既成概念を塗り替える書体

時代をひらく新書体を求め、1970年(昭和45)から写研が開催した「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」。第1回で1位となった中村征宏氏(*1)の「細丸ゴシック(のちのナール)」は、見たひとに鮮烈な印象を与えた。

  • 第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト1位・中村征宏氏「細丸ゴシック(のちのナール)」『写研19』(写真植字研究所「写研」編集室、1970年5月)

「活字書体に慣れた者にとっては思いもよらないデザインでした。それまで『ありえない』と思われていた形を提示し、既成概念を崩した書体だったのです」

いったいなにが、橋本さんにそこまでの衝撃を与えたのだろうか。

ナールは、1.5mmの線幅で正方形の字面いっぱいに描かれた、フトコロの広い丸ゴシックだ。従来の丸ゴシックといえば、石井丸ゴシックのようなフトコロの締まったスタイルであり、ナールのようなフトコロの広い明るい表情の書体は、それまでなかったのだ。線幅の細さも新鮮だった。

  • ナール(上)と、石井丸ゴシック(下)

作者の中村氏は、看板店での仕事を通して、文字に出会った。やがてテレビ局のタイトルデザインを手がけるようになり、ニュースやドラマのタイトル文字、スタッフやキャストの名前などをテロップ用紙にデザインして描いた。ニュースタイトルの仕事は、ニュースの内容を要約し、1文字8mm角ぐらいで2行ほどに描くというもので、書体は丸ゴシックに統一されていたという。

その後、広告レイアウトやポスターデザイン、カンプ制作などの仕事にたずさわるようになった。中村氏が石井賞タイプフェイスコンテストの募集広告を見たのは、そのころのことだ。(*2)

ニュースタイトルのデザインを通じて、文字を1字として見るだけでなく、1行としての並びの美しさという感覚を身につけたこと、広告デザインの仕事を通じて従来の書体に「字詰めの問題」を感じていたことが、ナールの発想に結びついた。

当時、広告やポスターの見出し文字などは、字間を詰めて組まれることが多かった。写植機で文字の送りを変えて詰め組みすることもできたが、見出し文字については、印画紙に印字した文字をデザイナーが手で1字ずつ切り離し、字間を詰めて貼って版下をつくることが多く、熟練を要するものだった。

〈ナールの発想時にもっとも強く影響したのは、それまでに経験した字詰めの問題処理にありました。この字詰め作業の時間は非常に多くかかることです。広告の版下制作は、ほとんどが絶対的な時間制限下にありますので、時間が短縮できるということは、作業を進行するうえで、よりスムーズに進められるからです。〉(*3)

著書『文字をつくる』でそう語った中村氏の、「ベタ組みで印字しても字間のバランスがよく、行として美しい書体ができないものだろうか」という発想が、ナール誕生の原点だった。

「ナール登場と前後する時期に、女子中高生のあいだで丸文字や漫画文字といわれる丸っこい文字が書かれるようになりました。若い女性たちのひとつの流行だったのです。ナールは、そんな時代の動きとも軌を一にした書体でした」

橋本さんは、そう時代を振り返る。

しかしナールの制作は、けっして順風満帆に進んだわけではなかった。

(つづく)

(注) *1: 中村征宏(なかむら・ゆきひろ)書体デザイナー。1942年、三重県生まれ。看板装飾会社、テレビのドラマタイトルやニュースタイトルなどのテロップ制作、新聞広告や印刷物のカンプや版下制作、レイアウトなどを経て、1970年(昭和45)、第1回石井賞創作タイプフェイスコンテストで1位受賞。以降、1970~2001年にかけて、写研の原字デザインを19書体手がける。現在も中村書体室として、デジタルフォントの制作・販売を行っている。受賞歴として、石井賞創作タイプフェイスコンテストで1位を1回、3位5回、佳作2回(1970~1994年)。 http://www.n-font.com/

*2:中村征宏『文字をつくる』(美術出版社、1977年)

*3:同書 P.18

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。