国内パソコンメーカーが単独で開催したイベントとしては、過去最大規模として語り継がれるのが、富士通の「電脳遊園地IN東京ドーム」だ。1989年3月10日~12日の3日間にわたって開催したこのイベントは、22億円の費用を投じ、発売直後だったパソコン「FM TOWNS」を約400台も展示。ソフトメーカーや周辺機器メーカーなど270社も出展し、約600種類のアプリケーションが展示され、会期中には18万人が来場した。
1回目の電脳遊園地は当初、1988年11月18日~20日での開催が予定されていた。だが、1988年9月から昭和天皇の病状悪化が明らかになり、日本各地で自粛の動きが拡大。電脳遊園地の開催は一度見送られることになった経緯がある。
開催に向けて多くの準備が完了していた段階での延期決定であり、パンフレットの印刷なども終わっていた。今回、シリーズ連載「富士通のパソコン40年間ストーリー」に関する取材の過程で、そのときの貴重な資料が見つかった。富士通社内に残っていた資料には「富士通プレゼンテーション '88」と表記され、開催日程も11月18日~20日となっている。まさに幻のパンフレットだ。
富士通のパソコン40年間ストーリー【本編】 ■第1回 ■第2回 ■第3回 ■第4回 ■第5回 ■第6回 ■第7回 ■第8回 ■第9回 ■第10回 ■第11回 ■第12回 ■第13回 ■第14回 ■第15回 ■第16回
ちなみに、東京ドームを使用した富士通のイベントは、1991年までに計4回開催されている。その後は東京ドームシティプリズムホールや新宿NSビルなどに場所を移し、「電脳マルチメディアランド」といった名称で1996年まで開催された。
今回、電脳遊園地の開催に向けて会場の設営を行っている貴重な写真も入手できた。1989年12月9~11日に開催した第2回「電脳遊園地ハイパージャングル」の会場設営時の様子だ。
開催2日前となる12月7日午前0時から始まった東京ドームの会場設営は、まずは人工芝の上にブルーシートを敷くことからスタート(イベントによっては、人工芝を取り除いてその上に設営する例もある)。写真を見ると、約1時間をかけてグラウンド全体にブルーシートが敷かれたのち、さらに保護用のシートを敷設しているのがわかる。午前5時30分過ぎには、グラウンドのほぼすべてに保護用シートを敷設した状態になった。
午前7時になると、保護シートの上に敷かれた搬入車両通過用ビニールシートの養生が行われ、その上を車両が通り、設営資材の搬入が開始された。午前7時30分には、トラックが次々とグラウンドに入ってきた。ちなみに東京ドームでは、会場に入れるトラックの数が厳密に管理されているという。
午前8時30分。一部のブース組み立てが始まった。午前9時30分の時点では、一塁側はかなり進展しているように見える。午前10時30分、大型トラックによる資材の搬入も始まり、エントランスやステージの設営に使われる資材が運び込まれているようだ。設営開始から約12時間を経過した12月7日午前12時(正午)には、ステージの設営も開始された。
午後2時30分になると、ステージの設営が急ピッチで進み、三塁側のブースづくりも進行。午後4時30分過ぎには、ブースエリアに看板も立ち始めている。ここから個別のブースづくりに入っていく。
24時間を経過した12月8日午前0時30分には、ステージやブースはほぼ完成した。あとは出展各社による展示準備だ。実は、このときの搬入は予定より約3時間も早く完了し、各ブースへの通電時間も早まった。各ブースの準備もスムーズで、3月8日夕方からのリハーサルも順調に進んだという。