「墨だまり」を取る

これまで本連載(第13回、第14回)でもふれたように、機械(ハード)に適した文字(ソフト)をのせなくては、美しい印刷や画面表示は得られない。写真技術をもちい、レンズを通して文字を印画紙に焼きつける写植において、文字を打ったときにその文字をいかに「ふつう」に、違和感なく見せるか。そのためには、ときに「うつくしい原字」とは逆行するかのような、いまでは想像もつかないようなデザイン処理もほどこされていた。

「最たるものが、本蘭明朝の “隅取り”です」 橋本さんは語る。

写植で印字する文字は、線が鋭角に交差する部分に黒みがたまりがちな傾向があった。

「たとえば木偏や、『東』という文字の左右のハライの付け根の部分のように、線が交差し集まるところがすこしぼやけて、他の部分よりも太くなってしまう。だからこうした鋭角に交わる部分は、印字したときにちょうどよくなるように、切り込みを入れる処理を行ったんです」

本文サイズに小さく印字されたものであれば気づきにくいが、大きめに印字されたものを見ると、たしかに大きな食い込みが入っているのに気がつく。

  • 本蘭明朝の隅取り。鋭角に線が交わる部分に、大きな切り込みが入っている

「隅取りによって、シャープで美しい印字結果を得られます。考え方としてはよいのですが、本蘭明朝は写研がこの『隅取り』の処理をやりはじめた初期の書体なので、切り込みがちょっと大きめで、目立つんです。もちろん、制作時には何度もテストをして、見え方を確認しましたが、鋭角に線が交わるところがみんなこう白くなっています。『この切り込みがきれいな模様みたいに見えるから、あったほうがいい』なんて言ってくれる人もいましたが、すこし大きすぎてしまった。でも、写植機で印字するとこれでちょうどよかった」

「それまでの明朝体では、横線が細いため、線の交差部分の黒みがそれほど気にならなかったんです。ところが本蘭明朝では、従来の明朝体に比べて横線を太くしたため、露光の状況によって黒みがたまりやすくなってしまったので、隅取りの必要が生じたのです」

もし現代のデジタルフォントで同じ処理をしたら、切れ込み部分も鮮明にデータそのままの形に出て、大きな違和感を生じてしまうだろう。

「いまのデジタルフォントには不要な処理ですが、当時はこの処理をしたからこそ、本蘭明朝はうつくしい誌面をつくることができた。どうしたらきれいに印字できるのか試行錯誤を重ねて、愚直にコツコツと、すべての文字で、この処理をおこなったんです。こうしたことも、写研における文字品質を高める『画質修正』のひとつでした」

万能機パボの登場と書体ニーズの高まり

話はすこし前後するが、全自動写植機サプトンが開発される一方で、1960年代から70年代にかけて、本連載第12回でも触れた本文用写植機スピカ、次いで万能写植機パボが登場したことが、写植の普及をより進めた。とくに1969年(昭和44)から登場したパボは、高度な組版を効率的に行うことができることから「手動機の王様」といわれ、大企業から小規模の写植専業者や印刷所にまで、次々と導入された。

  • 本文用写植機 スピカA(『写研30』写研、1973年8月)

  • 万能写植機 パボK(『写研30』写研、1973年8月)

もともと、昭和30年代(1955年~)に写植が普及したのは、新聞や雑誌の広告、ポスター、カタログ、パンフレット、DMといったペラものの商業印刷物制作において、デザイナーが写植を使うようになったことが大きく影響している。さらに、紙媒体だけでなく、カッティングマシンを併用すれば、看板に用いる大きな文字も印字できるようになった。

「これまでは活字を扱う印刷所がメインだったのが、ポスターや広告、パンフレットなどの商業印刷物、さらには看板屋さんや墓石を彫るところ、道路標識をつくるところなどまでユーザーが広がり、文字を扱うすべての業界が写植のユーザーとなっていった。そうすると、明朝体とゴシック体だけでは足りない。見出しや装飾用など、それらに適応した多彩な書体が必要とされるようになっていきました」(つづく)

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。