今回のテーマは、漫画を描く時のBGMについてだ。

基本的に無音で作業することはない。音楽、ないしは動画を流しながら作業する。音楽は気に入ったものなら何でも聞くが、「集中力を引き出すBGM」といった類いの物は聞かない。ないものは出せないからだ。では、何を基準にBGMを選ぶかと言うと、「とにかく元気がでるもの」だ。

仕事に挟まれた生活を癒やす「作業用動画」

私の原稿製作は百発百中、疲労状態から始まる。平日は8時から17時まで会社勤めをし、帰って夕飯を作ってから原稿に取り掛かる。仕事to仕事という、この就職難の時代において夢のような生活である。そして、それを月から金、時に土曜までやるのだが、さすがに日曜は会社が必ず休みになるので、朝から1日漫画を描くことができるのだ。本当に神に感謝せざるを得ない。

本当に忙しかった時は、朝は1時間早く起き、出社時間まで原稿をしてから会社へ行き、会社から帰ってまた原稿をする…という、仕事を仕事で挟む贅沢ハンバーガーのような生活をしていたのだが、ちょっとカロリーが高すぎて、心身ともに異常をきたしたのでさすがにやめた。

自分で選んだ道とは言え、「仕事を終えて、さあ仕事だ!」という生活はどうしても気分が沈む。ならばその気分は、もっとキツい人を見て奮い立たせるしかない。

そのため、動画をBGMにする時は、とにかく私よりキツい人が出てくる物を流している。主に、ドキュメンタリーやニュースで生活に困っている人を追ったものを見ているが、最近は売れない地下アイドルなども熱い。

もちろん、キツい人なら何でもいいと言うわけではない。私も年である、量をガツガツいくより、より上質なキツい人を楽しみたい。だから、「あくまで自己責任でキツい人」を選んで見ている。

しかし、毛ほどもかわいそうと思えない人が出てくるプレミアム不幸動画というのはなかなかないもので、同じ動画を何回も見ることになるのだが、これがビックリするほど飽きない。イイ不幸というのは何度見ても新鮮にイイ物なのである。今、自分を不幸だと思っている皆さんも、どうせならこのぐらいの高みを目指してほしいと思う。

カレー沢氏イチオシの「作業に適した映画」は?

また、作業中に映画を流すこともたまにある。だが、二十代半ばを過ぎたあたりから、映画に限らずフィクションを見ることが難しくなってきた。特に、漫画家になってからというもの、徐々に漫画が読めなくなり、今では一部のジャンルを除いて 、本屋で売っている漫画はほとんど読めなくなってしまった。元来嫉妬深い性格なので、自分の作品と比べたり、あら探しをしてしまったりと、純粋に楽しむことができないのだ。

漫画家になったことによる最大の不幸は、「〇〇万部突破」などの文言で、その作者に大体いくら入ったかわかるようになってしまったことである。漫画家になる前は「売れてんだな、儲かってんだろうな」ぐらいにしか思わなかったが、自分も本を出すようになり、その計算方法がわかった今、「100万部突破」などと書かれた帯を見た瞬間、顔じゅうの穴から血が吹き出し、読むどころではないのである。

話を映画に戻すと、見ることができるジャンルは漫画と同様に年々減ってきているものの、内容が自分から遠い分野のフィクションであるなら、今でも映画を鑑賞することはある。日常がディープブルーすぎるので、フィクションの世界では1ミリたりともブルーになりたくないのだ。

まず、人間関係を主題にした映画はダメだ。この時点で、恋愛物を筆頭に大体の映画がダメになる。そして、できるだけ自分の生活とはかけ離れたものが見たいので邦画もダメだ。つまり洋画のアクションものぐらいしか安心して見ることができないのだが、それだって最終的に主人公が命を落とすなどの鬱展開があり得る。

こうなると、もはや延々と『マッドマックス』を流し続けるしか選択肢がなくなるのだが、何せ作業BGMである。画面はほぼ見ないため、ドッカンドッカンヒャッハーという音のみをずっと聞き続けることになる。『マッドマックス』だけでなく、アクション映画は総じて作業BGMには向かない。

そこで私が作業中にヘビーローテーションしている映画は『八甲田山』である。上記で述べた「見ることができる映画の条件」を完全に無視しており、まずもって邦画だし、鬱か躁かと言われたら完全な鬱映画である。しかし、これが作業用BGMとしては実に良い塩梅なのである。

役者の演技が良いので音声だけでも十分面白いし、セリフだけでストーリーが大体把握できるところも良い。劇中音楽も最高なのだが、やはり「色々大変だけど、ここが猛吹雪の八甲田山じゃなくてよかった!」と思えるところが素晴らしい。

このようなパニック系映画はアクション映画以上に好きなのだが、この類いばかり見ていると雪山には行きたくなくなるし、海もサメが出るから嫌だ、山は熊がいるからダメ、飛行機に乗ると確実に落ちるかハイジャックされるから乗れないし、1歩外に出たらあたりは深い霧につつまれ怪生物に襲われてしまうから出たくない、と思ってしまう。

このように映画を見れば見るほど行動範囲が狭まり、部屋からすら出たくなくなるのだが、その部屋の中でさえ、無造作に置かれた漫画雑誌の表紙に書かれた「100万部突破アニメ化決定」の文字を見て、体中の穴から血を吹き出してしまうこともあるのだ。私が心から安心して楽しめる趣味とはどこにあるのだろうか。

カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は9月8日(火)昼掲載予定です。