2004年下半期以降、NECは中国におけるブランドイメージの再建に大量の人力と財力を注ぎ込んだ。新しい経営チーム、新しいブランド戦略、新しい製品、それに、億元を単位とする巨額の広告費。

CCTVの「標王(最高額でコマーシャル枠を落札した企業)」を"ブランドの墓場"と揶揄する人がいる。勿論それは多少大げさだが、NEC通訊の広告効果を実情から顧みると、ブランドイメージを高めんがため、半ば盲目的と表現したくなるほど猪突猛進の広告施策を打ちはした。しかしその反面、例えばメーカーとしては最重要であるはずの製品性能や品質管理に齟齬が目立ち始めるなど、マイナス面も目立つようになった。結果、ブランドの知名度と市場シェアは若干アップしたものの、顧客満足度と営業成績が下降してしまった。いまやNECの携帯電話といえば、人々の印象に残っているのはそこら中の広告と、"イメージ大使" 陳好嬢の涼やかな笑顔だけである。

2006年11月23日、NEC通訊はついに中国国内市場からの撤退を発表。いつの日だったか、三菱の「小菲」は当時若い女性たちの心を掴んだ個性的な携帯電話だった。また、GD92、GD88などの売れ筋機種を持つ松下GDシリーズも同様に輝かしかった。ましてNECときたら、中国で真っ先に800MHzアナログネットワークに初のモバイル電話機を提供したメーカーだ。そうした、過去にまばゆいばかりの存在感を示した日本企業の携帯端末が、いまやそろって中国市場から撤退、なのである。

NECの中国における業務範囲は多分野にわたるが、表層に現れている問題の根は1つ。それは業績の伸び悩み、損益状況の悪さ、業界のリーダーになりにくいなど様々な問題として立ち現れている。中国に進出して30余年になるNECにとって、中国そのものに対する認識を、この辺で一度改めてみる必要があるのではないか。少なくとも、中国人現地社員の創造性や意欲を、どうしたらかきたてられるのかを根本から考えてみるべきだ。現地経営という点から考えれば、これこそが、一見遠回りに見えても、現在の苦境から抜け出せる近道のように思う。