東京大学(東大)は、スピンを利用したテラヘルツ光の制御に成功したと発表した。成果は、同大 大学院工学系研究科物理工学専攻 十倉好紀教授、大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 貴田徳明准教授、大学院工学系研究科附属量子相エレクトロニクス研究センター Sandor Bordács特任研究員らによるもの。詳細は「Nature Physics」に掲載された。

光の波の振動方向(偏光)や強度を制御することによって、偏光子やフィルタ、アイソレータ、共振器、逓倍器など、多くの光デバイスが実用化されてきた。しかし、次世代の光通信や電子・磁気デバイスの動作目標であるテラヘルツ帯においては、光の偏光や強度を巨大かつ自由自在に変化させることは容易ではなく、そのことが実用化の妨げになっていた。カイラリティは、貝の巻き方、薬剤における不斉合成、カーボンナノチューブなどの光学特性などの違いとして、自然科学のあらゆる分野に現れるが、それが誘起する光学効果として、光の偏光が回転する光学活性が知られており、これまでX線から近赤外領域の光を利用することで、有機物、無機物の多くが光学活性を示すことが明らかにされてきた。

図1 物質が示すカイラリティの波長スケール。X線から可視域の光を物質に照射し、その光学応答(反射や吸収など)を測定することで、数々の物質の性質が明らかにされてきた。しかし、現在までスピンに起因する光学活性の観測は報告されてこなかった

このような光学活性は、電荷の応答によって誘起されていると考えられている。一方、磁石の源である電子スピンも同様の光学活性を示すことが期待されていた。しかし、スピンが誘起する光学活性の観測例はなかった。また、カイラリティを持つ物質に磁場を印加すると、光の進行方向によって光の波の強度が変わる磁気カイラル効果を示すことが知られていたが、従来この効果は非常に小さく、実際に応用されている例はなかった。

研究グループでは、テラヘルツ光の偏光ならびに強度を制御するために、テラヘルツ帯に現れるエレクトロマグノンを利用することで、それらの効果を増大させることを目指した研究を進め、2008年から様々な磁石においてエレクトロマグノンを新たに発見し、その基礎学理の構築を行ってきたほか、2011年にBa2CoGe2O7結晶においてエレクトロマグノンを発見していた。このエレクトロマグノンとカイラリティを上手く利用することで、テラヘルツ光の偏光と強度の制御の実現が期待できることから、今回、光学活性ならびに磁気カイラル効果の存在を検証するために、同結晶の磁場下によるテラヘルツ帯の光学応答の測定が試みられた。

実際に磁石中のスピンの動的挙動を高感度に測定するためには、分光学的手法を利用することが有効と言われている。特に、同結晶においては、エレクトロマグノンはテラヘルツ帯に存在しているため、研究チームでは磁場下におけるテラヘルツ光の偏光回転ならびに強度を高精度に測定できる分光測定系を新たに構築。また、テラヘルツ光を照射し、同結晶を透過してきた光の状態の測定を行った。

磁場を印加した結果、エレクトロマグノン共鳴近傍においてテラヘルツ光の偏光が回転する現象を発見。テラヘルツ光が結晶中を1mm進む間に、偏光は90度近く回転していることを確認したほか、磁場の方向ならびにテラヘルツ光の偏光を90度回転させると、透過してきた光の偏光の回転方向が反転することを確認した。これは、スピン由来による光学活性を観測した初めての実験結果だという。

図2 巨大なテラヘルツ光学活性。Ba2CoGe2O7結晶では、磁場(7T)の印加方向を変えることで、スピンの構造を制御できる。そこへ直線偏光のテラヘルツ光を結晶に入射すると、スピン構造に依存して、出射するテラヘルツ光の偏光面が回転する。図は2.5Kの結果で、光が1mmの厚さの結晶を進む間で、偏光が約90度回転した。また、磁場と入射電場の方向を変化させると回転角の符号が反転することが確認された

さらに、磁場の方向と光の進行方向を平行もしくは反平行にして実験を行ったところ、磁場の方向を反転した場合、光の強度の変化量が100%に達することが見出された。これは磁気カイラル効果と呼ばれる現象で、従来の磁石が示す光への効果とはまったく異なる現象だという。さらに、このような巨大な光学効果を実現するためには、エレクトロマグノン共鳴の利用が不可欠であることを理論計算によって確認したという。

図3 巨大なテラヘルツ磁気カイラル効果。磁場の方向と光の進行方向が平行もしくは反平行の場合、通常の磁気光学効果に加えて、磁気カイラル効果が出現することが期待される。図は、4Kにおけるテラヘルツ帯の吸収係数(物質の吸収の強さ)のスペクトル。磁場(8T)の反転に伴って、吸収係数に100%近い差が現れていることがわかる

今回の研究では、スピンのカイラリティによる光学効果を観測しただけでなく、スピンを利用することでテラヘルツ光の偏光ならびに強度を劇的に変化できることが明らかにされたが、この結果は、学術的観点だけでなく、次世代の光通信の発展に不可欠なテラヘルツ帯の偏光制御開発につながる重要な成果だと研究グループでは説明しており、今後は、様々な物質の探索を進め、室温における光学活性ならびに磁気カイラル効果の発現を目指すととしている。