呉服店「銀座いせよし」の広告コピーがネットで炎上した。

まず論より証拠なので、燃えたコピーを紹介しよう。これらは全て着物を着た女性のポスターに掲載されたキャッチだ。

「ナンパしてくる人は減る。ナンパしてくる人の年収は上がる。」 「着物を着ると、扉がすべて自動ドアになる。」 「ハーフの子を産みたい方に。」

このコピーを見た多くの女性が、自分はタイムスリップもののヒロインになって30年前に来てしまったのか、もしくは仁先生に!?と鏡を見に行き、顔が大沢たかおになっていないことに愕然としたと思う。

もはや「すごい」レベルだけど現実です

このコピーは正真正銘平成末期に作れたものであり、なんと賞まで受賞しているという。

これに関しては、もはや怒りや悲しみを越えて「すごい」という感想を持ってしまった人も多いのではないだろうか。

3つコピー全てが「男からどう見られるかしか考えていない」というスリーセブンであり、コインの代わりに女の口から大量の嘔吐が出て来たという次第である。

もちろんこのコピー以外にもいろいろあったのかもしれないが「切り抜かれて炎上する」というのはネット炎上の常だ。

この3つだけを並べられると、日本の女の行動原理は着物に限らず「ハイスペ男に気に入られそうだから」以外ない、と断じられているように見えてしまうし、「年収高い男にモテるよ」と言えば、女はホイホイ着物を着ると思われているという「舐められ」も大いに感じる。

最後の「ハーフの子を産みたい方に。」に至っては、もはや交際や結婚を飛び越えて「ステータスの高めの子ども産みたいでしょ」という話にまで到達してしまっている。日本の女は外国人と付き合うことにステータスと感じている、ということ自体偏見であるが、ハーフの子どもと、日本人同士の子どもでは「格が違う」という人種差別でもある。

ちなみに「ハーフ」という言葉自体、最近では「差別用語」とされることが多いようだ。

ヤバいものをヤバいと言い続けた成果ではある

日本の女は、男の目しか気にしていないステータス至上主義で、さらにそれを子供にまで求めている、と思われかねないコピー群に当然日本の女性は激怒した次第だが、怒る側としても「これはまた、怒りがいのある奴がキた!さあジャンジャン切れまっせ!」とはりきって怒っているわけではない。

まずバカにされれば傷つくし、本当は疲れるから怒りたくないが、怒らないと「これは侮辱だ」ということが伝わらないので怒るが、怒っても怒ってもこういう物が出て来てしまうので「もう何を言っても無駄なのか」という徒労を感じてしまうし、本コピーに関しては「考えたのは女性」という事実が、「味方は!?味方はいないのか!?」という絶望感すら与えた。

しかし「更年期」や「こういうことに怒っているのは大体ブス」という誹りにも負けずに、世の女たちがブチ切れ金剛した成果が全くないわけではなく、本ポスターのコピーに関しては男性からも「これはひどい」という声が多く上がっていた。

もちろん女性蔑視ではあるが、よく見れば「男は着物さえ着てれば「ウホっイイ女!」と思って丁重に扱ってくれる」という男に対する「舐め」も多分に入っているし、大体そんな単純な男は高年収になれない気がする。

また「低スぺ男は着物着てる女なんて怖くて声かけれねえから」と、低収入男性を火にビビって逃げる鳥獣扱いしており、さらに「日本に来たからには着物女とかましとかないとな」と、まるで外国人男性が、着物を着た日本の女とつきあうのをステータスと感じているような誤解も与える。

つまり良く見たら「全方位にヤバい」コピーなのである。しかし、ヤバいものがヤバいと認識されるようになったのも、今まで「これはヤバいぞ」と怒り続けてきた成果ではないだろうか。

「偉人」並の備えが必須に? ネット炎上ならではの怖さ

そして、この件からはもう一つ「ネット炎上の怖さ」が見える。

前述したが、もしかしたらこの3つのコピーは多くある中からの抜き出されたもので、本当は全部で10000個あり、他は全部素晴らしいという可能性もある。

しかしネットの炎上というのは大体「可燃物」だけが抜き出され、見る人はこの3つだけ見て「おたくはそういう考えなのね」と思ってしまう。残り9997個を見てから判断しようと思う人はレアなのだ。本件に関してはこの3つがあっただけでアウトかもしれないが、中には前後を見ると全く意味が変わってくるのに、燃えそうな部分だけ抜き出されて燃えたという炎上も少なくない。

そして、実はこのポスターが発表されたのは2016年の3年前なのだ。3年前には何故か燃えなかったものが、今改めて燃えたのである。

3年前なら仕方ない、というレベルではなく、桁を1個間違えているのでは、とさえ思えるが、3年あれば、個人や会社が「今思えば、あれは間違っていた」と考えを改めている可能性は十分にある。

しかし様々な物がデータとして残るネット社会の現在では、「過去の発言を完全に消す」または「撤回する」ことが非常に難しくなっている。例え30年前言ったことでも、そこだけ抜かれて、今言ったかのように炎上してしまうのがネットなのである。「今は思ってない」と言っても、聞いてもらえない、そもそもそこまで読んでもらえないのだ。

これから発言に気を付けることは出来るが、過去の言ったことは消せないし「考えが変わりました」という言い訳が通じないなら、過去の発言に対する炎上は「打つ手なし」なのである。自分が燃える立場となったら、ぞっとする話だ。

発言や書いた日記、手紙が全国的に晒され後世に残されるというのは、昔なら歴史に名を遺すレベルの人物にしか起らなかったことだが、今では誰にでも起こるのだ。

もはや偉人になる予定が1ミリもない人間でも「発言には気をつけなければいけない」時代なのである。