書を通じて学んだこと

書体設計士の橋本和夫さんは、20歳で書体デザインの道に入り、以来65年間――金属活字時代のモトヤ、写植時代の写研、そして現在はイワタでのデジタルフォント制作と、三世代の技術で――85歳となったいまでも書体をデザインしつづけている。

「書体づくりの気分転換は、書体づくり」という橋本さんは、ひとつの書体が終わったら次、というのではなく、常に複数の書体のアイデアをかかえているのだという。

「イワタや写研だけでなく、モリサワなど、各社の書体カタログが頭のなかに入っているんです。あたらしいカタログが出たり、ウェブに新書体が発表されるとそれを見て、頭のなかのカタログを毎年更新する。そういうなかで、たとえば『新しく明朝体をつくろう』というときに、他社の書体と比較もしながら、頭のなかでまずデザインを詰めていく。紙に描くときには、すでに頭のなかで『概念としての書体』はできており、それを描き写すんです。だから、紙に描きながら迷っては消し、また描き直すというようなことはありません」

頭のなかで具体的に書体デザインのイメージをつくることができるのは、経験則が大きいと橋本さんは言う。

「書道でさまざまな書体を学んだことが大きいですね。ぼくは、4人の書道の先生に教えていただきました。本当はそういう移り気な習い方はよくないんです。ただ、ぼくの場合は書家になることが目的ではなく、多種多様な歴史的書体を覚え、その書体の字形や筆跡などを修得することが、書を学んだ一番の目的でした。漢字は村上三島先生、近藤秋篁先生、長谷川公湖先生、仮名は宮本竹逕先生に習いました。文字に関するぼくの基本的な知識は、書を通じて身につけたものです」

  • 自らの書の作品を手にしつつ語る橋本和夫さん

    自らの書の作品を手にしつつ語る橋本和夫さん

趣味半分、仕事半分

書道は橋本さんが長年続けた趣味の一つだ。そしてもう一つの趣味がカメラである。

「趣味半分、仕事半分とぼくはよく言うんだけれど、趣味のカメラを続けてきたこともよかったと、この年齢になって思います。ぼくはどちらかというと凝り性で、フィルムカメラに凝り始めた20代のころも、自宅の押入れのなかに暗室をつくって、自分で現像していました。いまはデジタルカメラで撮影し、Photoshopで画像処理もします。デジタルに関することが理解できたのは、写真をやっていたことが大きいんです」

実は橋本さん、書体デザインではコンピュータは使わない。手書きのアナログ作業のみだ。しかし写真に関しては、Photoshopで画像処理もおこなう。写真を通じてデジタル技術への理解を深めてきたのだ。そもそもモトヤ勤務時代に写真に興味を抱いていなければ、写真植字機メーカーの写研に移籍することもなかっただろう。橋本さんの人生のなかで、写真がどれほど大きい存在だったかがわかる。

写真の趣味はその後もずっと続けており、いまでも時折、撮影会に足を運んだりもする。 「作品が入賞するかと一喜一憂する楽しみがあるんです」

  • 撮りためた写真をまとめた数々のフォトブック

そんな橋本さんの様子に、

「カメラにいったいどれだけお金をつぎこんだか。私に内緒で買っちゃうんですよ」

橋本夫人はあきれながらも、笑って言う。

「仕事半分と言うんだけど、実は趣味のほうがちょっと勝っちゃってるかもね」

橋本さんも笑う。

  • 富士山の写真をまとめたフォトブックを見せてくれる橋本さん

その道を、迷わず行けばいい

仕事より趣味のほうが少し勝っているかもと言いながら、橋本さんは書体デザインの仕事を65年間続けてきた。書体づくりにおいて大切なことは何だと考えているのだろうか。

「飽きないことですね。根気です。書体は、ひとつ制作するのに数年を要します。フォントを制作するには、1万余字の字種をデザインしなくてはなりません。それは気の遠くなる字数です。だから新しい感覚を持ちつつも、現実ではうんと緻密に粘り強く文字をつくっていかなくてはならない。そういう両面をもつのが書体デザインの仕事です」

「もうひとつ大切なことは、過去を知ることだと思います。『過去』は『古いもの』とは違う。未来の書体を考えるには現在を知らなくてはいけないし、現在を理解するには過去を知らなくてはならない。たとえば、いまはデジタルフォントの時代だからデジタルフォントだけわかっていればいいかというと、そうではないんです。活字や写植の時代の書体にどういう背景があったのかをふまえれば『なぜそういう形なのか』がわかる。それは、未来を考える手がかりになります」

「たとえば、大日本印刷のオリジナル書体『秀英初号』は、活字の時代に生まれ、写植でも写研の「秀英明朝(SHM)」として人気書体となり、現在はデジタルフォントに姿を変えています。100年以上、使われているわけです。では、秀英初号はなぜ『いい』と言われるのか。それを知るには、まず誕生したときの状態……、そもそも活字の時代に秀英初号がどういう書体だったのか、活版印刷されたときの状態を見なくてはなりません。活字から写植、デジタルフォントにおいて、寸分たがわぬ形のまま復刻されているのかというと、そうではないのです。それぞれの時代における形を見ることで、どういう技術や媒体の変遷のもと、どんな理由があって変化したのかが理解できます」

過去を知ることは、現在のデザインの理由や背景への理解をうながし、未来のデザインを考える道標となるのだ。

活字、写植、デジタルフォントの三世代の技術のなかで、なによりも根気の必要な「書体デザイン」という仕事を65年間続けてきた橋本さんの好きな言葉は「大道無門」だという。

「どんな道にも関所はない、だから、自分が思ったらどんな道でも進みなさい、自分がやりたいと思ったら迷わず行きなさい、という意味です」

そしてもう一つ、橋本さんが愛する言葉が、哲学者・西田幾多郎のこの言葉だ。

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行なり」

京都・哲学の道の石碑に刻まれている言葉である。

「ぼくの一番好きな言葉です。書体デザインに取り組むこれからの若い人たちは、つくりながら『これでいいのか』と悩むことがあるかもしれない。でも、思いつめずに、自分の思う道を行けばいい。ぼくもずっとそう思ってやってきました」

  • 橋本さんは65年間、「わが道」を行き続けてきた

「吾行く道を 吾は行くなり」

そうして橋本さんは、多くの書体を生み出してきた。

書体設計士・橋本和夫さんがたずさわってきた仕事は、現代日本の書体デザインのひとつのルーツとなり、そして、未来の書体デザインへと確かに続いている。

(おわり)

※本連載は、今回で最終回となります。2018年4月10日に第1回を公開してから約2年間、お読みいただきありがとうございました。なお、本連載は2020年11月初旬、グラフィック社より書籍化の予定です。楽しみにお待ちいただければ幸いです。(雪 朱里)

マイナビニュースの連載が書籍になりました!
金属活字・写植・デジタルフォントの三世代で書体デザイン・制作・監修を経験し、特に写研で大きな功績を残した橋本和夫さん。橋本さんの手がけた仕事に迫ることで、これまであまり語られてこなかった「日本書体デザイン史」の流れを追う一冊です。
■書籍情報
『時代をひらく書体をつくる。――書体設計士・橋本和夫に聞く 活字・写植・デジタルフォントデザインの舞台裏』
雪 朱里 著/11月初旬、グラフィック社刊
A5判上製本・304ページ・オールカラー
【Amazon】
https://www.amazon.co.jp/dp/4766134591/
【honto】
https://honto.jp/netstore/pd-book_30619468.html
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話し手 プロフィール

橋本 和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。