慶應義塾大学(慶応大)は7月31日、同大の環境情報学部教授兼先端生命科学研究所所長である冨田勝氏が、自身の全ゲノム配列を解析し、同日より国立遺伝学研究所の日本DNAデータバンク(DDBJ)にて、日本人としては初となる実名による個人ゲノムの全世界への公開を始めたことを発表した。

2000年代初頭に「国際ヒトゲノム計画」の完了が各国首脳によって宣言された後、急速なDNA解析技術が進展したことにより、数年以内には1000ドル(1ドル78円換算だと7万8000円)程度で1人1人の全ゲノム情報を解読できるようになるといわれるレベルまで来た。

個人のゲノムが手に入るようになれば、我々は自分たちがどのような病気になりやすいか、というリスクを事前に知ることができるため、病気になってからの治療が中心的な現代医療を、そもそも病気になる前に予防するという予防医療へと大きく転換させられる可能性がある。

また、大規模な「コホート研究」により、現在難病・希少疾患とされているような疾患の原因を明らかにし、創薬や治療に結びつけられる可能性もあることもメリットの1つだろう。

このような利点の一方で、個人ゲノムという「究極の個人情報」の管理や、遺伝情報による雇用や保険における差別、また、出生前診断や「知らない権利」(ゲノム情報から明らかになる病気のリスクは、必ずしも治療法があるものだけに留まらないため、自らのゲノムを読まないという選択の権利)など、多くの社会的・倫理的課題も存在する。

早ければ数年後にはパーソナルゲノム革命が訪れると予想されているため、少しでも多くの人にパーソナルゲノムに関するリテラシー教育を浸透させることが急務となっているのが現状だ。

上記の課題解決の一助とするべく、冨田教授は自らの全ゲノム情報とこれまでの診療録を実名で、誰もがアクセス可能な公共DNAデータベースに登録し、公開することとした。これにより、パーソナルゲノムの教育などに広く活用されることが期待されるとする。

冒頭で述べたように日本人が実名で個人ゲノムの公開を行うのは、今回が第1号となる。海外では、DNA分子の構造を発見しノーベル賞を受賞したJames Watson博士、ヒトゲノムプロジェクトの立役者の1人であるCraig Venter博士、Personal Genome ProjectリーダーのGeorge Church博士(ハーバード大学教授)など、世界的な科学者が自身のゲノム配列を実名で公開中だ。そのほか日本人では、研究の成果として匿名ではあるが、ゲノム配列が公開された例も存在している。

今回公開された冨田教授のゲノム情報を利用し、同大の総合政策学部・環境情報学部は、2012年度の春学期に「ゲノム解析ワークショップ」を学部1年生向けに開講。授業では実際に冨田教授の個人ゲノムを教材として用い、パーソナルゲノム解析の実際について体験的に学ぶ実習型講義を4月から7月にかけて14回にわたり展開した。

前半7回の講義と実習でパーソナルゲノム解析の詳細や倫理的課題などについて学び、後半7回のグループワークで、学生が少人数のグループにわかれ、それぞれ自分たちが立案したテーマに沿ってゲノムの解析を実施。

学生が設定したテーマは、「ゲノムから見た冨田教授の適職診断」や、オリンピックイヤーに合わせて「冨田教授がオリンピックに出場するならこの種目」、あるいは「冨田教授が注意すべき生活習慣病」など多岐にわたった。

7月19日に行われた最終発表会では、冨田教授本人立ち会いのもと、それぞれの学生グループが4ヶ月間かけて解析した内容を発表し、パーソナルゲノム解析の可能性とその難しさについて活発な議論が交わされた形である。

なお、冨田教授は最終発表会に際して、「私の遺伝的な身体能力や知的能力、体質や病気のリスクなどの考察・議論がなされ、とても興味深いものだった。当たっていると思われるものや外れていると思われるものもあり、"ゲノムを見れば何でもわかってしまう"ということでは決してないということが学生たちは体感できたと思う。一方で、体質や能力について統計的な傾向がわかるということも確かであり、それをどのように生活向上のために利用していくかが今後重要になる」とコメントしている。