建設産業の内外に「建設DX(デジタルトランスフォーメーション)」を実現しなければいけないという意識はあるのに、なかなか進まない現状があります。
本連載では、その理由が何なのか、建設DXの普及を牽引する企業である野原グループの代表取締役社長兼グループCEO、野原弘輔氏をホストに、建設産業に携わる多様な立場のゲストの方との対談を通じて、建設産業への思い、DXへの取り組みについて浮き彫りにします。
第4回は、塗装業、土木重機、解体業の現場で活躍する、若く意欲的な職人お三方に、建設現場の今と未来について伺います。
道具を手にして施工する楽しさと、面白さにつながる奥深さ
今の時代に合わない非効率な慣習や仕事の進め方は見直しを
経験やスキルの不足をデジタル技術で補完できる時代がすぐそこに
野原: 入職以前のキャリアもさまざまかと思いますが、まずは建設産業で働き始めて驚いたことについて教えてください。
徳島: 私は高校を中退して17歳から現職である塗装業で働いています。正直に言うと、実際に働いてみるまではもっと簡単な仕事だと思っていましたね。ただ塗料を塗っているだけで力仕事でもない。言葉を選ばずに言えば「楽勝だろう」と思っていたのです。
しかし現場に入ってみると、各所で緻密な技術が求められる仕事であることがわかりました。ただ、指定された場所を塗ればいいわけではないのです。塗らない部分をカバーする養生をするにも技術が必要ですし、道具ごとに塗料溜まりを作らない塗り方があります。
外から見ているときは単純作業のような印象を持っていましたが、実際は違いました。職人の技術力やクリエイティブな面に触れるたびに驚かされました。もっとも難しいだけではなく、面白さにつながる奥深さがあることも、日々、実感しています。
東: 私は清掃パートとして会社勤めをしていた時、隣の工事現場で見たユンボ(※1)に一目ぼれして建設産業に入りました。それまでは息子のトミカの重機シリーズを見ても、全部同じに見えてしまうくらい興味がなかったのですが、現物を見た途端、すっかり惚れ込んでしまいました。
大型特殊免許を取得した後は重機に乗りたい一心で求人情報を隅から隅まで眺めていました。しかし、最初は募集を見ても何の仕事なのか見当もつかず、どこに申し込んだらいいのかもわからず、最終的にはグーグルマップのストリートビューを拡大して、敷地内に重機が置いてある会社を探し応募しました。
入社後はカッコいい重機に乗る仕事に就けたのが本当にうれしかったです。その気持ちは今も変わることなく、毎日やりがいを感じながら働いています。
※1 ユンボ:一般にはバックホウ、油圧ショベル、パワーショベルなどと呼ばれる掘削用建設機械の呼称の一つ
渡邊: 私は建物の解体を生業にしていますが、徳島さんと同じようにやってみて難しさを知りました。何も考えずに崩してしまうと大事故につながるような建物が多いのです。外から見ていると簡単に崩しているように見えるかもしれませんが、明確に決められた手順通りに解体しなければならないため、精神的にもプレッシャーがかかる仕事だと思います。
また鉄筋が邪魔してユンボのアームに付けた解体用のアタッチメントが建物内に入っていかないことも多く、バーナーで鉄筋を焼き切るような手作業が多いのも意外でした。建物に適したユンボのアタッチメントを選ぶような前準備も多いので、見た目よりも緻密な行動が求められる仕事です。
野原: 三者三様の大変さがあると思います。今は皆さん独立して仕事をされていますが、どのように仕事を覚えてきたのでしょうか?
徳島: 現場で質問をしまくっていました。少しでも早く仕事を覚えたかったので、いろいろな先輩方に「教えてください!」といつも聞いて回っていました。塗料の反応に対する天気の影響とか、塗料同士の相性とか、昔ながらの塗装技術とか。現場でしか培えない感覚や得られない知識はすごく多いので、人に聞いて学ぶのは大切だと思います。
塗装の仕事を始めたのは17歳からですが、その頃から人に聞く姿勢は変わっていません。当時は同年代の若手で私ほど質問をする人がいなかったので、先輩方には随分かわいがっていただけたと思います。
野原: 先輩方とのコミュニケーションの中で知識を蓄えていったのですね。
徳島: そうですね。先輩に聞いたことを試して、また質問しての繰り返しでした。少なくとも私が見てきた現場では、コミュニケーションを取れない人は「無愛想なヤツ」と認識され、技術も知識も伸びていなかったと思います。
東: 重機ならではの特徴かもしれませんが、私の場合は先輩から「見て覚えろ」と言われ続けてきました。口で教えるのではなく、「やって見せるからそれで覚えろ」という指導が当たり前でした。
当時は業界用語さえもわからず、指導についていくのがやっとでした。そんな状態でしたから、いきなり現場に出るのは無理ですよね。前の会社が現場作業ではなく、置き場と呼ばれる、土をストックする会社だったこともあり、そこで機械の基本操作を学びました。
渡邊: 私は反対に一切誰にも教わらずにここまで来ました。18歳の頃にアルバイトで解体の現場に入りましたが、特に師匠と呼べるような存在はいなかったので、現場で見て覚えて、失敗して怒られて、を繰り返しながら独学で覚えていきました。休憩時間に勝手にユンボを動かして怒鳴られたこともあります(笑)。
今の時代にはもう「見て覚えろ」ははやらないと思いますよ。もちろん覚えがいい人、悪い人の差はありますけど、今は1から10まで説明してあげるのが大前提になっているのではないでしょうか。