明朝体のUDフォントという難問
2006年、イワタは初めての日本語ユニバーサルデザイン(以下、UD)フォント「イワタUDゴシック」を、次いで「イワタUD丸ゴシック」をリリースした。
家電製品の操作表示用、リモコン用を想定してパナソニックと共同開発したこの書体は、発売されるや評判を呼んだ。イワタでも予想しなかった反響の大きさで、電化製品のみならず、パソコンの画面表示や交通標識・サイン、金融や保険の約款、機器や薬品などの説明書、食品パッケージの成分表示など、さまざまなものに使われはじめた。
そこでそうしたなか寄せられるようになったのが「UD明朝はないの?」という声だった。
「当初はUD明朝をつくる予定はなかったんです。フトコロを広くして縦線などの飛び出しを削除し、文字の判別性、視認性を高めたのがUDゴシックです。じゃあ明朝体も同様にといっても、ウロコや飛び出しを完全に削除してしまったら、明朝体ではなくなってしまう。そもそも、太い縦線に対し細い横線をもつのが明朝体のおおきな特徴です。『文字がつぶれたり、細い線が飛んでしまって見えにくい』と言われて開発したUDフォントにおいて、明朝体をどうつくったらよいのか。そうしたUDフォントの特徴を明朝体にもたせたところで、はたしてUDフォントならではの機能を十分に発揮できるのか、というのが問題でした」
まず、小さいサイズで使用したときの視認性を高めるために、フトコロをなるべく大きく広く設計した。縦線と横線の太さの差を小さくして、文字のちらつきをなくすようにした。また。ウロコや飛び出しのエレメントを控えめにし、画線の長さをできるだけ強調することによって、字体がより明確に見えるようにした。
「イワタUD明朝は、明朝体のスタイルを保ちつつも、UDフォントのコンセプトのもと極限まで崩した、ある意味究極的な明朝体といえるのではないでしょうか。明朝体からもっとも離れた、画面表示などに特化した明朝体といえると思います」
コンセプトを伝えるには箇条書き
UD明朝は、UDフォントのなかでもっとも制作のむずかしい書体だったため、橋本さんはていねいな仕様書をつくり、イワタのフォント制作部門である山形事業部にレクチャーをしに行った。伝えたコンセプトは次のような内容だ。
- フトコロを広く明るくし、小さいサイズの文字の識字性を高める
- 固有の字形を意識しつつ、可能な限り文字の大きさをそろえて、縦・横組みの並びをよくする
- 縦横線の比を小さくすることで、ちらつきをなくし、可読性を高める
- エレメントを控え、画線の長さを強調し、字体を明確にする
- 仮名文字はフトコロを広くして明確に平易な字形で読みやすく、漢字に対応する文字組みを可能にするデザインにする
「コンセプトを伝えるときには、必ず箇条書きにします。これはぼくが写研で書体の監修をしていたときから続けていることです。文章で説明すると読むほうは理解しづらい。箇条書きすることで相手に端的に理解されますし、伝える側としても、箇条書きの行為を通じて、より深く書体の仕様を理解することができるのです」
橋本さんは制作過程で何度も山形に足を運び、修整を指示しながら、UD明朝体を進めていった。その制作期間は2008年2月から2009年11月の約2年だった。
その間に橋本さんは「かなA」から「D」の仮名書体もデザインしている。かなAは縦組みや長文での可読性を高めた書体、かなBは現代的でラインを意識したゴシック体に近い書体、Cは流麗な筆記スタイル、Dはオールドスタイルの活字かなを踏襲したデザインだ。日本語書体は、仮名のデザインを変えるだけで表情が大きく変わる。「イワタの書体見本帳をにぎやかにしたい」という橋本さんの思いのあらわれだろう。
「『UD明朝』を発表したとき、『これ明朝体なの?』と言う人もいました。これはあくまでも『UDフォント』というファミリーのなかでつくるなら、という前提で制作した明朝体なんです。ちょっとヤケになってつくったところもありましたが(笑)。あらゆる年齢の人にも読みやすいユニバーサルデザイン書体が求められるなかで、これからの明朝体はこうあるべきというひとつの形を提案できたと思っています」
予想を超える反響
こうしてリリースされたイワタUDフォントは、2009年にグッドデザイン賞の特別賞である「ライフスケープデザイン賞(経済産業大臣賞)」を受賞。ちょうどそのころ、他のフォントメーカーもそれぞれの視点でUDフォントを制作し、発表しはじめた。
そうして2017年。イワタUDゴシック、イワタUD丸ゴシック、イワタUD明朝、イワタUD新聞書体のファミリーを擁した「イワタUDフォント」は、今度は「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞した。審査委員の評価には、こんなふうに記されている。
〈この世界ではじめてのユニバーサルフォントは、文字に新しい視点を与え、カテゴリーを創出させたという意味でもその意義は大きい。高齢者や視覚障害者の方々が普段の生活を不足なく過ごせるかという当時の課題意識は、近年ますます重要性を増している。新聞やパッケージの表示、ATMなど、様々なコミュニケーションの接点で使われており、ユニバーサルフォントのもたらす価値を我々自身も知らず知らずのうちに享受している。〉(*1)
「デジタルフォントの数がこれだけ増えたいま、書体はある意味、飽和状態ともいえます。だからこそ新しい視点の書体を提示していかなくては、と思うんです。そして、反響の大きい書体を出したからといって、フォントメーカーが企業として存続するためには、それでおしまい、というわけにはいきません。企業としては、新書体を出し続けなければならない。だからぼくたち書体設計士は、常に新しい書体をつくる感覚をもっていなくてはいけません」
気分転換は書体づくり
「だからぼくは、一度リリースした書体のことは、もう忘れてしまうんです。そして次にどんな書体をつくるべきかを考える。新しい書体をつくるヒントを得るために、展示会やいろいろな人の話も含めて、世のなかの動きや情勢をよく見極める必要が、どうもわれわれ文字をデザインする人、開発にたずさわる人にはありそうなんです。だから、ひとつの書体を制作している途中でも、常にいろいろな書体をスケッチしたりしていますね」
常にストイックに書体デザインを追求し続けている、というのとはまた違う。
「ひとつの書体をつくっていると、『もっと遊びたいな』と思ってまた違う書体をスケッチしたくなっちゃうんです。暇を見つけてはつくっている、そういう書体がいくつもあります」
まわりから見ると常に文字を描き続けているわけで、ずっと仕事をし続けているようにも見えるかもしれない。
「『なんでそんなにキュウキュウと根を詰めて文字ばかりつくっているんだ』ってよく言われますよ(笑)。まわりからしたら、ずっと文字を描くという、同じことをやっているわけだから。でも、自分のなかでは全然違うんです。趣味と共存して描いている文字だから」
書体づくりの仕事の合間の気分転換が「書体をつくること」なのだ。
「そんなときのほうが、これまでとはまったく違う新しい発想が浮かんだりするんですよね」
そう言って笑いながらいくつもの書体の試作を見せてくれたのは、橋本さんが85歳を迎えた誕生日その日だった。(*2)
(つづく)
*1:https://www.g-mark.org/award/describe/46119
*2:2020年2月で、橋本和夫さんは85歳を迎えた
話し手 プロフィール
橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。
著者 プロフィール
雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。
■本連載は隔週掲載です。次回は7月14日AM10時に掲載予定です。