NECの東京本社ビルは土一升に金一升の東京都心に位置し、林立する周りの高層ビル群の中でもとりわけ豪壮だ。しかし、中国北京では、IBM、Hewlett-Packard(HP)、Microsoftなど外資系の企業や聯想(Lenovo)などが専用のオフィスビルをもつのに対し、NECは中国においてまだ単独で専用のオフィスビルを持っていない。これは、NECの本来の実力にはそぐわない感がある。

NECは、日本のIT、とりわけ通信分野において一貫して先導者としての地位を保っている。しかし、中国市場においては、進出後して30余年になるとはいえ「後から来た者」のIBM、HPなどの欧米系企業、聯想などの中国本土企業に、ある意味では追い抜かれてしまったのだ。

そぐわないといえば、今日の中国において人々がNECに対して抱くイメージにも、NECの実際の規模や実力にはそぐわない、相応しくない部分がある。

たとえば日本では、NECのソフトウェアは自他共に認める地位にあるので、製品の販売時にブランド推進をする必要が特にない。しかし中国では、NECのソフトウェアはブランド知名度が非常に低いのだ。中国市場においてNECと直接競合しているのが、IBM、Oracleなど、中国市場に長年浸透してきた国際的著名ブランドだから、なのかもしれない。

日本のその他のIT企業と同様、中国に進出して長い年月を経たNECも、種々の事情で真の意味での「中国戦略」を明示したことがなかった。比較的早い時期に中国に支社を設立した外資企業として、NECはこれまで、中国で数え切れないほど多くの分枝機構を設立したのだが、これら数多の独立した「ミニNEC」は互いの連携が弱く、資源が分散してしまい、NECの組織構造における「推進力」を欠乏させてしまった。NECが、来るべき整合の「陣痛」を受けざるを得なくなったのは、ある意味、必然だったのだ。

2004年初頭、NECは在華企業に対する大掛かりな合併と再編成を実施したが、これはNECが中国へ投資を始めてから30年この方、はじめて実施された本格的なリストラクチャリングだった。2004年6月1日、NECは中国にある全ての通信企業を整合し、NEC通訊(中国)有限公司を設立。元Motorola携帯電話中国地区総経理の盧雷氏を招聘し、これが日本のIT企業の中国における事業再編成のシンボル的な出来事となった。その後、さらに全てのIT業務を整合してNEC信息系統(中国)有限公司を設立した。

2005年10月、NECはNEC電子(中国)有限公司を設立し、関係する設計、開発部門と販売部門を併合した。半導体業務発展の必要に応じ、NECはその半導体業務に対して大胆な方向転換と体制改革を行った。新たに設立されたNEC電子(中国)有限公司が、今後はより具体的な仕事を仕切っていくという。