阪急電鉄と企業ブランディング会社「パラドックス」がコラボした車内広告企画が炎上し、を阪急電鉄は企画を中止、謝罪をする自体となった。
定期的に炎上する企業広告だが、その燃え方は、特定のものを著しく侮辱していたり偏見が強すぎたりする「差別型」や、「これ、はいてないよね?」というような、公共の場に出すには性的すぎる「わいせつ型」、そして、発信者と受信者との間に光年レベルの距離がある「認識のズレ型」がある。今回の炎上は認識のズレ型にあたるだろう。
まず、どのような企画だったかというと、「パラドックス」が出版した、様々な業種年代の「働く人」が発した仕事に関する名言をまとめた『はたらく言葉たち』という書籍から抜粋したいくつかの言葉を、車内広告として掲げる、というものだ。
実際列車内に掲げられた言葉のひとつで、炎上の火元となってしまった「はたらく言葉」がこちらである。
「毎月50万円もらって生きがいのない生活、30万円だけど仕事が楽しい生活、どっちがいいか(研究機関 研究者/80代」
おそらくこれを目にした「今はたらいている人」の大半が、「数字の設定が令和じゃない」と感じたことだろう。
金も、楽しさも、ないんだよ
今の日本では50万円はもちろん、30万円も十分高給なのだ。ちなみに私の会社員時代の手取りはフルタイムの正社員で「12万円」だったが、これが特に異常というわけではなく、正社員で手取りが20万円を切る人などざらにいるのである。
また職業選択というのは「金か楽しさどっちか選べる」という「ビーフorチキン?」みたいな親切設計ではなく、「金とやりがい両方ない」という「焼いてない食パンだけ食ってろ」みたいな、空腹を満たすだけで精いっぱいな仕事についている人も大勢いるのである。
よって、この広告を見て「ふ、深い…!」などと感じ入る人の方がレアで、「そんな上級国民の禅問答、知るか」となる方が多数派なのである。この時点でこの広告と広告を見る人の間の認識には大きなズレがあり、これから「手取り20万円以下で楽しくない仕事」に行く人は全員電車を降りたくなってしまう。
この広告が「ぶらり途中下車の旅」を促進させるのが目的なら大成功だが、万が一「働く意欲を向上」が目的だとしたら失敗である。
ただ、発言者である80代男性が悪いというわけではない。
人間というのは通信機器のように自動的に情報がアップデートされるものではないので、昭和生まれの私が「これで少年ジャンプ買ってきてくれ」と言って若人に180円渡してしまうように、現状を知らず昔の感覚のままで発言してしまう、ということは誰しもある。
だがそんな「旧情報」を元にして書かれた文言を、現状を知っているであろう現役の阪急電鉄や企画会社の人間が、「今でも違和感なく通じる」と判断して掲載してしまったのには問題があるだろう。
「やりがい搾取」したい人がいる?
では数字を「25万円」と「12万円(交通費なし)」というように、現代版に修正すれば燃えなかったかというと、そうとも限らない。
このコピーの意図するところは端的に言うと「金かやりがいか」という問いかけだ。
仕事において「金」と「やりがい」を同列で比較すること自体おかしいのではないだろうか。
人間、衣食住などの「マスト」が足りて、やっと「趣味」など、どうしても必要ではないが人生を豊かにする物に目が向くようになる。
仕事もまず「金」がマストであり、それがあってから「やりがい」や「良好な人間関係」など、「あればよいもの」に続くではないだろうか。「金」と「やりがい」を同じ天秤にかけて良い物だとしてしまったら、「やりがいのある仕事をしている人間は金のことで文句を言うな」という「やりがい搾取」を容認することにもなりかねない。
しかし、この「はたらく言葉たち」は、他に掲載された言葉を見ても全体的に金より「やりがい推し」であり、見た限りでは「金のためだ。仕方ねえ」みたいなものはなかった。
よって、この広告を見ると、砂漠の真ん中で水と激甘タピオカミルクティーを出されて、「ここで水を選ぶようなつまらない人間にはなりたくないよね」と言われているような「圧」を感じて息苦しいのだ。
米は食えないけどガチャは回せる生活、サイコー
もちろん、衣食住などのマストを無視して趣味などにブッ込んでいるオタクはいくらでもいるので、仕事はやりがいが一番で金はその次、という個人の考えが間違っているわけではない。
だがそういう考えを「衣食住」と「趣味」に置き換えてコピーにあてはめると、「ガチャを回さずに食う米が美味いか?」というような、ちょっと「どうかしている」感じになってしまう。
それも一つの生き方だが、少なくともわざわざ電車に貼り出して不特定多数の人間に「推奨」するような考えではない。
つまりこの「はたらく言葉たち」は書籍として、仕事への意識を高めたい一部の人に向けて発信する分なら良かったが、そんなものは求めていない、心を無にして働きたい大勢の人間の目にも強制的に入ってしまう「広告」という形にしてしまったため、今回の炎上になってしまったのではないだろうか。
ちなみにその炎上の流れで、西武電鉄が「出勤してえらい!」「電車にのってえらい!」と、阪急とは対照的な「意識の低い広告」を出していたことが好評を得たという。 毎日朝起きて満員の通勤電車に乗っているだけでも、本人的には十分頑張っているのだ。それに対し「もっと頑張れ」という広告より、まずそこを「労わってくれる」広告の方が、今の「はたらく人」が求めていたもの、という結果である。