セイコーエプソン(以下、エプソン)のロボティクス事業が、2023年5月に、40周年の節目を迎えた。同社の基幹事業であるマイクロピエゾ方式によるインクジェットプリンティング事業が今年で30周年を迎えたが、ロボティクス事業は、それ以上の歴史を持つ事業だ。産業用途向けの水平多関節型(スカラ型)ロボットを中心に事業を拡大。エプソンが掲げる「省・小・精」のモノづくりを支える技術であるとともに、産業スカラロボットでは12年連続で世界トップシェアを誇るなど、グローバルに展開する外販事業としても存在感を発揮している。エプソンのロボティクス事業の過去、現在、未来を追った。

  • セイコーエプソンのロボティクス 40周年の過去、現在、未来(前編) - 世界トップへ、はじまりは腕時計の組立ロボット

    同社のFA機器外販の第1号となった、水平多関節型精密組立用ロボット「SSR-Hシリーズ」。1983年5月に販売を開始した

  • 12年連続世界シェアNo.1(※)のスカラロボット
    (※産業用スカラロボットの2011~2022年の数量ベース出荷実績において。株式会社富士経済『2012~2023年版ワールドワイドロボット関連市場の現状と将来展望』調べ)

エプソンのプリンタやプロジェクター、ウオッチなどを利用していても、エプソンがロボティクス領域で事業を展開していることを知っている人は少ないかもしれない。だが、その歴史は、プリンタやプロジェクターよりも長い。

40年前、ロボット開発プロジェクトを発足

エプソンがロボティクス事業を開始したのは、1983年5月。いまから40年前に遡る。

1981年に、のちに社長を務める中村恒也氏の号令のもと、ウオッチ自動組立ロボットの開発を目指して、同社工機部のなかにロボット開発プロジェクトを発足。機械、電機、ソフトウェア、組立などに精通した7人の社員がプロジェクトチームに参加し、試行錯誤を繰り返しながら、第1号機として、水平多関節型精密組立用ロボット「SSR-Hシリーズ」を、1983年5月に完成させたのがはじまりだ。

もともとエプソンには、独自の技術を差別化要素として、モノづくりを進めてきた経緯がある。そして、独自技術を採用したモノづくりのために、製造装置も自ら作り上げることも文化として根づいている。

また、自動化への取り組みにも早い段階から積極的だった。ウオッチ製造においては、1950年代からベルトコンベア方式を採用し、1968年からは生産部門における機械効率化を推進するためのR(Revolution)計画をスタート。その後も、組立の自動化や長時間の無人稼働、自動塗装や自動メッキ設備の導入などにも取り組んだ経緯がある。

そして、腕時計部品の加工からスタートしたエプソンは、ウオッチ事業を発端として様々な事業を創出しており、水晶や半導体もそうした流れで生まれた事業である。ロボティクス事業も、ウオッチ事業への取り組みが母体となって生まれた事業のひとつである。

こうした背景をもとに開発をスタートした組立用ロボットは、安定的な動作を行うための機構や制御技術を独自に開発。エプソンが、まったくノウハウを持たない分野であったにも関わらず、2年間で実用化できるレベルのロボットを完成。「無いものは、自分たちで作ってしまう」という高い技術力が、ここでもいかんなく発揮された。

  • ロボット事業の歴史、主な出来事(1)

完成した「SSR-Hシリーズ」は、腕時計の自動組立に柔軟性を持たせ、多品種少量生産に対応する産業用ロボットであり、4つの同時制御サーボ軸(モーターで制御可能な軸)を持ち、ソフトウェアで動作変更ができる点が特徴だった。

位置繰り返し精度では、標準タイプで±30μm、高精度タイプで±15μmという「高精度」を実現するとともに、最大動作スピードでは2m/秒の「高速性能」を達成。いずれも他社製ロボットと比較して2倍以上の性能を発揮した。

「SSR-Hシリーズ」は自社の腕時計組立ラインへの導入を図るとともに、ロボット推進室を設置し、外販をスタート。国内電子デバイスメーカーに、電子部品の搬送用途で納入したのを皮切りに、自動車、バイオテクノロジー、電子、医療、光学、通信機器メーカーなどに納入。欧米市場にも対象を広げ、販売台数を着実に増やしていった。

このように自社向けに開発したロボットをベースに外販を行うというのが、エプソンの事業モデルの基本であり、それは現在まで続いている。

エプソンのロボティクス事業は、なぜ成長できたのか

「SSR-Hシリーズ」が販売実績を積み重ねることができたのには理由がある。

高精度、高性能とともに、ロボットに動作順序や位置を教えるティーチング/プログラミング装置に、当時のエプソンの人気ハンドヘルドコンピュータ「HC-20」を採用。さらに、組立用として、BASICに準拠した独自開発のロボット言語「SPEL」を提供したことで、それまでのスカラ型ロボットの「遅い、不器用」というイメージを一新。また、トラブルを未然に防ぐために備えられたシステムプログラムチェック機能、電源異常や漏電、オーバーラン、断線などを検出する機能を搭載。自己診断や安全機能の面でも高い評価を得たことがあげられる。

  • ティーチング/プログラミング装置に、当時のエプソンの人気ハンドヘルドコンピュータ「HC-20」を採用

さらに、組立ラインにスムーズに導入できるコンパクトサイズを実現していたのも、「SSR-Hシリーズ」の特徴のひとつである。従来製品の多くは6kgまでを可搬する大型なものが中心であったが、「SSR-Hシリーズ」は1kgまでの可搬を対象としたものであり、新たな市場領域を開拓。これは、「省・小・精」を強みとするエプソンのロボティクス事業における基本コンセプトとなっている。

その後、クリーン度クラス1のスーパークリーンロボットやWindows対応ロボットシステム、ショートアームスカラロボット、360度旋回型スカラロボットなど、業界初の製品を相次ぎ投入。産業用スカラロボットの販売台数では、2011年から12年連続で世界ナンバーワンシェアを維持している。

  • ロボット事業の歴史、主な出来事(2)

なかでも、OEM供給を受けて2003年から販売を開始していた垂直6軸ロボットでは、2009年に独自開発の垂直6軸ロボット「C3シリーズ」を発売。6つの関節の制御を行うことで、より自由度が高い複雑な動きを可能にしながら、エプソンが得意とする省・小・精の技術を活用し、他社が8kg可搬、6kg可搬を主力とするなかで、3kg可搬という小型化を達成。これが、市場に登場したばかりのスマホの精密なモノづくりに最適なサイズとして高い評価を得たほか、それまでは生産ラインに6軸ロボットを導入する際には、堅牢で高額な専用土台が必要だったのに対して、C3シリーズでは、小型、軽量化により、土台の軽量化にも成功。独自のスマートモーションコントロール技術と、水晶センサー技術により、軽量化しても、高速、正確、低振動を達成し、安定した稼働を実現した点が高い評価を受けた。

  • エプソン初の6軸ロボット「C3シリーズ」

さらに、後継モデルとなる2012年発売のC4シリーズでは、MEMS技術を活用したQMEMSセンサーを搭載。振動を3分の1に抑えることに成功してみせた。エプソンが持つ水晶センサー技術の強みは、ロボティクス事業にも生かされ、大きな差別化要因にもなったというわけだ。

ちなみに、C4シリーズは、エプソンのプリンティング事業のコア技術となるPrecision Coreプリントヘッドの自社生産ラインにも導入されている。

  • 社内製造プロセスでの導入事例

その後も、スカラロボットおよび垂直6軸ロボットのラインアップを拡大。現在、スカラロボットでは、GXシリーズ、Gシリーズ、RSシリーズ、LSシリーズ、T3、T6を商品化。垂直6軸ロボットでは、N2、N6、Cシリーズ、VT6をラインアップしている。

  • 小型精密ロボットのラインナップ

エプソンのロボティクス事業において、大きな転換として見逃せないのが、2013年に、ロボティクス事業が、技術開発本部FA機器部から独立し、大型プリンタ事業とともに、インダストリアルソリューションズ事業部となったことだ。技術部門における取り組みだったロボティクスを、プリンティング事業などと同様に、独立した事業のひとつに位置づけたのだ。

また、2015年には、ロボティクスソリューションズ事業部に名称を変更。大型プリンタ事業を切り離し、ロボティスク事業が初めて、単独組織として独立した。それに合わせて、長野県安曇野市の豊科事業所にロボット生産ラインを設置している。

さらに、2021年はマニュファクチュアリングソリューションズ事業部に名称を変更。ここでも、ロボティクス事業の新たな方針性を示したといっていい。

  • 生産性・柔軟性が高い生産システムを共創する「マニュファクチャリングイノベーション」を掲げる

セイコーエプソン 執行役員 マニュファクチャリングソリューションズ事業部長の内藤恵二郎氏は、「ロボティクス事業をはじめとしたエプソンが持つ様々な技術を組み合わせることで、工場現場における各種課題を解決することができる。それらの独自技術をまとめることで、社会貢献することを目的とした組織がマニュファクチャリングソリューションズ事業部である。ロボティクス事業ししては、一度広がりを抑えて、マニュファクチュアリング領域に範囲を狭めたともいえる。だが、これにより、モノづくりの領域のお客様に寄り添い、ロボティクスおよび関連領域の技術によって、モノづくりの困りごとを解決する、お客様起点での事業に移行することができた」とする。そして、「モノづくり現場に徹底的にフォーカスする一方で、介護ロボットや物流ロボットといった方向に対して、事業の幅を広げたり、販路を広げたりといったことは当面やらないことを決定した」とする。

その方針を裏づけるように、2018年6月には、射出成形機、金型および関連部品の開発、製造、販売を行う新興セルビックを100%子会社化し、2021年6月には、社名をエプソンテックフオルムに変更した。その一方で、1984年から事業を進めてきたICハンドラー事業を、2021年4月に、兼松に譲渡。これも、モノづくり現場にフォーカスしたマニュファクチャリングソリューションズ事業の実現に向けた再編のひとつだった。

「お客様の工場を進化させる際に、次に必要なものはなにか、環境配慮という観点からどんなものが必要になるのかといったように、お客様視点で事業を再構成した」と説明する。

ICハンドラーも、一定の事業規模を持っていたが、単にその規模を維持することよりも、ロボティクス事業の広がりにつながるかどうかという点から、事業の位置づけを判断したことが事業譲渡の理由にあげられる。

ロボティクスの可能性を示した次世代型ロボットの登場

この基本方針を打ち出す上で、もうひとつ象徴的な出来事があった。それは、2021年3月に、自律型双腕ロボット「WorkSense(ワークセンス) W-01」の販売終了を発表したことだ。

  • 自律型双腕ロボット「WorkSense(ワークセンス) W-01」

自律型双腕ロボットは、「見て、感じて、考えて、働く」をコンセプトに、エプソンが培ってきたロボティクス技術を結集。2013年に東京・有明の東京ビッグサイトで開催された「2013国際ロボット展」において参考展示をして話題を集めた。その後、製品化に向けて改良を進め、2017年に販売を開始。エプソンのロボティクス事業のフラッグシップともいえる製品だった。

4つの頭部カメラと、2つのアームカメラによって人間の目と同じように、3次元空間上で対象物の位置や姿勢を正確に認識。対象物や障害物の配置が変わっても、自ら見つけて位置を把握できるほか、高精度な力覚センサーを搭載した2本のロボットアームが、人の手と同じように力をコントロールし、対象物にダメージを与えることなく組み立てや搬送などの作業を行うことができる。2つのアームは7軸で稼働。人の腕のように動き、左右別々の作業を行い、部品を押さえながらネジ締めするといった協調作業も可能だ。

力覚センサーや画像処理技術、多目的ハンドなど、エプソンが持つ技術を活用することで、ロボティクスの可能性を示した次世代型ロボットといえるものであり、従来の一般的な産業用ロボットのように、装置に組み込んで固定して作業を行うのではなく、必要な場所に機体を移動させ、単独で人に代わって組み立てや搬送などの作業を行えるように設計されていた。

モノづくり分野での活用だけでなく、将来的には、この技術を利用することで、物流分野や介護分野などにも応用範囲が広がる技術として、業界内外からも大きな注目を集めていた。

  • 将来的には、モノづくり分野以外へ応用範囲が広がる可能性が注目されている

「自律型双腕ロボットは多くの注目を集めていたのは確かである。だが、アプリケーションが不明瞭なものに挑戦を続けるよりも、目の前にある困りごと解決にリソースを集中させるべきだという判断をした」と振り返る。

だがその一方でもこうも語る。

「自律型双腕ロボットとして、広く利用されるという状況には至らなかったが、自律型双腕ロボットの研究、開発、製品化を通じて、様々な技術やノウハウを蓄積でき、その資産は多岐に渡る。モノをみたり、2つのロボットがぶつからないように制御したり、2つのロボットが共同で作業を行ったり、人と一緒に働く安全な環境を実現したりといったことにつながっている」

自律型双腕ロボットに取り組んだ経験が、エプソンのロボティクス事業の次の進化につながっているのは間違いない。

後編へ続く)