名古屋大学 大学院工学研究科の新井史人教授の研究チームは、永久磁石の磁力で動かせる高速・高精度な細胞操作マイクロロボットを開発した。同成果は、英国王立化学協会出版の科学雑誌「Lab on a Chip」(オンライン版)に掲載された。

現在、人工授精や受精卵の分割による一卵性双子牛生産、受精卵の性判別などが実用化され始めており、特に核移植技術は、家畜の改良・増殖、および希少品種などの遺伝資源保存において画期的な技術で、実用化を目指した研究が各所で進められており、畜産分野のみならずクローン動物を利用した製薬や、ES細胞利用の医療応用など、バイオ分野において重要な技術となってきている。

しかし、核移植やそれに伴う除核などの細胞操作は、熟練した作業者が顕微鏡をのぞきながら手作業で複雑かつ高度な操作をするため、現状では作業速度のさらなる向上が見込めず、生産性を上げるための課題となっていた。核移植を自動化して作業速度を上げるためのさまざまな試みが行われているが、特に除核作業の自動化は困難であり、手作業を超す高速化技術が求められているほか、除核後の卵子に核移植するため、除核された卵子を確実に分注する技術が必要とされている。

こうした課題の解決策として、研究チームは、マイクロ流体チップ内において操作可能な磁気駆動マイクロツール(Magnetically driven Microtool:MMT)を用いて細胞操作を行う開発を行ってきた。すでにチッ. プとMMTを1つ100円程度のコストで製造できる技術も開発しており、同技術を用いて使い捨てチップを製造し、その内部で細胞操作を可能とすることにより、従来の手作業で発生する汚染のリスクや再現性のバラつきといった問題も解決できると期待されている。

しかし、従来のMMTの位置決め精度は細胞のサイズ(数十μm)に対して500μmと大きいため、細胞の制御のような精密操作を行うことができなかったほか、応答速度も1秒と遅いためチップ内での細胞の速い流れに対応することが困難であった。そのため、研究チームはこうした課題の解決に向けて、MMTの位置決め精度を向上させ、チップ内で細胞精密操作を行うためのマイクロロボット(オンチップロボット)の開発を進めてきていた。

今回開発された細胞操作用のオンチップマイクロロボットは、MMTにかかる摩擦力を低減するために「水平磁極駆動方式」と呼ばれる新しい駆動方式を開発、採用した。

オンチップマイクロロボットによる細胞操作(概念図)。顕微鏡下に設置されたマイクロ流体チップ内には、大きさ6mm程度のMMTが配置されており、このMMTをリニアステージ上に配置した永久磁石により非接触で駆動できる。またマイクロ流体チップ内に投入された細胞は流体力により流路に沿って移動し、MMT操作部において目的の操作(切断や選別など)が実行される。これにより閉空間の安定した環境下で連続して細胞操作が可能なため、MMTによる細胞の高速処理が期待できる

MMTを駆動させる磁石の磁極が駆動方向と平行になるように配置し、さらに磁石とMMTが同サイズになるように設計することで、MMT付近では束が駆動方向と平行に. 流れて、磁力を効率よく駆動力に変換することができる。また、MMT中心付近ではMMTを下に引っ張る力がなくなるために、チップ内部との摩擦を低減し駆動磁石に対するMMTの追随性が向上する。これにより位置決め精度が50μmに向上し、応答時間が0.1秒に向上したことを実証したという。

駆動方式ごとの磁場解析および駆動評価
(a):従来のMMT駆動方式。永久磁石の磁極が駆動方向と垂直に配置されており、MMTを下向きに引っ張る力が強く働くため摩擦が大きく発生してしまう。
(b):水平磁極駆動方式。磁極の方向を駆動方向と平行に配置し、サイズを合わせることにより、磁束がMMTを介してループ状に流れ、磁束の方向と駆動方向が一致する。
(c)駆動ステージに対するMMTの追随性評価実験結果。従来駆動方式においてはMMTの軌跡はステージに対して最大50μmの誤差で追随している

ただし、この配置では横への平行移動の精度しか保証されておらず、駆動方向が複雑になると追随性は途端に悪化する問題点があるため、研究チームでは駆動源の永久磁石を2つずつの2組を直行するよう配置してMMTの駆動を行うことで、縦への平行移動と回転方向において高い追随性を持つ駆動を達成可能とした。

水平磁極駆動方式の多自由度化。水平磁極駆動方式を直交に2組ずつ組み合わせることにより、縦・横の平行移動と回転の3自由度において高い追随性を示すことが可能となる

しかし、この50μmの位置決め精度では、数十μmサイズの細胞の精密操作を行う上で十分とはいえないため、さらに研究チームではチップ下面に圧電セラミックスを取り付け、超音波振動を加えることでMMTにかかる摩擦力の低減を図ることで、位置決め精度をさらに最少1.1μmまで向上させることに成功した。

超音波振動を加えたMMT駆動方式のコンセプト図。マイクロ流体チップ下面のガラス基板に圧電セラミックを付与し、超音波振動を加えることにより、MMTと駆動平面との間に相対運動が生じ、MMTにかかる見かけの摩擦力が低減される

超音波振動を加えたMMTの駆動ステージに対する誤差
(a):振動を加えない場合、目標軌跡に対して実際のMMTの軌跡。この場合、摩擦力が依然大きいため、大きな誤差を生じる。
(b):振動を加えた場合の目標軌跡に対して実際のMMTの軌跡。(a)と比較して誤差が低減される。
(c):駆動ステージの速度と圧電セラミックに加える電圧を変えた場合の目標軌跡に対する誤差。低速時において振動による摩擦低減効果が大きく表れ、最少1.1μmの精度を達成している

また、MMTの応答速度も従来の1秒から0.02秒へと向上し、高速駆動が可能となった。

MMTの3自由度高速駆動。振動による摩擦低減により、MMTの応答速度も向上し、MMTの高速駆動が可能となった。(a)が360°回転駆動、(b)が1自由度高速駆動、(c)が2自由度高速駆動、(d)が(c)の逆回転での高速駆動

この成果によりチップ内で目的の細胞を回転させたり、組み立てたり、切断することが可能になったことから、卵子の核の位置を蛍光で確認しながら10秒に1個の速度で、かつ核とともに切り取られる細胞部分の面積が卵子全体の面積の20%以内という分割精度での除核作業を達成したという。

オンチップマイクロロボットによる細胞精密操作
(a):双腕のマイクロロボットを交差させることにより、細胞を回転させ任意の位置に姿勢制御が可能。
(b):双腕のマイクロロボットにより、細胞をピックアップして任意の形状に組み立てすることが可能。
(c):ブレード型のマイクロロボットにより、細胞を高精度に切断することが可能

今回開発した応答速度0.02秒かつ最小1.1μmの位置決め精度を持ち、縦・横の平行移動と回転方向への高い追随性を示す細胞操作用オンチップマイクロロボットに、自動制御技術を組み込むことで、マイクロ流体チップ内部での細胞の完全自動操作が期待できることとなる。また、細胞に力を加えることで刺激に対する反応を評価したり、複数の細胞群の中から目的の細胞のみを選別するといった応用分野においても、チップ内の安定した環境で高速処理することが期待できるようになると研究チームでは説明している。