕著に短く、進化速度が遅いことを示している

画像3。四肢形成に関わる遺伝子でシーラカンスと四足動物の間で保存された領域。この図では特に「bmp7遺伝子」のイントロンに着目。ピンク色に塗りつぶされた領域は種間で保存度が高いことを表す

四肢や嗅覚器官は、陸上化という大きな環境変化に伴ってダイナミックな進化を遂げたことが知られているが、その前段階における祖先のゲノムにはすでに陸上化に必要な遺伝子が存在していたことがわかったわけで、これは大規模な適応進化を可能にするDNAレベルでのメカニズムを明らかにする上で非常に重要な知見を与えるものだという。

さらに、今回の研究においては、シーラカンスの遺伝的多様性がほかの野生動物と比較して極めて低いことも明らかとなり、これは希少種シーラカンスを絶滅から救うための本格的な保全活動の推進が必要であることを強く示唆しているとした。

今回の研究でシーラカンスゲノム中に発見された陸生動物と共有する遺伝子に関して、分子生物学的な手法を駆使してそのタンパク質の機能を解析し、脊椎動物の祖先が水中から陸上へ段階的に移行していく過程で、その四肢や嗅覚がどのように進化してきたのかを明らかにしていく必要があると考えているとする。

また、研究チームとタンザニア水産研究所によるこれまでの共同研究の成果を鑑みて、タンザニア政府は北部沿岸の約30kmに渡って、マリンパーク(シーラカンスマリンパーク)を新設した。研究チームは、タンザニア水産研究所と協力し、保護区域の魚種に対して遺伝的多様性のモニタリングを進めることで、タンザニア沿岸域の海洋環境保全に向けた取り組みを推進していく予定とした。