物質・材料研究機構(NIMS)と滋賀県立大学で構成される研究グループは、隠れた微小ながん組織を選択的に加熱できる磁性ナノ粒子がん温熱治療の際に、がん組織内のナノ粒子の周囲の環境の微妙な差異によってそれぞれ特異なナノ粒子の配向状態が形成され、最適な加熱条件が大きく変わってしまうことを理論的に明らかにした。同成果は、NIMS 量子ビームユニットの中性子散乱グループ 間宮広明主任研究員と、滋賀県大 工学部のBalachandran Jeyadeva教授らによるもので、Natureパブリッシング・グループのオープンアクセスジャーナル「Scientific Reports」(オンライン版)に掲載された。

温熱療法(ハイパーサーミア)は古くからある治療法だが、手術・放射線・化学療法に続く第4の治療法として研究開発が本格化したごく最近のことである。

図1 磁性ナノ粒子の電子顕微鏡写真(がん温熱療法に用いられる生体親和性の高い磁鉄鉱(Fe3O4)のナノ粒子の透過電子顕微鏡写真)

特に、近年はドラッグデリバリ技術と人体深部まで容易に到達する交流磁場からエネルギーを引き出し熱に変えることができる磁性ナノ粒子を組み合わせ、がん組織の選択的加熱を可能とした磁性ナノ粒子がん温熱療法が、検査をすり抜けた微小ながんなどへの有効な治療法として期待を集め、一部臨床試験も始められている。

図2 磁性ナノ粒子がん温熱療法の模式図。がん細胞中に送り込まれた磁性ナノ粒子に体外から交流磁場を照射し、その磁気損失による局所的な昇温によってがん組織だけを死滅させる治療法

ただし、確かに発熱はするものの、実験で得られる発熱特性は既存のモデルに基づく予測とは必ずしも一致するものではなかった。これは、がん組織深部の特異な環境下におけるナノ粒子の動的な振舞を観測する手段はこれまで確立されていないためで、多くの研究者の関心は、この不一致の起源となる発熱機構の解明よりも、より実際的な腫瘍縮小効果の確認に移っていったが、そうした医学的効能が認められつつある現在、本格的な実用化に向けてがんの属性に合わせた発熱体(磁性ナノ粒子)と照射装置の最適化を目指すために、発熱機構の解明が求められるようになってきていた。

がん温熱治療中の磁性ナノ粒子の振舞について実際に近い条件を設定してナノ粒子の内部の磁化の反転とナノ粒子自身の回転を同時に考慮したシミュレーションを行ったところ、磁性ナノ粒子は交流磁場から受ける磁気トルクによって徐々にその向きを揃え、様々な配向構造を形成することが確認されたという。例えば、磁性ナノ粒子にその異方性磁場より大きな高周波磁場を照射すると、それらは磁場の方向に配向してゆき、発熱量は照射を続けると徐々に増大する。一方、交流磁場の振幅を粒子の異方性磁場より弱めると、今度は、ナノ粒子は磁場と垂直な面内に配向した構造を形成し、発熱量は次第に減少したという。

図3 日常の磁石とがん温熱治療中に生じると考えられる配向構造の一例。(a)地球磁場の方向を向く方位磁石、(b)および異方性磁場より弱い強度の高周波磁場を照射した際に形成される、強磁性ナノ粒子が磁場と垂直な面内に揃って配向した定常的な構造を模式的に示したもの

熱力学的平衡状態では、磁性ナノ粒子は方位磁石のように磁場の方向を向く傾向を示すが、大量の熱を周囲に積極的に散逸させるこの系では、後者の例のようにそうした傾向とは大きく異なる定常的な配向構造が現れることが判明した。また、これらの配向構造は、ナノ粒子の大きさや形状、その周囲の粘性あるいは交流磁場の照射条件を変えても変化し、それにともない、発熱特性も大きく変わることがわかったが、逆にこうした配向構造の形成を上手く活かせば、副作用の少ない磁場強度(27kA/m)と周波数(180kHz)の交流磁場を磁鉄鉱ナノ粒子に照射した場合、ナノ粒子本体の重量当たり1.5MW/kg、最近の研究のように副作用をある程度許容してより強力な交流磁場(30kA/m、600kHz)を用いた場合であれば、従来の最大発熱量の記録の約2倍となる5.2MW/kg程度の発熱量を実現することも可能となることがわかったという。

図4 図2の配向構造が形成されていく際の磁化曲線。磁性ナノ粒子にその異方性磁場より弱い振幅の高周波磁場を照射した際の磁化曲線の変化を示す。図中のヒステリシスループの面積は1周期あたりの発熱量であり、定常状態に近づくにつれ減少していくことが見いだせる

今回のシミュレーションで予測された治療中に深部で生じるナノ粒子の動的な構造の存在が、今後、大強度陽子加速器施設の透過力の大きなパルス中性子ビームをはじめとする量子ビームを利用して検証され確立されることとなれば、それぞれのがん細胞との結合状態に応じて発熱体(磁性ナノ粒子)の粒径や形状、および照射する磁場の強度や周波数を最適化することが可能となると考えられることから、現在のドラッグデリバリ技術での延長線上で送達可能な2mg/cm3程度の少量の磁性ナノ粒子を用いて1cm程度の転移がんを十分に加熱することが可能となるため、磁性ナノ粒子がん温熱治療の実用化が近づくことになると考えられるという。