「イエス」「ノー」「チェンジ!!」など、我々は様々な英語をもはや日本語かのように普段使いしている。

だが逆に、海外で使われている日本語もあるのだ。ちなみに「SUSHI」「TEMPURA」などというのはもう古い。今一番世界で有名な日本語(当社調べ)と言えば、もちろん「HENTAI」である。

ただ、諸外国で使われている「HENTAI」は、所謂「変態」とは違う。

当然、外国にだって、痴漢や露出狂のような悪い意味での「変態」は存在するだろうし、それらを表す言葉もあるだろう。

そうではなく「HENTAI」とは日本のアダルト漫画やアニメの総称、つまり文化を示す言葉なのだ。カテゴリとしては「茶道」「歌舞伎」と同じなのである。

日本は、元々面積が狭い。日本人はその限られた土地の中でどれだけ発展できるか考え続けてきた。それと同じように、性に対する想像も、胸部が発達した女がドーンというような物量で解決するのではなく「小さい中に雅を見つけ出す精神」で挑んできた。

また「全てのものに神が宿る」という八百万の神という考えかたもある。つまり「万物全てエロく見ようと思えば見える」ということだ。

このように、全てに「可能性」を見いだし、重箱の隅をつつき続けた結果、日本には「どうしてそんなことが思い浮かぶのか」という、世界に類を見ないアダルト創作文化が多々生まれてしまったのである。

それらを諸外国の言葉で言い表すのはとても無理、もはや「HENTAI」としか言いようがない、つまり「感服」という理由で作られたのが「HENTAI」である。知らんけど。

ともかく「HENTAI」は個人的に、誇って良い日本の言葉だと思っているが、最近、あまり良い意味ではない日本の言葉が海外で注目を集めているそうだ。

memento moriとも違うのだ

「HIKI KO MORI」

「SEKAI NO OWARI」感が出るかと思ったがそんなことはなかった。

どうやら「ひきこもり」も日本独自の文化だったようだ。外国にもそういう人はいるが、日本のように深刻な社会問題化まではしていないのだろう。

確かに既に英語のWikipediaには「hikikomori(https://en.wikipedia.org/wiki/Hikikomori)」の項目がある。ちなみに「ひきこもりの日本の若者」として、日本人男性の写真が掲載されているが、彼は一体誰なのか。世界に「ひきこもり代表」として紹介される、というのは、ある意味偉業である。

「hikikomori」も「HENTAI」と同じように、「自宅の守護神」のような別の意味で使われているかというと、こちらは海外でもそのまんま「仕事をせず、学校にも行かず、家の一部屋で家族からも離れている状態」という意味だ。

他の国でもひきこもりの存在は確認されているが、「主に日本で起っていること」と書かれているので、やはりひきこもりのメッカは日本のようである。だが「HENTAI目当て」で日本に来る外国人はいても、「hikokomoriの聖地巡礼」のためにくる外国人はいないだろう。

では、なぜ日本でhikikomoriという文化が発達してしまったのか。

自分に甘い若者が増え、それを容認する甘い親が多いからだろうか。それも原因の一端かもしれないが、それだけではない。ちなみに私がひきこもりなのは、自分に甘いのと部屋が好きだからだ。

ひきこもりが何故ひきこもりになるか、というと、学校の中退や、会社の退職、病気など様々な理由があるが、一番強力な要素は「人づきあいが苦手」という点だという。

つまり「コミュ力」のなさだ。

「結局コミュ力だよね」というコミュ症を殺す言葉があるが、全くその通りの社会になっているということである。

コミュ力重視の日本社会にどう対応すべきか

ひきこもりが増えたのは、コミュ力のない人間が爆発的に増えたからかというとそうではない。コミュ力が重視される世の中になった結果、コミュ症でも生きられる場が激減したのだ。

昔なら、「悪い人じゃないけど、何かちょっとアレだよね」と言われていた人が、そう言われつつも、なあなあでその場に存在し続けられた。だが今は、まず最低限のコミュ力、それがなければ特別なスキルなど、「何らか存在して良い理由」がないと存在できなくなってきているのである。

つまり、それらがない人間の居場所が「部屋」しかなくなってきている、ということだ。

また「復活」がしづらいのも、ひきこもりが増えている原因だろう。

真っ当に働いている人から見れば「ひきこもり」はけしからん存在であり、即刻部屋から出て働けと思っていることだろう。だが、いざひきこもりが一念発起して部屋から出て面接にやってきたら、「今まで何してたの」と、何故か部屋に追い返すようなことを言ってしまいがちなのだ。部屋から出ても行き場所がないなら、部屋に戻るしかないだろう。

つまり今の日本に生まれると、1機のみでマリオに挑まされ、1回でもクリボーや亀の甲羅に当たると、もうコースには戻れず、一生を部屋でマリオカートをして過ごすことになってしまいがちなのだ。

昔に比べ、社会の難易度が上がったという点に加え、周囲の目を気にしてしまう日本人的性格が合わさり、「水が豊富だから稲作が盛んになった」と同じノリで、今の日本は「ひきこもりが育ちやすい風土」なのである。

ひきこもり対策としては、コミュニケーションスキルの向上などが挙げられているが、本人に一般的なコミュ力を身に着けさせるより、どんなツールを使えばコミュニケーションがとれるのかを考えた方が早い気がする。

すりガラスを1枚挟めば会話できるという人には、すりガラスの携帯を許すなど、その人に合ったやり方を許す、またそういう人を奇異の目でみない社会がまず求められるのではないか。