韓国LG電子は、27日に創立50周年を迎える。今や同社は120カ国以上の現地法人や国外支社をもち、8万2,000人もの社員を抱える韓国を代表する大手企業である。ここまで成長するまでには、さまざまなできごとがあった。ここでは、その歴史を振り返ってみよう。

ラジオから始まった草創期

LG電子が電子産業に進出しようと考え始めたのは、1957年だ。当時の社名は『楽喜化学工業社』で、その名のとおり化学関連の企業だった。

電子産業への進出を模索し始めた当時、当然ながら同社の電子産業に関する技術力は皆無に等しかった。しかも当時の韓国は、電子製品の代表ともいえるラジオやテレビも、すべて外国から輸入している状態だった。そのため、電子産業への進出にリスクを伴うことは必至で、決定するまでには1年もの時間を費やしたという。

ラジオの国産化を目指し、電子産業への進出を決定した後、「金星社」を設立。1959年には同社としては初の製品となったラジオ「A-501」が発売された。その後も、扇風機や電話機、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、カセット録音機などを相次いで発売。輸入品ではない、国産の製品を次々と韓国市場に提供していった。

1958年当時、釜山市にあった金星社(現LG電子)の工場

金星社(現LG電子)が開発した白黒テレビ

積極的に国外にも進出

ニューヨークのタイムズスクエアにあるLG電子の広告

LG電子の国外進出の歴史は、1962年に62台のラジオを米国に輸出したことから始まる。大きな記録ではないが、大きな一歩となった。そうして事業展開を続けるうち、国外事業進出の機会もやってくる。

最初の国外拠点はニューヨークで、1968年に支社を設立した。国際的にも通用する製品をつくることに注力するため、1975年12月には研究所を設立。努力のかいあってか、1978年12月には輸出1億米ドル(約100億円/1米ドル=100円)を達成した。同社によると、これは韓国の家電業者としては初めてという快挙だったという。ラジオを米国に輸出した初輸出から16年後のことである。

そして1982年10月には米国アラバマ州に国外生産法人を設立。これを機に、次々と国外拠点を増やしていった。そして現在では、国外法人は82にまで増えている。

LG電子によると、2007年の輸出額は183億米ドル(約1兆8,300億円)だったという。同社が輸出を開始した1962年は、50,000米ドル(約5,00万円)に相当するラジオ3,592台を米国に輸出していたということからも、同社の国外での活躍ぶりがわかる。

オイルショック、労使衝突を乗り越え現在に

現在のLG電子

LG電子によると、同社は1980年を除けば、すべての年で黒字経営を続けてきたという。1980年の赤字転落はオイルショックの影響ということで、韓国の産業界が全体的に困難な時期にあった。

これと同様に経験した困難はいくつかあるが、中でももっとも大きかったものとして同社は、1987年と1989年に起こった労使衝突を挙げる。これにより1987年には10日、1989年には36日もの間、操業が中断することとなった。この影響で同社は、億ウォン単位の損失を出している。

大規模な労使衝突への対策として同社では、既存の垂直的な労使関係を水平的な概念に変え、お互いに協力するというコンセプトの「労経共同体」を構築した。経営を透明化し、公正な保証体制を築くことで、1990年以降続けて労使衝突のない賃金交渉妥結を実現しているという。

電子産業に関するノウハウがまったくない状態から、韓国を代表する企業にまで発展してきたLG電子の50年史を振り返ってみると、開拓の連続だった。技術力を養い、世界進出を果たした今、次の一手はどうくるのか、そしてどう発展していくのかが楽しみである。