チタンパーツを組み合わせたメタルケースでありながら耐衝撃性能を備え、細部に至るまで高度な加工技術や手間のかかる仕上げを施したG-SHOCKの最上級シリーズ「MR-G」。
現行ラインアップではエントリーモデルでも10万円という高額なシリーズだけあって、鍛造成形のケースやDLCコーティングされたベゼル・バンドなど、他のG-SHOCKにはあまり見られない高級なパーツがふんだんに用いられているが、毎年数量をごく限定して発売される特別仕様モデルは、MR-Gの他モデルさえ圧倒する最高級品とあって、飛び抜けたプレミアム感を演出するフィーチャーが盛り込まれている。
その特別仕様モデルとして今年7月に発売される「MRG-8100B」では、MR-Gの「タフネス感」と「美しさ」を表現するため、再結晶ルビーに着目。G-SHOCKとして初めて材料に宝石を採用している。しかも、時計に宝石が用いられる場合は文字板上の装飾品として並べられることが多いところ、今回のMR-Gでは大型の結晶をリング状に切り抜いて文字板の都市コードリング部分に採用するという、従来考えられなかった用いられ方になっている。
この再結晶ルビーを開発したのが京セラである。同社では35年にわたって再結晶宝石の開発・製造を行ってきており、同社の再結晶ルビーでなければ今回のMR-G特別仕様モデルの実現は難しかったという。ファインセラミック技術や半導体・電子部品などで知られる同社の再結晶宝石は、天然宝石や他の人工宝石にないどのような特徴を持つのか、京セラ 宝飾応用商品事業部で事業企画を担当する吉井毅氏、開発技術を担当する西垣雄一氏に聞いた。
天然宝石と同じ物質を技術の力で生み出す
京セラが再結晶宝石の研究に着手したのは創業からわずか10年あまり後の1970年。きっかけは、創業者の稲盛和夫氏が商用でニューヨークを訪れた際に立ち寄った5番街の宝飾品店で、天然宝石にも不純物の混入やキズが多く含まれているものもあるが、産出量が少ないがゆえそのような宝石も商品化され高価で流通している、という話を聞いたことにあるとされる。
京セラ 宝飾応用商品事業部 事業部室 事業企画課の吉井毅氏 |
当時既に、人工宝石の製法自体は存在していた。しかし、京セラがファインセラミック事業で培った製造技術を応用すれば、天然宝石に負けない宝石――というよりも、天然では極めて限られた量しか得られない「最も美しい色の宝石」――を、技術の力によって多くの人に届けることができるのではないか、というのが稲盛氏の考えだったという。
天然宝石と、再結晶宝石の違いは何か。結論からいえば、物質としての性質には違いがない。自然環境の中から掘り出されたか、人の手によって作られたかという、生まれた環境が異なるのみで、化学的・物理的・光学的性質はほぼ共通である。なぜ「ほぼ」かと言えば、不純物の混入、ひび割れやキズといったものがないので、例えばより透明度が高いといった特徴があるからだ。
よく「模造ダイヤ」などと呼ばれるものにジルコニアの結晶がある。ダイヤモンドを思わせる輝きを持っており、宝飾品としての利用価値はあるものだが、あくまでダイヤモンドの炭素(C)とはまったく異なる、二酸化ジルコニウム(ZrO2)という物質の結晶である。それに対して今回取り上げる再結晶ルビーであれば、正真正銘のルビーそのものにほかならない。繰り返しになるが、その違いは自然が作ったか人が作ったかだけであり、理論的にはむしろ理想的な色や透明度を得ることができる。
加えて言うならば、天然宝石は前述のような不純物やキズが避けられないため、例えば細かなひび割れの中にオイルを注入したり、人工的な着色・染色が行われたりしたものが多いという。再結晶宝石は最初から不純物やキズを含まないものだけを商品として出荷するので、人工処理を行う必要がなく、退色などの経年劣化がないという特徴もある。
1年以上をかけて結晶を育てる
再結晶宝石を作る工程自体はシンプルなものだ。天然宝石と同じ成分を含む鉱物を精製して不純物を取り除き、るつぼの中で高温に加熱して溶かす。そこに再結晶時の核となるタネ結晶(ルビーの製造であれば、ルビーの小結晶)を入れ、るつぼの温度を下げていくと、タネ結晶の周囲に結晶が成長し、大きな再結晶宝石が完成する。理科実験の題材としてよく知られる、食塩やミョウバンの結晶作りと原理は変わらない。
京セラ 宝飾応用商品事業部 宝飾品部 開発技術課の西垣雄一氏 |
とはいえ、そのような実験をやってみたことのある人なら理解できると思うが、形や色の美しい大きな結晶を作るのは非常に難しい。特に、美しい結晶を得るためには長期間かけてゆっくりと結晶を成長させていく必要があり、例えば同社ではエメラルドの再結晶を行う場合、実に半年から1年という長い期間をかけて少しずつるつぼの温度を下げていくのだという。
製造では、20世紀初頭にフランスの化学者・ベルヌーイが確立した製法が広く使われている。粉末状に細かくした材料を高温の炎の中に落とし、溶けた材料を下に用意したタネ結晶の上に垂らしていくことで、結晶を成長させるというものだ。しかし、この方法は結晶の成長スピードが非常に速いため、結晶の中に「成長縞」と呼ばれる同心円状の縞模様が発生する。長い実績のある製法なので、現在の技術では素人が一見しただけでは成長縞を確認することはできない水準の製品もあるが、プロの目で見ると品質の違いがわかるものだという。
京セラの再結晶宝石の場合、宝石を事業化する動機が「最も美しい色の宝石の再現」であったため、このベルヌーイ法はとらず、半導体材料の製造などにも利用される高度な製法を採用しているという。結晶の成長速度が遅い分製造コストも大きくなるが、最高の品質の結晶を作るためには当然の選択ということだ。
また再結晶エメラルドの場合、大きく成長した結晶は、その中でも美しい部分だけがカットされ、熟練した職人の手による研磨工程を経てようやく1個の宝石となる。再結晶で得られた結晶の全量を100%とした場合、最終的に商品として世に出るのはわずか数%程度のみ。場合によっては1年以上にわたる長い製造工程だが、天然宝石が地中で生成されるのに億単位の年数がかかることを考えると、その過程を一瞬で再現するのが再結晶宝石の製造プロセスであると言えるだろう。
美しさは材料としての優位性でもある
京セラでは1975年に実現した再結晶エメラルドを皮切りに、アレキサンドライト(1976年)、ルビー(1979年)、オパール(1980年)、パパラチア(1981年)、スタールビー(1984年)、ブラックオパール(1984年)、ブルーサファイア(1987年)、クリソベリル(1997年)、スターサファイア(2000年)、ファイヤーオパール(2001年)、バイオレットサファイア(2002年)とさまざまな人工宝石の商品化に成功してきた。
1975年、京セラとして初めて商品化した再結晶宝石のエメラルド |
同社では再結晶エメラルドの製品化と同時に、主に「クレサンベール」のブランドで宝飾品事業を展開し、現在では全国5つの直営店をはじめとする宝飾品店の店頭に再結晶宝石が並んでいる。
そのようにして30年以上にわたり作り続けられてきた京セラの再結晶宝石だが、MR-G特別仕様モデルにおける採用は、従来の宝石商品の展開とは一線を画すものだ。今回のMR-Gのフェイスを見ればわかるように、文字板の周囲にある再結晶ルビーは、宝石としての強い主張をせず、ただそこに鮮やかな赤いリングとして存在する。つまり、「宝飾品」としてではなく、時計を形成するひとつのパーツとして使われている。
宝石の採用はG-SHOCKにとっても初の試みだが、実は京セラにとっても、最高品質の人工宝石を、宝飾品でなく部品材料として提供するのは初だという。しかしそれは、同社の再結晶宝石の品質が優れていることの証明でもある。
MR-Gの文字板に用いられたルビーのリングを間近で見ても、どこに切れ目があるのかはわからない。それは当然で、このリングに切れ目はなく、1個の巨大なルビーの結晶を切り抜いて直径約3cm(4.85カラット)の環としたものだからだ。
エメラルド、アレキサンドライトに続いて商品化した再結晶ルビー |
このような加工に耐えられる大きさ・品質でしかも美しいルビーは天然にはほとんど存在せず、仮に存在したとしても、誰の手にも届かないほど高額で取引されることになるだろう。また、人工ルビーであれば結晶の大きさはクリアできるかもしれないが、結晶が硬く品質が安定していないと、複雑な加工に耐えられず割れてしまう。しかも、高級時計の文字板に使われる以上、当然のことながら美しくなければならない。
このような条件を満たすルビーが、京セラの再結晶宝石だったというわけである。京セラは2009年秋に開催されたエレクトロニクスの見本市「CEATEC JAPAN」で初めて材料としての宝石を展示し、そこでは大きな結晶を得られる点もアピールしたということだが、初採用においてこれだけ大きなサイズでの使われ方をするとは予想していなかったという。
「宝飾の世界だけで考えていたら、ルビーをこのような大面積で使うという発想自体がありませんでした。より多くの方に素材として宝石を使っていただくことで何が生まれるか、その可能性を知ることができる大変良い経験でした」(吉井氏)。
もちろん、単に採用例の数が増えれば良いというわけではない。京セラの宝石は引き続き高級宝飾品として展開されており、そのブランド価値を損なうような応用製品が世に出ることはあってはならない。この点では、G-SHOCK最高峰モデルの「強さと美しさ」を表現するための材料として、まさに強さ・美しさが売り物の再結晶宝石が採用されたのは、最初の取り組みがベストな形で実を結んだものと言えるだろう。
京セラでは、カシオの時計事業とのパートナーシップについて、装飾用素材としての展開を含め、さらなる可能性を探っていくとしており、今後のG-SHOCKニューモデルにおける新たな展開にも期待が持てる。