東京工業大学(東工大)は4月16日、ソニーCSLと共同で企業間取引ネットワークの特徴的な統計性を再現する数理モデルの構築に成功したと発表した。成果は、東工大大学院総合理工学研究科学院生の三浦航大氏と高安美佐子准教授、ソニーCSLの高安秀樹シニアリサーチャーらの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、4月16日発行の米物理学会誌「Physical Review Letters」電子版に掲載され、また同月20日発行の雑誌版に掲載される予定だ。

近年、自然界や生命現象、社会現象に見られるさまざまな複雑な現象を、要素間のネットワーク構造を基盤にした複雑システムとして考察する研究が大きく発展し、その中で、「スケールフリー性」を持つネットワークの普遍的特性やその生因に関心が集まっている。

フリースケール性とは、広くは、特徴的な大きさが存在しない性質を意味し、フラクタルと同義語だ。今回の発表では、複雑なネットワーク構造において、頂点同士を結ぶリンク数が、「ベキ分布」に従う性質のこととして定義されている。インターネットやタンパク質の反応ネットワーク、人間関係のネットワークなど、さまざまな複雑ネットワークでこの性質が観測され、その普遍性に研究者の関心が集まっている。

またベキ分布とは、確率変数の値が大きくなると、その出現頻度が確率変数の値のベキ乗に比例してゆっくりと減少する分布のこと。小さな値を取る確率が最も高いが、それよりも桁違いに大きな値を取る確率も無視できない。分布を特徴づける基本量である平均値や標準偏差が意味を持たないため、現在の教育課程では学習する機会はないが、自然界や社会現象には極めて普遍的に存在しており、さまざまな学問分野の最前線の研究と結び付いている。

話を元に戻すと、企業間の取引による資金の流れによって定義されるネットワーク構造においても、スケールフリー性があることが高安准教授らの膨大なデータ解析に基づく先行研究によってすでに解明済みだ。つまり、少数の取引先を持つ大多数の企業がある半面、取引先の極めて多い企業が分布の広大なすそ野を形成しているという特徴である。だが、このスケールフリー性が企業のどのような特性に起因しているのかが未解決の問題だった。

社会や経済など人間の関わる現象は、物質に関わる物理現象とは異なり、その基本法則や基礎方程式が確立されていない。しかし、近年の高度情報化がもたらした日本国中の主たる企業を網羅する約100万社の財務データや取引関係の詳細な業務データを解析することにより、企業の経済活動に関しても、企業の取引関係の変化を科学的に追跡することが可能となったのである。

今回の研究は、まず実際の企業データを基に、企業間取引ネットワークの統計的性質を詳細に調べ、企業ネットワークの成長に関連する企業の年齢や年齢と取引先数の関係などの重要な経験則を見出した。

次に、企業のネットワークの成長には、企業の新規参入と倒産のほかに、企業の合併や買収などの凝集効果が重要な役割を担っていることを数値シミュレーションによって明らかにした形だ。

さらに、宇宙空間や大気の塵の凝集現象を記述する方程式の理論解析を応用し、企業ネットワークが新規参入、買収・合併、倒産を考慮した数理モデルからスケールフリー性を持つ定常状態に自動的に収束する特性があることを証明した。これによって、企業の取引ネットワーク構造の時間発展を記述するための基礎モデルができたことになる。

研究グループは今回、経済産業研究所提供の日本企業96万1318社の2005年度の財務データ及び取引関係のデータを解析した。まず、取引ネットワークにおいて、単位企業当たりの取引企業数の分布はベキ分布に従うというスケールフリー性を有していることを確認。

新たな経験則として、企業の年齢分布が「指数分布」(確率変数の値が大きくなると、その出現頻度が指数関数に従って減少する分布のことで、例えば一定の確率で企業が倒産する時、企業の寿命の分布は指数分布となる)に従っていること、及び企業の年齢とともに平均的な取引相手の企業数は指数関数的に増加していくことを発見したしたのである。

さらに、スケールフリー性を生み出す要因として理論モデルの中ではよく知られている「優先的接続の仮説」(リンク数の大きな頂点ほど新たにリンクを獲得する確率が高いというネットワーク形成に関する基本的な理論的仮説)が成り立っているかどうかを、膨大なデータに基づいて調査した。

企業の設立年度の情報から取引ネットワークにおける新規参入企業と既存企業の間の取引関係を精査し、新規参入企業がどのような既存企業と取引を行うのかを調べた結果、既存企業の取引相手数(ネットワークの用語としてはリンク数)が重要なパラメータであり、その数に比例するような確率で新規企業が取引に参入するという優先的接続の仮説が実際にきれいに成り立っていることが世界で初めて大規模なスケールで確認されたのである(画像1)。

画像1。企業間取引ネットワークの優先的接続仮説の確認。新規参入企業がある企業を取引相手として選ぶ確率は、当該企業の取引企業数に比例することがグラフから読み取れる

次に、これらの多角的な観測事実を再現する企業ネットワークの形成に関する数理モデルを構築した。企業の年齢分布が指数分布に従うことから、企業が一定の確率で倒産する効果がモデルに導入されている。また、優先的接続の仮説を満たすように新規企業の参入する効果もモデルに導入された。

しかし、これら2つの効果だけでは、取引相手数が年齢とともに指数的に増加する観測事実、及び1企業当たりの取引相手数のベキ分布の指数を現実の値と一致させることが不可能である。そこで第3の効果として、合併・買収によって、取引ネットワークも含めて2つの企業が1つに凝集する効果を導入した(画像2)。

画像2。企業間取引ネットワークの成長モデルの概念図。企業の倒産、新規参入、合併をその構成要素として持ち、これらを確率的に組み合わせることによって、現実の取引ネットワークの基本的な特性をすべて再現することが可能となる

その結果、合併する相手を選ぶ時にも、優先的接続の仮説を想定することにより、上記のすべての経験則を矛盾なく満たすような定常的な状態が実現することを数値シミュレーションによって明らかにした。

さらに、エアロゾルの質量分布が凝集によりベキ分布に従うという既知の物理現象を記述する方程式と、企業のネットワークのリンク数が合併・買収によってベキ分布に従うという2つのまったく異なる現象の背後に、共通する凝集効果の数理構造が潜んでいることを明らかにし、凝集現象の典型事例として知られている宇宙の塵やエアロゾルに関する理論方程式を応用し、合併・買収効果によるリンク数のベキ分布を理論的に導出した。その結果、経済・社会現象を物理学の視点で理解する研究に新たな可能性を切り開いたことが高く評価される。

今回、明らかにした企業間取引ネットワークの成長メカニズムは、実際の経済現象を考える上で極めて重要だ。企業は単独では存続しつづけることはできず、複雑なネットワークの中で、相互作用を繰り返すことによって成長し、また減衰もする。

今回の研究は、このような企業の時間発展の基本的なプロセスを数理モデル化した重要な基礎研究であり、単に、日本の企業の問題にとどまらず、今後、海外企業の同様なデータにもモデル化の大きな方向性を与える研究だ。ここで導入した基礎モデルに、さらに取引金額の流れといった詳細な効果を肉付けしていくことによって、現実に起こっている現象をより正確に記述することが可能となる。

世界の経済が停滞し、天災や金融危機などのさまざまなリスク要因が想定される中で、どのようにすれば、企業ネットワークを頑強にし、成長を促すことができるのかという問題に対し、現在は科学的視点から明確な答えを出せていない。100万もの構成要素が複雑に絡み合う現象に対しては、経験で対処できることには限界があるというわけだ。

しかし、現実に観測された特性を再現するために、1つ1つの効果を科学的に精査し導入して作られた数理モデルには、大きな可能性がある。近い将来、このような社会の問題に対して大規模数値シミュレーションが答えを出し、我々の進むべき解決策をシミュレーション実験で予測することができるようになるだろうと、研究グループは述べている。