阪神タイガースの本拠地であり、古くから高校球児の憧れの場でもあり、数々の名勝負を刻んできた阪神甲子園球場(以下、甲子園球場)。そんな野球の聖地、甲子園球場を包み込む照明設備がこのほどリニューアルされました。3月18日から始まる選抜高等学校野球大会、そして3月25日のプロ野球開幕を前に、新設備が報道関係者にお披露目されました。新しい照明を手がけたのはパナソニック エレクトリックワークス社です。
甲子園球場と言えば、カクテル光線の発祥の地でもあります。白とオレンジという2色の照明光を組み合わせて、自然光に近づける照明手法です。
戦後、ナイター照明が各地の球場に広がりました。当初の照明は白熱電球でしたが、オレンジがかったその色味は、自然光に近い反面、球場全体を照らすには明るさ不足。そこで、より明るく青白い光を発する水銀灯を加えて明るさを補う方法が、1956年に甲子園球場で初めて採用されました。
異なる種類の照明を組み合わせた設備の導入は、当時、世界でも初めての試み。この仕組みの照明は以降「カクテル光線」と呼ばれ、各地の野球場をはじめ、屋内外のスポーツ施設にも導入されていきました。
甲子園球場の照明はその後の1974年、演色性(照明下における色の再現性)を重視したメタルハライド灯と高圧ナトリウム灯の混光原へと変更。今回の取材に同行してくれたパナソニック エレクトリックワークス社 ライティング事業部エンジニアセンターの岩崎浩暁氏によると、「これまで使われていた白色のメタルハライドランプは演色性も消費電力も高い。一方で、オレンジ色の高圧ナトリウムランプは演色性は低いものの、低消費電力という特徴があり、双方のデメリットを補い合うためにカクテル光線が必要でした」と説明します。
甲子園球場では2007年から2009年にかけて、座席をはじめ、球場全体の大規模なリニューアル工事が行われています。そのときは6基の照明塔が建て替えられていますが、LED照明への交換は見送られていました。阪神電気鉄道 スポーツ・エンタテインメント事業本部 甲子園事業部の赤楚勝司氏は「当時の技術水準では、伝統あるカクテル光線をLEDで再現することが難しかったからです」と語ります。
甲子園の灯りを守るLED照明とは
時代とともに白熱電球の生産が中止されていき、甲子園球場以外の施設でもLED照明への移行が急速に進みました。カクテル光線も徐々に姿を消しつつあります。「単体で演色性にも省エネ性にも優れているLED照明ではカクテル光線は必要がなくなったのです」(岩崎氏)というのが理由です。
しかし、甲子園球場の伝統の灯りを守るために、パナソニックは約2年の歳月をかけてカクテル光線を再現するLED照明を甲子園用に開発。2021年11月から2022年2月にかけて交換工事を実施しました。「銀傘」と呼ばれる内野席を覆う大屋根の両翼(2カ所)と、外周部にある4基の照明塔、計756台の照明器具がすべてLED照明に交換され、13年ぶりのリニューアルとなりました。
パナソニックが手がけたLED照明による新カクテル光線は、白色548台、オレンジ色208台で構成。まぶしさを抑えるために、各照明器具の角度を緻密に設定し、1台ずつ、1度ずつ、手作業で調整していったそうです。挟角配光によって、光が分散して塊になりにくく、球場外に漏れる光を抑え、どこから見ても不快なまぶしさを感じさせない優しい光環境を実現しました。
まぶしくなる光源を減らすために、パナソニックは自社のVR技術による「まぶしさの可視化技術」を用いて、フライボール(打球)の視認性などを事前に評価・検証。阪神タイガースの選手によるナイターのチェックでも、「守りやすくなった」と高評価を得たとのことです。
岩崎氏は「選手がボールを目で追いやすいようにまぶしさを抑えた一方で、オレンジ色がやや薄いという指摘もあり、調整に苦労しました」と試行錯誤の苦労を明かしました。ほかにも、改修前後で障害光のシミュレーションを実施。たとえば球場横を走る阪神高速道路から見たとき、球場からの障害光(車の走行に影響を与える光)を減らす工夫も採り入れているそうです。
甲子園球場からの映像を美しく届けるために
昨今では、4K8K放送規格へ対応するため、テレビで放映される競技場の照明には極めて高い演色性が求められるようになりました。パナソニックは放送機材でもトップメーカーということもあり、プロスポーツ施設向けに4K8K放送対応のLED投光器を先行的に開発。
「これまでも白色LEDではありましたが、カクテル光線での対応事例はなく、新たな照明技術の開発が必要でした。2色混光時(白色とオレンジ色)、自然光に最も近づくように器具単体の演色性を調整しています」(岩崎氏)
LED照明の大きな特徴のひとつは、点灯・消灯が瞬時に可能なこと。これについて岩崎氏は、次のように解説してくれました。
「従来のスタジアム向け照明は点灯・消灯に時間がかかりましたが、LED照明ならイベント中の暗転など多彩な照明演出が可能です。DMX制御という舞台演出などにも用いられている照明制御の規格によって、756台のLED照明を1台ごとに点灯・消灯、調光ができます。そこで鉄塔照明を活用して、ドット絵のような図柄や文字を、LED照明で表示する演出も行えるようになりました」(岩崎氏)
甲子園球場のグラウンドで行われたお披露目会では、2色のLED照明によって、照明塔に阪神タイガースの「TH」ロゴマークや、トラが走る絵模様、7回裏のチャンス回に数字の「7」を点灯させるデモンストレーションも。外野バックススクリーン(大型ビジョン)の映像・音響と連動したダイナミックな演出も新しい試みです。
甲子園っていいなぁ
甲子園球場では、2021年12月に環境プロジェクト「KOSHIEN "eco" Challenge」を宣言。パートナー企業とともに、廃棄物の抑止やリサイクル推進、CO2排出量の削減、再生可能エネルギーの活用という3本柱で、環境活動に取り組んでいます。パナソニックもパートナー企業の1社として、ナイター照明をLED化することによって、従来に比べて消費電力とCO2の排出量はおよそ6割も削減できるとのこと。甲子園球場が導入したLED照明の寿命は、約4万時間と長いのもメリットです。
阪神電気鉄道 甲子園事業部の赤楚氏によると、球場照明のLED化は2016~2017年あたりから検討していたとのこと。リニューアルへの思いを語ります。
「パナソニックさんのLED照明は、光のまぶしさや柔らかさ、カクテル光線の再現性に最も優れていると感じました。そのほか導入機器のスペックなども比較した結果が選定理由。カクテル光線やラッキー7といった甲子園の歴史は大事にしていきたいと思っています。さらに、大人にはノスタルジックな、子どもにはわかりやすく、照明と映像・音響を連動させた独自の演出も採り入れ、環境保全にも貢献しながら、地域から愛される日本一の野球場を目指していきたい」(赤楚氏)
甲子園球場の新たなLED照明は、3月18日に開幕する選抜高校野球から使用される予定。照明の演出は、阪神タイガースの本拠地開幕戦となる4月5日の横浜DeNAベイスターズ戦からファンの前で披露されるとのことです。
現在ではドーム型の球場も増えましたが、甲子園をはじめとして屋外の球場と言えば、夜空に浮かび上がるカクテル光線と、その先に照らし出される美しい芝生。そして、大人は星空を見上げて飲み干す一杯。甲子園に限って言えばジェット風船――。
ただ、コロナ禍でその醍醐味や名物も、大声援やトランペット隊での応援といった球場で味わう一体感も、多くが失われました。足を運ぶ機会や意欲が減ってしまった野球ファンも少なくないと思います。筆者もその1人です。今回、甲子園球場の照明リニューアルによって、それらが新しい形で復活する兆しと期待を感じました。
ごく当たり前に思っていて、そこまで注目したことはなかったスタジアム照明でしたが、暗い屋外だからこそ輝く夜空のエンターテインメントと、主役である選手たちによる筋書きのないドラマ。甲子園球場に行ったことがある人もない人も、ライブならではの高揚感とロマンを味わいに足を運んでみてください。