厳密にいうと「塗装」の話ではないのだが、「塗装の代わり」ということで、印刷シートの活用も取り上げてみたい。クルマの世界では、塗装する代わりに印刷シートを用いる事例が以前からあったが、近年では鉄道車両や航空機でも活用事例が増えている。

印刷シートの利点

第208回で書いたように、凝った図柄を塗装によって実現しようとすると、マスキングと塗装の繰り返しになる。飛行機ではないが、以前に山陽新幹線を走っていた「500 TYPE EVA」は、JR西日本テクノスが頑張って仕上げた、手間のかかった塗装事例の1つ。

飛行機でも、その気になれば同じことはできるだろうけれど、相手が大きいだけに、かかる手間と時間と費用も増えてしまう。エアラインにとっての旅客機は「飛ばして利益を生み出してナンボ」だから、手間のかかる塗装作業のために飛べない時間が増えるのは困る。

では、粘着シートに印刷を施す方法はどうか。レーシングカーや、いわゆる「痛車」では広く使われている手法である。これなら、印刷できる図柄であればなんでもござれ。事前に印刷しておいたものを貼り付ければ済むから、塗装ほどには時間がかからない。筆者が先月に乗った、JALのA350「20th ARASHI THANKS JET」みたいに、似顔絵を描くような手の込んだ真似もできる。

  • 日本エアコミューターのサーブ340。「沖永良部島に行こう」というスペシャル・マーキング機だが、この写真を塗装で描くのは無理がありそう

印刷シートの課題

もちろん、大きなシートを、曲面を描いている機体表面に対してきれいに、しかも気泡や歪みが生じないように貼り付けるには熟練を要する。われわれはスマートフォンやタブレットの画面、あるいはカメラの背面液晶に保護フィルムを貼るのに難渋しているが、飛行機の機体表面と比べれば、破片にもならない程度のサイズである。

そして、シートのサイズには限りがあるし、そこに印刷するためのプリンタにも同様にサイズの制限がある。すると、サイズが大きなものは分割しなければならない。大きな図柄を複数のシートに分割して印刷して貼り付けた場合、継目の部分がずれるとみっともない。

ここまでは施工における難しさだが、それだけではない。シートの素材そのものに求められる条件も、飛行機は桁違いにシビアだ。第207回で書いたように、温度範囲が広い(-50~+40度ぐらい)だけでなく、風雨にさらされるし、太陽光や紫外線も浴びる。

第一、飛行中はずっと900km/hぐらいの風が流れているという環境だ。そこでシートが剥がれるようなことがあってはならない。機体の保護とかどうとかいう以前に、安全運航に関わる大問題になる。

そんな過酷な環境に耐えられるシート素材と粘着剤。そして、そのシートに対してきれいに印刷を行える素材とプリンタ。もちろん、その印刷はシートを剥がす日まで、褪せたり劣化したりしないことが求められる。おまけに、しっかり貼り付いていなければならないシートは、用済みになった時は簡単に剥がせなければならない。剥がした後の掃除や後処理に手間がかかるようでは困る。

ステッカーやシールを剥がした後で、残った粘着剤などの処理に難渋した経験がある方は少なくないはず。実は除光液を使うとサッと落とせるけれど、飛行機に除光液というわけにもいくまい。

それらのシビアな条件がそろうことで初めて、印刷シートによるスペシャル・マーキングが可能になる。

その「使える」印刷シートができれば、スペシャル・マーキング以外にも活用の可能性が出てくる。例えば、機体表面に施されている各種の標記類やロゴタイプについて、いちいち塗装する代わりに印刷シートで済ませることができれば、そのほうが手間がかからない。

剥がれた(?)スペシャル・マーキング

印刷シートを用いるスペシャル・マーキング、実は民航機に限った話ではないらしい。

実機を見た時は気付かず、後で知ったのだが、スウェーデン空軍のF17航空団が2019年にこしらえたスペシャル・マーキング機が、実は印刷シートを使っていたらしい。某誌の記事で「ところどころ剥がれている」との指摘があって、それで印刷シートではないかという話になった。

その機体がこれ。キャノピーから垂直尾翼にかけて、それと主翼の端部を青く彩色したほか、(下の写真では見えないが)胴体上面の左右に歴代使用機のシルエットを描いたもの。細かいところでは、機首両側面の国籍マークが金色になっている。

  • スウェーデン空軍のF17航空団が、2019年に送り出したスペシャル・マーキング機。機種はJAS39Cグリペン

剥がれたといえば。航空自衛隊・百里基地のRF-4E/EJ部隊・第501飛行隊が、2019年にスペシャル・マーキング機を送り出した。フィルム式の偵察カメラを使用する機体を使っているからということで、フィルムを模したバンドを巻いたのだが、それが胴体だけでなく増槽も対象になっている。

ところが。胴体の方は問題なかったが、増槽の塗装が剥がれてしまっている機体を見かけた。周囲の地色も一緒に剥がれているから、スペシャル・マーキングが悪いわけではないだろうけれど。

  • 航空自衛隊のRF-4E。増槽の塗装が下半分だけ剥げてしまっている

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。