京都大学(京大)は、甲南大学の協力を得て、動物胚の「背腹軸」(背側と腹側)を作るために重要となる細胞外分泌性タンパク質「BMP」を介する分子機構について、BMP様タンパク質「Admp」の作用機序を明らかにしたと発表した。
成果は、京大理学研究科の佐藤ゆたか准教授、同・今井薫元特任助教(現・日本学術振興会特別研究員(RPD))らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、8月24日付けで米国科学雑誌「Science」に掲載された。
すべての動物の発生は受精卵に始まり、細胞分裂を経て、体作りを行っていく。ほとんどの動物の胚(発生中の個体)ではごく初期に背側と腹側(背腹軸)が決められる。
その機構は、SpemannとMangoldによる1924年の形成体の発見以降、多くの研究者が研究を行ってきた。その結果、この背腹軸決定にはBMPと呼ばれる細胞外に分泌されるタンパク質が重要な役割を果たしていることがわかってきたのである。例えば、カエルではBMPタンパク質は腹側の細胞で発現して、腹側の発生プログラムを始動させる。背側ではBMPタンパク質の働きを阻害する分子が発現して、腹側の発生プログラムを始動させないようにしている(画像1)。
背側ではAdmpと呼ばれるBMPタンパク質に類似のタンパク質が発現するが、この点に関して研究グループは「不思議だ」という。このタンパク質は細胞外に分泌された後、腹側に輸送され、そこでBMPタンパク質と同様に腹側の発生プログラムを始動させるとされているが、未解明の部分も多く残されているのである。そこで、研究グループは、多くの動物が共通に持つこの背腹軸決定の機構について、ホヤを用いての研究を行った。
ホヤは脊椎動物にもっとも近縁な動物群である尾索類に属する動物だ。ホヤの体作りのメカニズムの概要は、2006年に同研究グループが明らかにしたが、背腹軸決定のメカニズムの詳細は必ずしも明らかではなかったのである。
研究グループは今回、同グループが10年前に決定したホヤゲノム配列に基いた「バイオインフォマティクス解析」に実験的解析を組み合わせ、Admpを阻害するタンパク質「Pinhead(ピンヘッド)」を同定した。
背側から輸送されてくるAdmpは、腹側でBMP遺伝子とPinhead遺伝子を発現させる。BMPは腹側の発生プログラムを始動するが、PinheadはAdmpの働きを抑制。それにより、Admpの作用できる領域が腹側の領域だけに限定されるという機構が明らかになったのである(画像2)。Pinheadが機能しないと、Admpが働きすぎて、腹側の領域が大きくなってしまうのだ。
ちなみにこの機構が有効に働くためには、Admp遺伝子はPinhead遺伝子が発現している場所では発現しないことを保証する必要がある。さらに、Pinhead遺伝子は、昆虫から魚類・両生類といった脊椎動物までのゲノムDNAの中で、Admp遺伝子の隣に存在しており、鳥類とほ乳類ではAdmp及びPinhead遺伝子の両方または一方がないという具合だ。
遺伝子の並びがこのように高度に保存されている例は稀で、理由があって進化的に保存されてきたと考えることが妥当だろうと、研究グループは述べる。画像3に示すように、遺伝子の発現には通常は1つの「プロモータ」と1つ以上の「エンハンサー」と呼ばれるDNAの領域が必要だ。
プロモータにはタンパク質のRNA polymerase IIが結合し、遺伝子が発現するが、その結合には通常、少し離れた位置にあるエンハンサーにある種のタンパク質(転写調節タンパク質)が結合し、RNA polymerase IIのプロモータへの結合を補助する仕組みだ。今回、研究グループはPinhead遺伝子とAdmp遺伝子の間に両者で共通に使われるエンハンサー領域が存在していることを見つけた(画像4)。
Pinhead遺伝子がこのエンハンサーの助けを得て発現している時は、このエンハンサーとPinhead遺伝子の間に存在するAdmpエンハンサーは物理的に隔離されて、Admpプロモータへの関与ができない。
この共通エンハンサーがいわばスイッチとして働くことによって、Pinhead遺伝子が発現している細胞では必ずAdmp遺伝子の発現が「オフ」になる(画像5)。このスイッチ機構はPinheadとAdmpの持つ相反する機能を実現するためには必要不可欠であり、それこそが、長い間、進化の過程で、変化せずに保たれてきた理由であると考えられるという。また、同様の機構がメダカ胚でも働いていることを甲南大学の日下部岳広教授の研究室の協力を得て、確認された。
Admpは腹側を作るために働くが、同時にPinheadと呼ばれるタンパク質の発現を誘導し、その誘導されたPinheadタンパク質によってその機能を抑制される。そのようにして、いわばアクセルとブレーキを両方同時に巧みに操作することで、腹側の領域の大きさが正確に決められるというわけだ。
なお、AdmpとPinhead遺伝子はゲノム上で隣接して存在するが、その両者の間に両方の遺伝子発現に必要な共通のDNA配列(エンハンサー配列)を持っており、それがスイッチのように働くことで、1つの細胞ではどちらか片方の遺伝子だけが発現するようになっている。今回の研究は、ゲノムの構造変化によって遺伝子の発現調節が直接行われていることを示した世界初の成果だという。
さらに研究グループは、今回明らかにした機構は、このスイッチング機構を含めて、広く動物界で使われている機構だと考えられると、コメントしている。