東京大学は4月10日、米カリフォルニア大学デービス校との共同研究で、昆虫ウイルスの「バキュロウイルス」が、進化の過程で宿主から獲得したと考えられる遺伝子の機能を改変して、宿主の行動を巧みに操作していることを明らかにしたと発表した。

成果は、東大大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻の勝間進准教授、同修士課程2年の小谷野泰枝氏(当時)、同博士課程1年の國生龍平氏、同嶋田透教授、理化学研究所松本分子昆虫学研究室の姜媛瓊専任研究員(当時)、米カリフォルニア大学デービス校リサーチスタッフのShizuo George Kamita氏らの国際共同研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、4月5日付けで「PLoS Pathogens」に掲載された。

病原体の中には、自己の利益のために、宿主の行動を変化させるものが存在する。このような「病原体による行動操作」は、昆虫の世界でもよく知られた現象だ。

例えば、外来遺伝子を発現するためのベクターとして、広く利用されているバキュロウイルス(80-180kbp(bp:塩基対)の2本鎖DNAをゲノムとする昆虫ウイルス)による「Wipfelkrankheit(梢頭病)」は、100年以上前から昆虫病理学の分野でよく知られている現象である。これは、これは、バキュロウイルスに感染した幼虫が、木の枝の先でぶら下がって致死するという病気だ。

バキュロウイルスが、その感染末期に宿主昆虫の行動を活発にし、寄主植物の上方に移動させ、その場で致死させるのである。結果、鳥などによる補食や風雨による死体からのウイルスの飛散が促進され、次代が広範囲に伝播する可能性が高くなるというわけだ。つまり、この現象はウイルスによる利己的な行動操作であると考えられてきたのである。

研究グループは、カイコを用いて、バキュロウイルスによる行動操作の研究を行ってきた。遺伝子欠損ウイルスライブラリーを用いたスクリーニングから、2005年にウイルスの「タンパク質脱リン酸化酵素遺伝子(ptp)」(リン酸化タンパク質を加水分解により脱リン酸化する酵素で、バキュロウイルスの中にはこの酵素を持つものが存在し、実際、生化学的な解析から脱リン酸化活性を持つことが知られている)がこの行動操作に関わる分子の1つであることを発見したのである。

しかしながら、この分子の作用メカニズムについては、これまでまったく知見がなかった。今回、このptpにさまざまな変異を導入したウイルスを作成し、行動実験などの詳細な解析を行ったところ、この「酵素タンパク質」であると考えられたptpは酵素としてではなく、ウイルスの病原性を高めるために必要なウイルス粒子の構造タンパク質として機能していることが判明したのである。

また、ptpはウイルスが宿主の脳へ十分な感染を成立させるために必要なタンパク質であるということも明らかとなった。配列の相同性から、ptpは進化の過程で宿主昆虫のゲノムより獲得したいわゆる「宿主ホモログ」であると考えられたのである。

今回の研究結果は、ウイルスが宿主より獲得した分子の機能を独自に改変し、宿主の行動を操る用途で利用している非常に興味深い現象を明らかにした形だ(画像)。

画像1。バキュロウイルスは、宿主昆虫の遺伝子の一部を獲得し、それらを改変して利用している。獲得した遺伝子は意外と多い

2011年9月の米科学雑誌「Science」に、森林害虫である「マイマイガ」に感染するバキュロウイルスにおけるWipfelkrankheit関連遺伝子として、Hoover氏らによって「エクダイソンUDPグルコース転移酵素遺伝子(egt)」が報告された。

egtはバキュロウイルスが持つ遺伝子の1つだ。この遺伝子産物は、昆虫の脱皮ホルモン「エクダイソンにUDP-グルコース」を付加して、不活化する活性を持つ。この遺伝子の存在によって、バキュロウイルスに感染した昆虫は、脱皮や変態が阻害されてしまうのである。

egtは昆虫の脱皮ホルモンであるエクジソンを不活化する酵素であり、ウイルスがホルモンを利用して宿主の行動を操作している非常に興味深い結果だといえよう。

一方、研究グループでは、カイコのバキュロウイルスにおいては、egtは行動操作に関わっていないことを確認しており、2012年に入ってから発表している。このことから、ウイルスと宿主の組み合わせによって、行動制御の仕組みが異なっているということが推測される形だ。

今後は、Wipfelkrankheitに関与するほかの遺伝子の同定やその機能解析を行うことで、ウイルスによる宿主行動操作の全貌が明らかになると考えられると、研究グループはコメントしている。