野原: 教育や農業など、ビジネスモデルの根幹や諸条件が変わりにくい業界や産業があり、建設もその一つです。これらの分野でのDXの事例を教えていただけますか?

長谷部: 教育産業は昔から変わらないアナログ的な印象を受けますが、私が最初にDXに携わったのは教育の分野で10年前のことでした。当時はDXではなく、「EdTech(エドテック)」(下図参照)と呼ばれ、塾や予備校など民間教育機関と一緒に、教育分野でデジタルを活用したイノベ ーションを起こす取り組みを始めていました。

今ほどでなくとも子どもたちはスマートフォンやタブレット、パソコンに慣れ親しむなどデジタルリテラシーが高く、民間の教育事業者の方々の抵抗もそれほどありませんでした。コンテンツの制作から入稿、学習計画の策定、学習者に合わせた最適なコンテンツの提供など、一気通貫で実行できるデジタルプラットフォーム(※4)と新しいビジネスモデルを作ることができました。

最近は国も本腰を入れ始め、公的教育機関にもDXの波が訪れています。 いずれにしても教育の領域でDXが比較的スムーズに進んだのは、学習者にデジタルリ テラシーがあり、顧客も価値がわかりやすかったからだと思います。サービスを届けるまでのバリューチェーン(※5)が短かったことも、プラスに影響しました。

  • Edtechとは、EducationとTechnologyを組み合わせた造語

※4 デジタルプラットフォーム:オンライン上でさまざまなサービスやコンテンツを提供する基盤

※5 バリューチェーン:製品やサービスを生産する過程全体を示す概念のこと。価値連鎖

野原: EdTechは10年前からすでにあり、先行事例も多いのですね。直近ではどうなのでしょうか? 踊り場を迎えているのか、さらに進化しているのでしょうか。

長谷部: 不可逆的だと思います。顧客が利用形態に慣れ、さまざまなデバイスで学習する浸透度合いも深まっています。

野原: もう一つ、日本でDXというと、製造業関連の事例が多いように感じています。建設業も製造業と同じくサプライチェーンが長く、かつ多重階層構造である類似点はありますが、建設DXのスピードのほうがやや遅いように感じます。どこに違いがあると思われますか。

長谷部: サプライチェーン全体で見ると、製造業のほうがDXは進んでいる気がします。ただし、一概に製造業が進んでいて建設業が遅れていると言えない部分もあります。

例えば、建設業はビジネスチャットなどコミュニケーションの部分で積極的に活用する事例は増えています。品質管理のため図面や現場の写真をデジタルプラットフォームで管理・報告する事例も盛んに出てきています。一方で、生産性を業界横断的に高めていくDXは進んでいない印象を受けます。

製造業がなぜそこまで進んでいるかは、グローバルサプライチェーンでつながっており、欧米のクライアントからの要請があるからです。対応しないと取引ネットワークから排除されるかもしれないという懸念は日本の一次下請け以下の企業が抱えており、DXだけではなく、「SX」の要請もあるのでデジタル化は否応なしに対応せざるを得ません。よって、サプライチェーン全体におけるDXの流れは製造業の方が進んでいると感じています。

野原: ちなみに「SX」とは何を指すのですか。

長谷部: SXは「サステナビリティ・トランスフォーメーション」のことで、日本でなじみがあるのは、脱炭素でしょう。

他にも資源循環や人権への配慮など幅広い領域があります。社会や環境のサステナビリティ(※6)に配慮した取り組みをするためのグローバルスタンダードな行動規範を業界が定めていることもあります。これに沿ったビジネス活動をしていないと、取引から外される恐れがあるのです。建設業ではどうでしょうか?

※6 サステナビリティ:Sustainability。環境や経済などに配慮した活動を行うことで、長期的に持続可能な社会に変えていこうという考え方

野原: グローバルな発注者のプロジェクトでは、サステナビリティを高めるために現場での廃材を減らす、グリーン材料(※7)を使うといった要望が入ります。欧州では一般的になっていて、日本でも少しずつ、そういうプロジェクトが増えているようです。確かに、建設業では情報コミュニケーションはここ数年で大きく進展しました。

※7 グリーン材料:環境への負荷を配慮し、最小限に抑えるために設計された材料を指す

長谷部: 特に建設業の皆さんは、現場と外部や現場内での情報コミュニケーションですね。

野原: かつては、朝礼のため午後から出社する人が朝から駆り出されるなど、非効率な部分がありましたが、デジタルの掲示板などを活用することで、そうした無駄はかなりなくなりました。

「デジタルの情報を常に見えるところに出しておく」「スマホで見られるようにしておく」「危険な地域などに入るとスマートフォンやタブレットにプッシュで情報が届く」など、多彩なやり方が実現していると感じています。

ところで、先ほどの話を受けてですが、建設産業でのDXを推進するドライバーは何だと思われますか? 建設業もサプライチェーンが長く、生産性向上には全体での連携・共創が必要ですが、請負構造のためか、発注者、設計事務所、ゼネコン、サブコン、建材メーカーなど各プレイヤー間での意識に濃淡があるように感じています。各プレイヤーが建設DXを成功させるためのポイントがあれば教えてください。

長谷部: サプライチェーン全体の足並みがそろってこそ、全体での生産性向上が実現されます。ですので、BIMをベースとした建設業界のDXをひとつイメージするにしても、どこまで先行投資・先行着手するかは企業ごとで温度感は異なります。サプライチェーンの前後が着手してからでもよいと考える企業も多いでしょう。

ただし、私のこれまでの経験からすると、サプライチェーン上の最終顧客、いわゆる「発注者」を味方につけることが重要ではないかと考えています。

本来、サプライチェーンの生産性向上は最終的に発注者にもメリットが還元されるべきですし、BIMをベースとしたDXは単なる生産性向上以上に発注者のメリットがあると思います。最終顧客の価値をしっかり定義し、それを伝えて共有する。そして発注者を味方につけ、それを実現するためのサプライチェーン上のイノベーター、共感してくれる企業と共に実証を進めるのが大事だと思います。

野原: なるほど。最終顧客である発注者に目を向ける。

長谷部: ええ。先ほど教育の事例を挙げましたが、何がDXを進めるモチベーションになっていたかというと、受益者である最終顧客の学習者によって選ばれることでした。そのために新しい価値を提供しようと皆ががんばっていたのです。サプライチェーン上でいくと顧客に選ばれるためには、顧客の顧客に選ばれることが求められる。さらに、その顧客の顧客に選ばれようとする連鎖が続きます。最終顧客を先に味方につけるのは、外せない考え方、進め方だと思います。

もう一つ付け加えるならば、小さくても早い段階で「こうなれば成功だ」という定量的なポイントを参加者間で定義・共有し、成果を確認しながら進めることです。私たちは「クイックウィン」(※8)と呼びますが、関係者の間でできるだけ早く成功を経験することは、モチベーションを維持する上で、極めて大切です。BIMベースのDXの成果に3年かかるのか、5年かかるのか、誰も明確に言えない状況であるなら、社内外で息が続かず時間が尽きる恐れもあります。

※8 クイックウィン:小さな取り組みであっても短期間で成果を得るための考え方や取り組みを指す

野原: 顧客あってのDXであり、建設であれば発注者をどのように巻き込むかはポイントでしょうね。

長谷部: 私は建設業の専門家ではありませんが、他の数々の産業を見渡すと、最終顧客とのエンゲージメントは外してはいけない要点でしょう。 最終顧客への価値を定義し共有して進めるのと、サプライチェーンの内輪だけでやっているのでは推進力が変わります。

野原: 野原グループのBIMツールである「BuildApp(ビルドアップ)」(下図参照)は、まだまだ建設産業全体には行き届いておらず、現状は大手ゼネコン中心の取り組みになっています。当然、発注者にどのようにアプローチするか、これから少しずつ進めていかねば、と強く感じました。

  • 野原グループのBIMツールである「BuildApp」の概要