慶應義塾大学(慶応大)は5月10日、NBS日本速読教育連盟や東京大学との共同研究で、日本で開発された速読法の1つである「朴-佐々木法」の熟達者が、現代語小説を高速で理解して読んでいる事例を示したと発表した。
成果は、同大大学院 社会学研究科の宮田裕光研究員(現:名古屋大学)、同皆川泰代特任准教授、同文学部の渡辺茂教授、NBS日本速読教育連盟理事長の佐々木豊文博士、東京大学 大学院情報学環の植田一博教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、5月9日付けで米オンライン科学誌「PLoS ONE」に掲載された。
瞑想などのメンタル・トレーニングは、注意や抑制などの種々の認知能力を高めると考えられているが、読書のような日常的に重要な認知活動についてはどうだろうか。
朴-佐々木速読法では、丹田呼吸や漸進的筋弛緩法などの瞑想的訓練を基礎に、体系的な視覚訓練を行っている。この速読法の熟達者は、1分間に1万字を超す速度で日本語文章を読めるという。もし高速で読みつつ文章理解が実際に保たれていれば、読書で一般に見られる速度-理解のトレード・オフ(逆相関)が、訓練を通して克服されたことを示唆すると考えられる。
今回の研究における実験では、コンピュータ画面上に文章が提示され、参加者はボタンを押してページを切り替えながら、それらをひと通り読むという内容のものが行われた。
文章は、2009-2010年に出版された平均約9000字の現代語短編小説計5話で、参加者が初めて読む内容である。各小説を読み終わった後、参加者は小説のあらすじと詳細の両方に関わる○×形式の設問16問に解答した。
また読書中の眼球運動を、アイカメラ(Tobii Eye Tracker)で記録した。研究1には速読の中級訓練者3名と非訓練者14名、研究2には速読の高度熟達者1名と非訓練者14名が参加した。研究1では、参加者はできるだけ速く読むよう教示されたのに対し、研究2の参加者は内容の理解を優先するよう指示された形だ。
研究1では、速読訓練者の読書速度(2600字/分)は非訓練者(1237字/分)より速かったものの、設問正答率は速読訓練者(68.1%)のほうが非訓練者(83.8%)より低く、速読訓練者は速度-結果、理解のトレード・オフに影響されていることが示唆された。
一方、研究2では、速読熟達者の読書速度(5644字/分)は非訓練者(1193字/分)の4.7倍で、設問正答率については速読熟達者(77.5%)と非訓練者(84.9%)の間に統計的な差は見られなかった形だ。
速読熟達者の正答率は、文章を読まずに設問だけ解答した参加者(52.2%)や、熟達者と同じ速度でページが切り替わった後で設問に解答した参加者(58.9%)より高いことが検証された。
停留時間やサッケード(飛越)の大きさといった眼球運動指標では、速読者と非訓練者の間に大きな差はないが、速読者は非訓練者にくらべて、サッケードの水平線分が大きい、垂直成分が小さい、元の行への戻り読みが少ないといった特徴が確認されている。
文章領域の各部分に停留していた時間の分布が、画像1・2だ。速読法の高度熟達者(画像1)と非訓練者(画像2)のそれぞれについて、典型的なテストセッションの例を示している。
非訓練者が文章を1行ずつ読んで、文章提示領域のほぼ全体を見るという一般的な方略を採っていたのに対し、速読者は主に水平方向に視線を動かし、文章の限られた部分にしか視線の焦点を当てていないことがわかる。
今回の報告は、一部の速読者が、高速で文章を理解していた事例を示唆した段階に留まっている。今回の結果がより多くの熟達者に一般化できることを裏づけるには、今後、読む文章の種類や提示時間、参加者の年齢、といった要因を体系的に操作することが必要になるとした。
また、速読者が用いていた特殊な眼球運動が実際の読書に汎用的に使えることを示すには、視覚探索課題などの注意課題や移動窓法などによる検証も必要となるという。脳波や血流、自律神経系などの計測を通し、速読における、あるいは速読者の脳機能・構造を、非訓練者と比較する作業も重要だと考えられるとした。
こうした多角的な実証研究を通して、瞑想的方法に基づく視覚訓練が、認知行動過程や脳機能を可塑的に変容させる機序を明らかにできることが期待されると、研究グループはコメントしている。