書体設計士・橋本和夫さんは、1963年(昭和38)から1995年(平成7)までに開発された写研のほとんどの書体の監修をつとめた。自身がデザインを担当した書体としては本蘭明朝が有名だが、そのほか、さまざまな書体の仮名を担当することが多かったという。

「漢字を他の人が担当していても、仮名だけはなぜかぼくのところに話が来ることが多かったんです」

1985年(昭和60)に発売された紅蘭細楷書、紅蘭中楷書も、橋本さんが仮名を手がけた代表書体のひとつだ。

紅蘭細楷書は、もともと中国でつくられた書体だった。上海の印刷会社が写研の写植機を導入するにあたり、従来から使っていた書体が写植で使えるように、文字盤制作の依頼があったことに端を発している。さらに、その日本語書体も制作されることになり、橋本和夫さん自らチーフとして制作チームを率いることになった。

「中国書体の漢字に合わせ、ぼくが仮名の原字を描きました。唐代の欧陽詢という書家の『九成宮醴泉銘』の漢字をイメージして書いた仮名です。『九成宮醴泉銘』の漢字は、文字が縦長でフトコロが締まっているのですが、ハライはのびやかです。そういう、締まっているのにのびやかな文字を思い描きました」

  • 紅蘭細楷書(1985年)

    紅蘭細楷書(1985年)

「筆書系の書体や明朝体をデザインするとき、ぼくはまず筆で書いてみて、それから必要に応じて肉付けなどを調整して書体としての形をつくっていくことが多いのです。紅蘭楷書のときも、まずひととおり仮名を筆で書きました。だから最初は原字を『描く』のではなく『書く』という感じですね。その前は、頭です」

頭、とはどういうことだろうか?

「頭のなかで文字の形をほとんどイメージしてしまうんです。実際に書きながら形を決めるのではなく、頭のなかで原字を完成させて、それを手で書いているということです。だから、どちらかというと“頭で書いている”ようなところがありますね。ぼくは書作品で使う落款も自分で彫っていましたが、そういうときにもぼくはまず頭のなかで正字をイメージして、それをそのまま逆字にして彫るんです」

まるで、かつての金属活字のもとになる文字を彫っていた種字彫刻師のようだ。橋本さんの最初の師である太佐源三氏はもともと種字彫刻師だが、橋本さん自身には種字彫刻の経験はないというのに。

「デザイナーの場合、まず理論があって、それを形に表すという流れだと思います。ぼくはデザイナーというより職人だから、どちらかというと感覚が先なんです。感覚でイメージしたものを実際にやってしまって、あとから理論づける。まずやるという“技能”が先で、それを理論で説明する“技術”が後なんです」

こともなげに語るが、頭のなかだけで原字を完成させることができるのは、書の達人であり数多くの書体を見てきた橋本さんだからなせる技のように感じる。

紅蘭楷書の漢字は中国から原字が提供されたが、それにもずいぶん手を入れたそうだ。

「文字そのもののデザインがよいかということと、写植の組版に適応できるかということは別の話ですから。仮名と合わせて組版したときに美しく印字できるよう、漢字にも手を入れました」

  • 紅蘭中楷書(1985年)

まず紅蘭細楷書、次にそれをベースに紅蘭中楷書が制作され、いずれも1985年(昭和60)の写研フェアで発表された。この年、本蘭明朝のファミリー化や紅蘭楷書、茅楷書、茅行書、カソゴH、ゴナ3書体、ナール2書体、ナミン、ミンカール、ラボゴ、鈴江戸、小田勘亭流、イボテ、イナひげ、艶4書体、ゴカール2書体、ロゴライン2書体と、全部で31書体が発表された。

「おそらくはこの年の写研フェアで発表された書体数が最大だったのではないでしょうか。写研の書体開発の勢いが頂点を極めた年でした。しかし頂点を極めたということは、それより上ることができないということです。この頃から、書体デザインは外注ばかりで、写研の社員が開発する新書体、それも、写研を特徴づけるような書体はあまり生まれませんでした」

(つづく)

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。次回は10月22日AM10時に掲載予定です。