いまの場所にたどり着くまでに、どんな選択があったのか――。この連載では、道を切り開き始めた次代の担い手たちに、歩んできた決断の背景と、その先に見据える未来を聞いていく。それぞれの選択がどのように現在をつくり、次の挑戦へつながっていくのかを、記録していく試みだ。

本稿で話を聞いたのは、お笑いコンビ・ダイタク。吉本大さんと吉本拓さんは1984年12月28日生まれ、熊本県熊本市出身。一卵性双生児。2008年にコンビを結成し、M-1グランプリ2024ではラストイヤーにして初の決勝進出を果たした。双子ならではの空気感を持つ二人に、吉本興業東京本部で話を聞いた。

芸人は「目指す」ものではなく「なるもの」だと思っていた

――まずはお二人が漫才師の道を選んだきっかけについて教えてください。

吉本大さん(以下、大):明確なきっかけがあったわけではないんですけど、物心つく前からお笑いはずっと好きでした。親から聞いた話だと、正月の漫才特番で師匠方が漫才をやられているのを食い入るように見ていたらしいです。熊本でも土曜日に『吉本新喜劇』が流れていたので、それも欠かさず見ていて。小学校でも新喜劇の真似をしたり、人を笑わせたりすることが好きでしたね。

吉本拓さん(以下、拓):僕らは二人とも感覚が基本一緒なんです。小学校5、6年生のときに初めて二人で漫才を作って、2歳上の兄貴の部屋に行って数回披露したこともありました。中学に上がってからは一旦そういうことはなくなりましたが、M-1や『爆笑オンエアバトル』はずっと見ていました。

――「芸人になろう」と決めた瞬間はいつだったのでしょう。

大:僕らは「なろう」と目指したというより、「なるもんだ」と思って生きてきたんです。例えば、親父が寿司屋だったら、子供心に「自分も将来は寿司屋になるのかな」と漠然と思うじゃないですか。その感覚に近いんですかね。テレビを見ていて、「いつか自分もこうやってお笑いの仕事をするんだろうな」と、根拠はないけど確信に近いものを持っていました。

拓:ずっと「芸人になるんだろうな」という不思議な感覚でしたね。

――しかし、高校卒業後はすぐに養成所へは行かず、大さんは大学へ、拓さんは就職という道を選ばれましたね。

大:18歳で熊本を出るときはアパートの借り方もわからない状態でしたし、お互いに「お笑いをやろうぜ」と言う勇気もまだなかったんです。僕は進学校に通っていたこともあって、その流れで大学へ行きました。当時はどこかで、「芸人になるはずの人生なのに、少し逸れてきてるのかな」という違和感はありましたね。

拓:僕も仕事をしていて順調ではあったんですけど、ずっと違和感がありました。僕らは基本的に、仕事と言われるジャンルのことは割と何でもできてしまうんです。僕はスーパーの精肉部門にいたんですが、特に経験もないのに包丁が使えて、ロース100グラムを感覚でピタリと切れたりする。でも、周りはそれができない人も多くて。そういうときに、「社会って意外と簡単なんだな」と思ってしまうからこそ、逆に長続きしない。

大:僕も居酒屋のバイトで、洗い場から始まって一気に焼き場まで任されるようになりました。「1週間でここまで来たのはお前が初めてだ」と言われるくらい器用だった。でも飽き性なんですよ。自分たちのこういう感覚が通用するなら、お笑いも向いているんじゃないか、という思いが日に日に強くなっていきました。

「芸人になる」と周りに言うのが恥ずかしかった

――そこからどのようにしてコンビ結成に至ったのですか?

大:大学卒業のタイミングで、僕から拓に電話しました。「仕事を辞めて戻ってこい」と。

拓:その時、大から「芸人になろう」とは言われていないんです。でも、こいつも卒業だし、そろそろそういうタイミングなのかな、とピンときましたね。

――周囲の反対などはなかったのでしょうか。

大:親には、拓が帰ってきたタイミングで家族で飲みに行って、二人で正座して「実は東京へ行ってお笑い芸人になりたい」伝えました。親はびっくりしていましたね。むしろ僕らも「え、気づいてなかったんだ」とびっくりしましたけど(笑)。「二人で居酒屋でもやるのかな」くらいには思っていたらしいです。父からは「そんな甘い世界じゃないぞ」と言われた記憶がありますが、それほど強い反対ではなかったです。

拓:僕は会社を辞めるとき、周りに「映画監督になります」と言って辞めました(笑)。「芸人になる」と言うのが、なんだか恥ずかしかったんですよ。当時はまだそんなに芸人を目指す人も多くなかったし、映画監督なら「大きな夢を追いかけているんだな」と思ってもらえそうじゃないですか。いろんな意見が入ってきて自分の気持ちが揺らぐのも嫌でしたしね。

――その後、いざNSCに入ってみて、手応えはいかがだったのでしょう。

大:最初のネタ見せの授業で全然ウケなくて、めちゃくちゃ焦りましたね。アパートで二人でネタを作って「面白いじゃん」と思っていたことが通用しない。「やばいやばい」と焦りました。

拓:その時は「双子」ということを全く出さずに、普通の学校あるあるネタをやっていたんです。そしたら講師の先生に「なんで双子なのに普通の漫才やってるの?」と言われて。「中川家さんも兄弟ネタばかりじゃないし、なんで俺たちだけそんなこと言われなきゃいけないんだ」と最初は思いましたが、2回目で双子を生かしたネタをやったら、ドカンとウケた。そこで自分たちのお笑いはウケるんだと自信に変わりました(笑)。

「テレビが怖い」と感じた若手時代

――デビュー後、すぐに『爆笑レッドカーペット』などのテレビ番組に出演されましたね。

大:ありがたいことに1、2年目でトントンと出させていただきました。ただ、当時は全く地に足がついていなくて、今田耕司さんに振られても面白いことが返せるわけでもない。周りの芸人が努力で出てきている中で、自分たちは「双子だから呼んでもらえた」という感覚が強くて。テレビが怖いとさえ思っていましたね。

拓:自分たちができないことに気づき始める時期でもあったんですよね。大喜利やギャグなんて、やろうと思えばできると思っていたのに、ライブでやってみたら全くウケない。同期でもウケる奴はウケるのに。「俺の脳みそは大喜利に向いていないんだ」と早々に諦めがつきました。

――その後はトントン拍子に評価も上がっていったのでしょうか?

大:いやいや、むしろ4、5年目の頃が一番精神的にキツかったかもしれません。後輩がどんどんテレビに出て売れていく中で、僕らは劇場メンバーから外れたりもして。

拓:僕はその頃、当時「ゆったり感」というコンビで活動していた中村(ひでゆき)さんという先輩に「双子漫才じゃM-1は勝ち上がれないと思うんです」と相談したこともあります。他の人は自由にやっているのに、僕らは双子という型に縛られて、やれることが少ないんじゃないか、と。そしたら中村さんに「全然いけるでしょ」と言われて、「あ、双子漫才ではダメだと思っているのは自分たちだけなんだ」と気づかされました。

――今振り返ってみて、特に大きなターニングポイントはどのあたりでしたか?

大:2015年にM-1が復活して、準決勝に行けたときですね。準決勝にいけるのが25組という狭き門になった年で、若手で行けたのは僕らとセルライトスパと相席スタートだけでした。あとは全員先輩という中で準決勝に行けたのは、ひとつの自信になりましたね。

「優勝したい」という熱意よりも大切だったもの

――2019年から2023年にかけては、準決勝まで行くものの決勝には届かない、という時期もありましたね。

大:2019年に考え方が少し変わりました。それまで賞レースのために新ネタを作り続けてきましたが、マジカルラブリーの村上さんから「もう新ネタは作るな。昔のネタで全然決勝に行けるし優勝もできるから、もっと客席に合わせろ」と言われたんです。

拓:僕らは双子ネタを突き詰めすぎて、マニアックなところまで行きすぎていたんですよ(笑)。それで2019年の予選では、あえて5、6年前のわかりやすいネタをやったんです。そしたら「なんで今までこれやってなかったの?」と周りからも山ほど言われました。

――そして2024年、コンビ結成15年目のラストイヤーで見事に決勝進出を決めました。

大:正直な話をすると、決勝に行った時は「優勝したい」とはあまり思っていませんでした。

――意外ですね。どういう心境だったんですか?

大:「決勝に行ければいい」と思っていましたね。自分たちが大会を引っ張って優勝に向かっていく、というほどの熱意はなかったというか。

拓:2019年のラストイヤーで、尊敬する先輩の囲碁将棋さんが決勝に行けず、敗者復活でも最下位になってしまったのを間近で見ていたんです。あの感情を出さない根建(太一)さんの手が、悔しさで震えているのを見て、「これ一回は決勝に行っておかないと。囲碁将棋さんでもこうなるんだ……」と思ったし、とにかく一回はあの場所に行っておかなければ、という思いが強かったんですよね。

大:ラストイヤーで披露したネタも、単独ライブに向けて「ヒーローインタビューの設定とかやってないな」と、15分くらいでパッと作ったものだったりします。考えすぎてもダメだし、最後は運よく通してもらった、という感覚が強いですね。

「自分の人生が、楽しみで仕方ない」

――今後の目標や、将来のビジョンについて教えてください。

大:やっぱり楽しみながら生きていきたいですね。自分が楽しくない仕事はやりたくない。でも、楽しむためには自分たちが楽しめる環境を作らなきゃいけないし、来てくれるお客さんを喜ばせるのも当然のことです。そのために、NGK(なんばグランド花月)やルミネで師匠方に少しでも追いつけるよう精進したいですし、最近は即興漫才もやっています。他の誰にもできないことを、キャリアとして残していきたいですね。

拓:僕は、知名度はあるに越したことはないと思っています。メディアに出るのも、やっぱり全国ツアーで各地を回りたいからです。知名度があれば動員も増えるし、より多くのお客さんに笑いを届けられる。そのための活動なら、これからも積極的にやっていきたいです。

――現在は全国ツアーの真っ最中ですが、手応えはいかがですか?

大:毎年、ルミネとNGKで新ネタを全部下ろす単独ライブをやっていますが、お客さんが年に一度の風物詩のように楽しみにしてくれているのをすごく感じます。去年を超えないといけないというプレッシャーもありますよ。正直、ネタを作っている時期が一番辛いですし、逃げ出したくもなります。でも、それはもう自分でかけている枷というか。お客さんに楽しんでもらうために、自分たちが背負わなきゃいけないものだと思っています。

拓:今年は初めて地方も細かく回っていますが、熊本や仙台、北海道でも400~500人規模の会場にお客さんが入ってくれて驚きました。もっと動員を増やして、いろんな場所で笑いを届けられるようになりたいですね。

――最後に読者にメッセージをお願いします。

大:僕は自分の人生が楽しみで仕方ないんですよ。だって、80歳になってヨボヨボになった一卵性双生児のおじいちゃんが漫才してたら、それだけでめちゃくちゃ面白くないですか?(笑)

そこに至るまでの過程には、きっといろんなことが起きますよね。極端な話、もし拓が今死んだとしたら、僕の人生は大きく変わってしまう。でも、そうなったらなったで、自分の人生がどう転がっていくのかをどこかで楽しみに思えてしまうマインドもある。何が起きても、それが自分の人生の見どころになるというか。

拓:僕はテレビっ子だったから、さんまさんやたけしさんの言うことを全部信じているんです。「病院なんて行くから悪いところが見つかって、ストレスで余計に悪くなるんだ」という教えを守って、東京に来てから一度も健康診断に行っていない。不調が出たら、それはもう「終わりの始まり」だと覚悟しています(笑)。タモリさんの「恋愛映画は見ない」というこだわりも格好いいなと思って、それ以来一本も見ていません。

大:でも本当に、僕自身の人生がこの先どうなっていくのか、僕らが一番楽しみにしています。皆さんも、ぜひこれからのダイタクを、僕らの人生と一緒に楽しみに見守ってください。

――お二人の歩みの続きを楽しみにしています。ありがとうございました。

『ダイタクの60分漫才~2026 秋~』
【東京】有楽町よみうりホール 10月10日(土)開場13:00/開演14:00 ※会場チケット完売
【大阪】なんばグランド花月 11月2日(月) 開場19:00/開演19:30
前売4,000円|当日4,500円|配信2,000円(大阪公演のみ)