宇宙航空研究開発機構(JAXA)が2024年に打ち上げを計画している「火星衛星サンプル・リターン・ミッション」(MMX)の狙いや仕組みを追う連載。
連載第1回では、MMXが目指す火星の衛星にはいったいどんな謎や魅力、科学的価値があるのかについて解説、第2回ではその火星の衛星からのサンプリ・リターンという、世界初の複雑で困難なミッションに挑む、MMXの姿かたちを紹介した。
第3回では、MMXにかけるJAXA宇宙科学研究所(宇宙研)の決意と、MMXから始まる新たなる宇宙探査戦略について解説する。
「ひとみ」の失敗からよみがえる宇宙研
MMXは、多くの世界最先端の技術を盛り込んでいると同時に、開発の方針も大きく変わっている。
MMXは質量3400kgという大規模な探査機で、宇宙研が開発する衛星や探査機の中では最も大きく、その上火星圏への往復航行という最も複雑なミッションに挑む。そこで思い出されるのが、X線天文衛星「ひとみ」のことである。
「ひとみ」は2016年2月17日に打ち上げられた人工衛星で、X線を使って宇宙を観測することを目指していた。しかし3月26日、本格的な観測に向けた試験中に姿勢異常が発生し、機体が破損。そのまま運用を終えることになった。その後の調査で、データの誤送信やチェック体制の不備など、人為ミスが重なった結果であると結論づけられた。
「ひとみ」は天文衛星なため、MMXとは目的も機体の姿かたちなども大きく異なる。しかし、宇宙研にとって過去最大規模の複雑な衛星であったこと、そして最先端の観測機器をいくつも積んだ野心的な計画という点では同じだった。
宇宙研の常田佐久(つねた・さく)所長は4月10日の会見の中で「これまでフォボスには、ソ連が何回もチャレンジしてもなかなか到達できませんでした。我々は絶対に成功させなければなりません。その中で、やはり『ひとみ』の不具合ということをを考えざるを得ないところです」と語った。
そして「いま、宇宙研でプロジェクトのやり方の反省と改革、JAXA全体での業務改革に取り組んでいますが、(中略)その上でMMXは、(「ひとみ」での)課題を意識して、宇宙研だけでなく"オールJAXA"でこの衛星を開発します」と続け、MMXでは「ひとみ」の轍を踏まないという、強い決意を示した。
プログラム的探査の始まり
もう1つ大きな点は、このMMXが宇宙研にとって「プログラム的探査」の始まり、あるいは連なりの1つになるところにある。
プログラム的探査というのは、長期的な計画に基づいて、戦略的に探査を実施するというもので、NASAを例に出すと、まず火星をフライバイ観測し、次に火星の周回軌道に探査機を投入。さらに続いて着陸し、そして現在は地表を走り回る無人探査車を送り込むなど、徐々に順を追って挑戦し続けてきている。近年では中国やインドも同様の方針で月探査、続いて火星探査に挑んでいる。
一方日本は、1985年にハレー彗星探査で初の深宇宙の探査に挑んだ後、1996年には初の火星探査機にして惑星探査機でもある「のぞみ」が打ち上げられたが、それに続く火星探査計画は実施されなかった(今回のMMXも火星の衛星に焦点を合わせているのでやや異なる)。2007年に打ち上げられた月探査機「かぐや」も、それに続く「SELENE-B」、あるいは「SELENE-2」と呼ばれる計画はあるものの、今のところ具体化はしていない。一方で2010年には、新たに金星を探査する「あかつき」が打ち上げられており、2018年には水星へも探査機が送られる。
つまり日本の月・惑星探査は、その時々の科学的な課題などから、毎回目的地を変える、一発きりの計画ばかりだったのである。
もちろんそれぞれに長所はあるものの、太陽系探査の場合、打ち上げから目的地への到着までに数年以上かかるため、その時々の課題を追いかけ続けるのでは間に合わない、もしくは時間がかかりすぎるため、戦略的に連続して計画を進めていく必要がある。
日本でも1980年ごろから東北大学の大家寬氏を中心に、プログラム的探査の必要性は認識されていたものの、長らく実施には至らなかった。しかしようやく、宇宙研は「小天体探査戦略」と銘打ち、スノー・ラインの外で生まれたと考えられる小天体を、シリーズ的に探査する方針を打ち出した。
スノー・ラインの外で生まれた天体は、最初は彗星のような姿をしており、やがて小惑星やダスト(宇宙塵)といった姿に進化する。第1回で触れたように、これらの天体は、地球型惑星に水や有機物などを運ぶ、カプセルの役目を果たすと考えられている。
このうち彗星は、欧州の「ロゼッタ」と「フィラエ」がすでに探査しているが、日本はそれ以外の天体を連続して探査しようと考えているのである。
すでに現在、宇宙を航行中の「はやぶさ2」は、含水鉱物をもつ可能性がある小惑星を探査しようとしている。そしてMMXが探査する火星の衛星は、火星や地球に水を運ぼうとしたところを火星に捕捉されたか、もしくは衝突したと考えられている。
さらに、彗星と小惑星の中間のような性質をもっていると考えられる木星トロヤ群の小惑星へは、「ソーラー電力セイル探査機」を送る検討が進んでいる(この宇宙に帆を広げて - JAXAの「宇宙帆船」が赴くは木星トロヤ群小惑星』を参照)。そしてダストは、現在検討中の深宇宙探査技術実証機「DESTINY」で探査を行うことが予定されている。両計画はまだ検討段階だが、正式に認められれば、2020年代にも打ち上げられることになる。
これらが実現し、成功すれば、日本の宇宙探査は初めて、1つの目的に対するプログラム的な探査を行うことになる。
独創と独走を続けることができるか
こうした小天体の連続した探査は、米国や欧州などでも行われておらず、また行うという計画もない。
厳密には、木星トロヤ群へは、NASAも「ルーシー」という探査機を送り込む計画を進めている(詳しくは『NASA、人類未踏の地・木星トロヤ群と金属の小惑星に探査機打ち上げへ』を参照)。ただ、ルーシーは小惑星をフライバイ観測しかしないが、ソーラー電力セイル探査機は着陸し、サンプルを採取して地球に持ち帰ることも検討されている。一方、そのかわりにルーシーは複数の小惑星を観測することができる。つまり食い合うことはほとんどなく、むしろお互いの成果を補完し合える関係にある。
つまり、この小天体探査戦略が実現すれば、この分野においては日本が世界に先んじることができる。すでに月や火星の探査では遅れを取っているだけに、日本が独自性と存在感を発揮できる数少ない分野でもある。
ただ、この戦略が成功するには、探査機の開発や運用が成功するかどうかと同時に、それを支える人材やインフラの整備も重要になる。日本の宇宙科学に対する予算は十分とはいえず、運用に必要なコンピュータも老朽化が進む。また探査機の開発や運用に携わる人々も同時にいくつもの計画を掛け持ちしているなど、今の時点でもほとんどぎりぎりの状態にある。
明るい話がないわけではない。たとえば現在開発中の「H3」ロケットが完成すれば、現行のH-IIAやH-IIBより約半分のコストで打ち上げができるようになるため、今までと同じ予算でも打ち上げ費用が浮くぶん、衛星や探査機の開発や、それを支える人材確保やインフラ整備などに、これまでより多くの予算を振り分けることもできるようになる。また、長年日本の宇宙探査にとってアキレス腱となっていた深宇宙を飛ぶ探査機との通信も、より大容量の通信ができる新しい大型アンテナの建設が進んでいる。
今後さらに求められるのは、JAXAがいかに新しい計画を継続的に立ち上げていくのと同時に、老朽化した設備を更新したり、日本から見て地球の裏側に探査機がいても通信ができるように海外に地上局を構築したりできるかだろう。しかし、日本の科学技術に対する理解と関心が減り、予算が削られる中で、JAXAがそれを断行するには困難な道が待ち受けている。
うまくやることができれば、この小天体探査戦略は大きく花を開き、2020年代以降、科学的に大きな成果がもたらされることはもちろん、世界の中で日本という国の存在感を高めることにもつながるだろう。しかし失敗すれば、米国、あるいは近年勢いを増している中国といった他国に先を越されたり、より多くの成果を積み上げられるなどし、小天体探査戦略は花開くことなく枯れることになるかもしれない。
(次回は5月11日の掲載予定です)
参考
・JAXA | 火星衛星サンプルリターンミッションの検討に関するフランス国立宇宙研究センター(CNES)との実施取決めの締結、及び署名式の実施について
・火星衛星サンプルリターンミッションの概要
・MMX - Martian Moons eXploration
・ソーラー電力セイル探査機による木星トロヤ群小惑星探査計画について
・DESTINY -DESTINYについて-