2008年3月30日、立教大学池袋キャンバスにおいて、「2009国際生物学オリンピック・2010国際化学オリンピック開催に向けて 国際科学オリンピック日本開催シンポジウム」が「伸びる才能を育てよう!」をテーマに開催された。
同シンポジウムでは、文部大臣および科学技術庁長官の経験を持ち現在は科学技術館館長である有馬朗人氏と理化学研究所理事長でノーベル化学賞受賞者である野依良治氏による特別講演が行われた。
2つ目の講演となった野依良治氏の講演では「憧れと感動、そして志」と題し、自身の体験を振り返り、社会に対して有意義な人物となるためにはどのようなことが必要かが語られた。
きっかけは湯川秀樹とナイロン
理化学研究所 理事長 野依良治氏 |
野依氏は、学校での体験よりも幼い頃の幾つかの体験が化学を志すきっかけになったと語る。特に大きかったのはノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹氏の存在であったという。湯川氏とは、野依氏の両親が1939年のヨーロッパからの引揚船「靖国丸」で一緒になるなど、関わりが深く、湯川氏がノーベル物理学賞を受賞した際などは、毎日夕食の卓を囲んで湯川氏の昔話が取り上げられたという。こうした経験が湯川氏への、ひいては科学への憧れとなっていったという。
しかし、なぜ物理学ではなく化学を選んだかというと、「頭が悪くて物理に行かなかったわけではない」(野依氏)と本人は冗談を飛ばすが、その実は、1951年に見た東洋レーヨンの製品発表会にあるという。そこで野依氏はナイロンが石炭と水と空気から生み出されることを知り、本人が「ナイロン事件」と呼ぶほど感激、そうして将来は化学企業に入りたいと思うようになった。
そこで、当時の化学界のヒーローであった櫻田一郎氏が在籍する京都大学の工学部を志すこととなった。野依氏は、湯川氏やナイロンと出会い化学の道を志したわけだが、こうした"出会い"、特に人との出会いは真に重要であるという。
自身も京都大学での恩師との出会いは当然のことながら、1968年に助教授として着任した名古屋大学での平田義正教授との出会い、博士研究員として海を渡った1969年の米ハーバード大学イライアス・コーリー教授との出会いなどを振り返る。こうした出会いは、後の国際学会での情報のやり取りや共同研究、研究の評価などで非常に役に立ったという。