2022年の新年早々、「世界初のミラーレスを世に送り出したパナソニックがシェア低下にもがいている」といった記事がビジネス媒体に掲載され、写真ファンを騒がせました。数々のLUMIXシリーズを自腹で購入して使い込んできた落合カメラマン曰く「記事のLUMIXシェア推移グラフは、我が写真生活におけるLUMIXの存在感と見事に相似」。歴代LUMIXのどこに惚れ、どこがイマイチと感じ、現状の課題は何だと見ているのか、語ってもらいました。
LUMIXシェア低迷報道に意外な思いは抱かなかった
ちょっと前、パナソニックのデジカメ(ミラーレス機)が、よもやのシェア低迷に悩んでいるという趣旨の記事を目にした。「LUMIXの市場シェアが1ケタ台にとどまっている」との指摘だ。
サラッと目を通しだけで、大して気にすることなくそのままにしていたのは、ミラーレス機の中におけるパナソニック(LUMIX)のシェアが低いことに、さほどの疑問、意外な思いなどを抱かなかったからだ。うんうん、そうだよねー。で?ってなもんである。
パナソニックはミラーレス機の生みの親だ。世界初のミラーレス機「LUMIX G1」がお目見えした2008年には、ミラーレス機の販売台数のうち実に95%がパナソニック製だったという。でも、これ、「他にミラーレス機がないも同然」の世の中では、ある意味アタリマエの数字。その後ジリジリとシェアを失ってきたのは、まずはミラーレス機の選択肢が増えたからだろう。
もちろん、その中で「他を圧倒する魅力を広くアピールできなかった」のは、厳然たる事実であり結果だ。スマホの台頭も、戦略を練るうえでは想定外のことだったのかもしれない。そんな中、私には「レンズ交換式LUMIX」、すなわちパナソニックのマイクロフォーサーズ機の虜になっていた過去がある。シェアの低下が我がことのように“身近な出来事”に感じられ、まったく意外性のない普通のお話に聞こえてしまったのは、実は我が家にもその縮図が存在していたからだ。
先進的で魅力あふれるLUMIXにゾッコン惚れた約3年
最初に手に入れたのは、2009年発売の「GH1」(2009年6月)だった。フルサイズ一眼レフ(当時使っていたのはニコン「D3」と「D700」)よりも圧倒的に小さく軽く、APS-Cセンサーを搭載する一眼レフよりもさらに手軽に常時携帯できそうなマイクロフォーサーズのシステムに興味を持ったこと、それがきっかけだ。いま思うと、あのとき漠然とではあるけれど、私自身「一眼レフの“次”」を模索し始めていたように思う。同年には、GH1とはキャラクターの異なる「GF1」(2009年9月)も購入するなど、けっこうホンキの「ちょっかい出し」だったのだ。
翌年には「GH2」(2010年10月)を入手。依頼仕事(撮影)で使うことを前提に、2台買いを果たした初のミラーレス機となるのだが、ここで特筆しておくべきは、当時すでにソニーのミラーレス機「NEX-5」(2010年6月)を手に入れていたにもかかわらず、GH2の2台買いを敢行していた点。将来の刺客、その斥候ともいうべきNEX-5は、フォーサーズよりも大きなAPS-Cセンサーを搭載するが、キットレンズの描写性能や交換レンズラインアップの少なさが足を引っ張るカタチで、当時はまだまったく弱い立場でしかなかったのである。
「GF2」(2010年12月)をスルーするカタチで購入することになった「GF3」(2011年7月)は、超小型ボディを活かしての常時携帯機として、かなり重宝したモデル。両吊りのストラップを活かし、首から提げた状態で主に14mmの単焦点レンズを用い動画を撮り続ける“メモ撮り動画撮影”を積極的に実践した。私にとっては、動画撮影に係る新たなアプローチに気づかせてくれた存在でもあったといってもいい。
次に手に入れた「GX1」(2011年11月)は、高感度画質と動体に対するAF動作において実用性をグンと増したモデルだった。個人的には、マイクロフォーサーズ機がひとつの壁を越えたと感じるに至り、外付けEVF付きの2台をGH2よりも濃密に使うことになっている。「シンプルな動きをしている動体ならAFの追従が可能となり、一定の条件下であれば一眼レフの代わりに使うことも不可能ではない」と判断できるなど、GX1にはマイクロフォーサーズ機の劇的な進化を感じたものだ。
突然の刺客「OM-D」に心奪われ、LUMIXの迷走に心揺らぐ
しかし、そんなGX1の存在感は、1年を経たずして揺らぎ始めることになる。オリンパス(当時)が同じマイクロフォーサーズ規格の「OM-D」をリリース、その第一弾ボディとして「E-M5」(2012年3月)を世に放ったからだ(ただし、マイクロフォーサーズ規格に準拠のオリンパス製ミラーレス機は2009年7月発売のPEN E-P1が初)。OM-Dには、パナソニックの「G」や「GH」よりも“写真”にこだわる骨太な思想があるように感じられた。フィルム時代のOMボディを彷彿とさせるボディデザインも、ベタではあったがデジタル時代には懐かしく新鮮だ。さらに、同一規格であるが故に「交換レンズが基本的には共用できる」ことから、マイクロフォーサーズ間であればメーカー移行に関わる壁はさほど高くない。E-M5の登場をきっかけに、私はマイクロフォーサーズのカメラをまるっとOM-Dに入れ替えてしまったのである(パナソニックの交換レンズはそのまま使用を継続)。
とはいえ、その後もビビビッときた「G5」(2012年9月)やGX7(2013年9月)は手に入れていたし、超小型ボディが特徴のGM1(2013年11月)は結果的にGX7よりも濃密に使うことになっていた。しかし、そのGMシリーズもあえなくディスコンに。あくまでも個人的には、「Ayuはブレない」とかいいながら「G」シリーズの製品コンセプトが「G6」(2013年6月)まで手探り状態のブレまくりに見えたこと(「Ayuはブレない」は、正しくはLUMIXのコンパクトデジタルカメラのCMコピー)、「GH」シリーズが「GH3」(2012年12月)から完全に動画方向を向いてしまい、写真機としてはマイクロフォーサーズの利点を捨てるかのようなサイズ感になってしまったこと、そして何より、マイクロフォーサーズの魅力を凝縮したかのような超小型ナイズバディのGMシリーズを存続させなかったことにこそ、パナソニックのしくじりがあったような気がしてならないのである。販売実績が振るわない中でGMシリーズの存続を図るのは、困難を極める話だったのだろうが…。
LUMIXに残る課題、LUMIXの存在意義
搭載する機能関連では、各社が像面位相差AFの搭載を進めるなか、頑としてコントラストAFオンリーを貫く姿勢に疑問と興味が尽きていない。画素補間を徹底して嫌うのは、動画優先の表れなのか、それとも何か他の理由があるのか? そろそろ謎解きが欲しいところではある。
そのイメージセンサーに関しては、最新技術を投入した新型センサーをリリースできていないことが足を引っ張っているのは間違いない。これはOM勢も同じ悩みを抱えているといっていいだろう。画素数の向上は二の次で構わないので、超高感度時の画質とセンサーサイズを活かした読み出し速度の大幅向上で“できること”を増やしてほしいと切実に思う。数年前、次世代センサーの開発は進んでいるとの噂を聞いていたのだが、それが今後どのような展開を見せるのか。現状、マイクロフォーサーズのすべては、そこにかかっているといっても過言ではないだろう。
フルサイズの「S」シリーズは「Lマウント アライアンス」の構成要員だから、というわけではないが、個人的にはニッチな存在感の似合うフルサイズミラーレス機であると当初から受け止めていた。しかし、パナソニックのカメラである限り、それは許されないバランスなのだろう。採算についてより厳しい目を向けられそうなこの先、レンズ交換式のLUMIXはどうなってゆくのか。キヤノンやソニー、ニコンのフルサイズミラーレス機とは別の道を歩くことのできるカメラとして、その存在意義には絶大なものがある。もはや、なくてはならない存在なのだ。
マイクロフォーサーズとフルサイズの二刀流がこの先も継続されること。それが理想だ。「APS-Cとフルサイズ」より、はるかに棲み分けをハッキリ示すことのできる製品ラインアップは、いうまでもなくパナソニックならではのものなのだから。