新しい時代の象徴

「タイポス」は、その名前も既存のものとは一線を画していた。

「それまでの書体名は、岩田母型の明朝体だから『岩田明朝』、モトヤの楷書体だから『モトヤ楷書』……というように、どこそこのメーカーの書体という呼びかたをしていました。書体に固有名詞をつけたのも、『タイポス』が先駆けだったのではないでしょうか。この名前はグループ名に由来しており、グループ・タイポの書体だから『タイポス』。以降、書体に凝った名前がつけられるようになっていきます」

デザインも名前も設計思想も新しかったタイポスは、ほどなくして、新しい時代の象徴として、華々しい舞台に登場した。女性誌『anan』(平凡出版/現・マガジンハウス発行)の誌面である。

  • 『anan』創刊号 表紙(平凡出版/現・マガジンハウス/1970年3月)

  • 『anan』創刊号 タイポスを本文に使った誌面(平凡出版/現・マガジンハウス/1970年3月)

『anan』は1970年(昭和45)3月、オールグラビアの画期的な女性誌として創刊された。当時はまだ、雑誌では活版印刷が中心だった。『anan』のオールグラビア印刷は、印刷会社の千代田グラビヤが輪転機を輸入したことによって実現したものだった。

『anan』編集者だった赤木洋一氏著『「アンアン」1970』(平凡社新書、2007)には、当時を振り返ってこんなことが書かれている。

〈エディトリアルデザインといえば、アンアンが創刊されてからの一、二年は新書体のオンパレードといったあんばいで写真植字の書体が増えた。それまでの雑誌は活字だから書体はそれなりに完成されていたのだが、オールグラビア雑誌では写植(写真植字)を使うから、新デザインの変形文字が次々に開発されたのだ。堀内さんが面白がってアンアン誌面でどんどん使ってみるから、書体を開発するメーカーも張り切ってデザイン文字を作る。〉P.82

「堀内さん」とはアートディレクターの堀内誠一氏(*1)のこと。彼がおもしろがって使った最初の新書体は「タイポス」で、創刊号のあちこちに、それも見出しだけではなく、ときに本文書体として用いられた。オーソドックスな明朝体、ゴシック体とともにタイポスが使われた誌面は、鮮烈な印象を残した。1971年(昭和46)に創刊された女性誌『non-no』(集英社発行)の誌面でもタイポスが用いられて、さらに注目を集めた。

ベストセラー書籍の本文にも登場

タイポスは1970年代前半に爆発的な人気を得て、雑誌誌面のほか、広告やレコードジャケットなどあちこちで用いられた。その後、さまざまな新書体が登場するのにともない、タイポスの登場頻度は落ち着いていくが、1981年(昭和56)には大きな話題作に使われている。黒柳徹子著『窓ぎわのトットちゃん』(*2)の本文に使われたのだ。

  • 黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』(講談社/1981年)

『窓ぎわのトットちゃん』はタレントの黒柳徹子氏による自伝的物語で、単行本・文庫本をあわせ累計800万部を超えるベストセラーとなっている。1981年(昭和56)3月に刊行されたオリジナル単行本は、四六判の上製本で、本文のかなはゴシック系の「タイポス66」で組まれている。

  • 黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』(講談社/1981年)タイポスで組まれた本文

「タイポスが『窓ぎわのトットちゃん』に使われたときは、驚きましたね。書籍の本文に全面的に使われるとは思っていませんでした」

ふところが広く、明るい表情で、コロンとしたタイポスのかなは、幼少期の物語をつづる同書に、絵本のようなかわいらしくのどかな印象をあたえている。

「タイポスはさまざまな媒体に使われましたが、35、37、44など細いウエイトのものは、アート紙、コート紙のような光沢のある誌面で用いられると、印刷が飛び気味になってしまい、目がチカチカして読みづらくなることもありました。組版や紙質がぴったりのところに使うと、シャープでモダンな印象となり、とてもよかったのですが、人気書体だからとよくばって『こっちにも使ってやろう』とよく考えずに使うと、せっかくの書体をうまく活かせないことになる。書体というのは、万能ではないんです。なにかひとつの書体が流行になったとき、つい右にならえで猫も杓子も使うということが起こりがちなのですが、本当にその媒体に適しているのか見極めるということ、それがやはりいちばんむずかしいところですね」

「書体そのものについて語るのであれば、どれもみんな『よい書体』です。ただ、使う媒体によって、活かされるかどうかが異なるということ。我々書体設計士は、書体の批判はしません。いろいろな書体がありますが、それ自体はそれとして完成された良い書体なのですから」(つづく)

(注) *1:堀内誠一(ほりうち・せいいち/1932-1987):アートディレクター、グラフィックデザイナー、絵本作家。1948年、伊勢丹宣伝部に入社。1955年アドセンターの創立に参加し、広告とエディトリアルデザインを担当。1959年より平凡出版(現・マガジンハウス)『週刊平凡・ウィークリーファッション』のアートディレクションを担当し、以降、『anan』『POPEYE』『BRUTUS』発刊に参加してアートディレクションとロゴデザインを手がける。『ぐるんぱのようちえん』『ふらいぱんじいさん』など、絵本作品も多数。

*2:『窓ぎわのトットちゃん』は「戦後最大のベストセラー」ともいわれている。(講談社BOOK倶楽部)

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。