これを書いている現在、我が村では市長、そして参議院補欠の投票が行われている。
こうやって執筆日がバレることを書くと「すでに締め切りを2、3日過ぎている日付」ということもわかってしまい、コナソが「あれれ~おかしいぞー」と言い出すところだが、何もおかしくない。
コナソも中身は大人と言ってもまだ社会経験のない高校生である。「これが作家の平常運転」というところまでは知らないのだろう。
しかし、コナソは確か親父が作家なので、そこまで理解した上で揺さぶりをかけている可能性があるため油断できない。「同じアクリルキーホルダーを大量にもっている」「夏と冬、数日間必ず消える」「珍妙なHN以外全く素性を知らない相手数人といきなり温泉旅館に泊まっている」など、まだ奴が知らなさそうなジャンルの不可思議行動で煙に巻いていくしかない。
選挙は「俺の1票で変わらない」かもしれないけれど
コロナウイルスが世に現れて約2年、おそらく国民の政治に対する不満や不信感は未だかつてなく高まったと思われる。
しかし、それがそのまま政治への関心や投票率に反映されているかというと「そこまで」であり、「あの政治批判ツイートをRTしていた2.6万人はどこに消えたのか、全員小中学生だったのか」というのが現状らしい。
もちろんコロナ禍で政治に不信と関心を持ち選挙に行くようになった人もいるとは思うが、逆に不信感が極まりすぎて「どれを選んでも一緒」というあきらめの境地に達してしまった人も多いのかもしれない。
確かに「全員地雷の合コン」や「見本のニンテンドースイッチが入っていない夜店のくじ」が存在する以上、「全員ハズレの選挙」がないとは言い切れない。
しかし、仮に全員ダメだったとしても、ダメさにも好みがあるだろう。
つまりウンコ味のカレーもカレー味のウンコも同じと言って選挙に行かなかったら、自分にとってのウンコ味のウンコが選ばれる上、それを食うのは自分なのである。
そして、それに文句を言ったら「あんた、夕飯なんでもいいっていったやないのー!」と言われてしまうのである。
だが、「じゃあウンコ味のカレーで!」とオーダーしても、ウンコ味のウンコが出て来てしまうことがあるのも選挙というものである。
投票したとしても、自分が選んだ候補者が選ばれるとは限らない。よって「自分の1票ごときでは何も変わらない」という動機で選挙に行かない人もいると思う。
正直「俺の1票で変わるわけではない」という気持ちはわかる。
私の住んでいるところは基本的に死体と未来の死体しかない土地だが、どうしても名物を答えなければ今すぐ死体にすると言われたら「総理大臣の名産地で、名物は首相を甘辛く煮たやつ」と答えるようにしている。
そのような土地柄なため選挙結果に全く意外性がなく、「開票4秒で当確」というAVタイトルみたいな選挙が大半なため、正直自分の1票に意味があるのかという無力さを感じやすい。
しかし「投票しない人」というのは候補者からすれば「機嫌を取らなくても良い相手」なので、ますますないがしろにされる可能性がある。
候補者が何を公約に掲げるかは様々と思うが、今のご時世、コロナ対策とコロナ後の方針について触れていない候補者はいないだろう。
あえてコロナには触れないというテレ東みたいな候補者もいるかもしれないが、それで支持を得るのは難しいと思う。
コロナ対策の難しさは「いつまで、どこまで」やるか
政治家のコロナに対する方針は非常に大事な判断材料である。だが、それ以前に選挙のコロナ対策はどうなっているのだろうか。
先日、群馬県太田市の職員が、選挙用の鉛筆1万本を1本1本削っているというニュースが話題になった。
同市はコロナ対策として、使用した鉛筆を投票者に持ち帰ってもらうよう10万本の鉛筆を発注したが思ったより選挙が早くなってしまい間に合わないので、急きょ抗菌鉛筆を1万本用意し、それを職員が仕事の間に1本1本削って何とか間に合わせたという。
これに関しては「やりすぎ」「経費と人件費の無駄」という意見の方が多いようである。しかし何の対策もしなければ「鉛筆を使いまわすなんて危険ではないか」というクレームが入るであろうことも予想できる。
だが、どこの自治体もここまで徹底しているわけではなく、プラスチックの先に鉛筆の芯がついたあの絶妙に使いづらい奴を用意したり、我が村では1回使った鉛筆は回収し、消毒してまた使うという方式を取ったりしていた。
どちらにしても完全な無策という自治体は少なく、どこも何らかのコロナ対策をして選挙を行っているようである。
コロナも「撤収―!」と宣言して去ってくれれば良いのだが、おそらく「あいついつ帰った?」という、二次会で消える奴みたいなフェードアウトをしていくのだと思う。
よって今後、選挙のみならずあらゆるところで、どこまで、そしていつまで対策をするのかという「コロナ対策問題」が起こると思われる。
無策でも批判されるが、やりすぎても今回のように批判される。もしクラスターなど起きようものなら「対策が甘すぎる」と大炎上は免れない。
この2年、コロナに関することで我々は散々揉めてきたが、去った後でも数年は揉め続けることができるだろう。
コロナは恐ろしいが、コロナもここまで自分のことで揉め続ける人間にビビっているかもしれない。そういう意味ではコロナに勝った、といえるだろう。