先日開かれたWWDC21は、基調講演でハードウェア製品の発表こそありませんでしたが、WWDC本来の目的で充実したカンファレンスでした。最大の収穫は、Appleがここ数年で取り組んできたプラットフォームの進化が確かな形になってきたこと。秋に登場するOSアップデートは、相当インパクトのあるものになりそうです。
すべてのOSに新機能を同時に展開できるプラットフォーム力
個人技(南米)と組織(欧州)、どちらのサッカーが世界を制するかが議論になったのは今は昔。優れたスキルを持った選手を揃え、それらを活かすチーム戦術に落とし込んで“組織で戦う”のが現代サッカーです。今年のWWDCを総括するなら、まさにAppleによる現代サッカーのお披露目でした。
Appleは、ハードウェアとソフトウェア、サービスをみずから手がけて製品を開発する同社ならではのデバイスの体験を強みとしてきました。ライバルのデバイスに対し、三位一体のデバイス体験で上回る個人技で圧倒するチームでした。今年も選手はキレキレです。ところがこのチーム、ここ数年で「個の力」を上げながら、それをチームとして活かす「グループ戦術」を極めるようになりました。それが機能し始めたら、もう手がつけられませんわ。
WWDCの基調講演では、最初の発表だった「iOS 15」でFaceTimeの強化、Focus(集中モード)、Live Text(テキストの認識表示)、マップの新しいナビゲーションと探索といった新機能が披露されました。でも、それら新しい機能やサービスの多くはこの秋にiPhoneだけではなく、iPadやmacOSでも利用できるようになります。
同じApple製品なのだから、すべてに搭載されるのは「当たり前」と思うかもしれませんが、一昔前だったらiOSに新機能が投入されてもiPad版がすぐに用意されなかったり、Mac版はしばらく望めないのが当たり前でした。サードパーティがiOS向けにリリースしたアプリが、同時にAndroid用やWindows用に出てこないのと同じように、別個に開発する手間がかかります。開発リソースは限られるので、とりあえず「iPhoneから」でした。
そこでAppleは、時間をかけてiOSとmacOSでサブシステムの共有を進め、その一方でタブレット向けにiOSからiPadOSを独立させました。そしてiPad向けアプリを簡単にMacに移植できる「Catalyst」を用意し、昨年MacのプロセッサにiPhoneやiPadと同じApple Siliconを採用しました。M1搭載Macでは、iOS/iPadOSアプリを実行することもできます。
そうした長年の取り組みの成果が今年の発表です。iOSとiPad、Macのすべてに新しい機能やサービスが同時に展開されます。でも、iOSではiPhone向けに、macOSではMac向けにというように、以前と同じように各デバイスに最適化されてもいます。
具体的に、新機能の中から「Live Text」を例にすると、同機能は「カメラ」アプリで撮影した写真などイメージから文字や数字を認識してテキスト化します。
すでに、Googleが同じような機能を「Googleレンズ」としてずっと前から提供していますが、Appleは三位一体の体験でユーザーがより便利に活用できるように実装しています。Live Textはシステムワイドに組み込まれていて、「カメラ」アプリだけではなく、「写真」アプリ、スクリーンショット、Quick Look、Safariなどでも機能します。認識されたテキストは、コピーしたり、検索または共有シートを通じて他のアプリで利用できます。つまり、画像からテキストを抽出したいとユーザーが思うであろうあらゆるシーンで利用できます。Appleらしいデバイス体験です。
数年前だったら、Live TextはiPhoneのみに提供される機能になっていたでしょう。でも、サブシステムの共有が進み、「カメラ」アプリのないmacOS Montereyにも実装され、「写真」、メッセージ、SafariなどmacOS全体で機能します。スマートフォンでLive Textのような機能を使ったユーザーは、他のデバイスで写真を扱う時も同じように使えると期待するでしょう。それに応えてくれる……Appleのプラットフォーム力が発揮されています。
Appleデバイスの未来は“オートメーション”
秋のアップデートで個人的に最も楽しみなのが「オートメーション(自動化)」の進化です。
自動化は使いこなせると本当に便利ですが、熱心に利用しているユーザーがいる一方で、まったく触れたことがないユーザーも多い機能です。理由は、ツールを使いこなすのに知識と学習が必要になること。パワーユーザー向けの機能になってしまっており、特にMacでその傾向が強く見られます。
でも、この秋からすべてのAppleデバイスで自動化が身近な存在になり、さまざまなタスクの処理、機能のカスタマイズやパーソナライズの自動化が注目を浴びると思います。
まず、macOS MontereyでmacOS版の「Shortcuts」(ショートカット)が登場します。Macは長いオートメーションの歴史を持ちますが、Appleスクリプトや「Automator」は使いこなすハードルが高く、Alfred、Hazel、BetterTouchToolといった簡単に利用できるサードパーティのアクション自動化ツールが現れた結果、Macの自動化のソリューションが分裂し、統一した仕組みを求める声が上がっていました。一方で、iOSでは「Workflow」という自動化アプリをAppleが買収し、ショートカットとしてリリース。その使いやすさからMac版が求められていました。
つまり、macOS版のショートカットの登場は、Appleが自動化のソリューションをショートカットに統一し、ショートカットでこれからオートメーションを充実させていくというメッセージだといえます。
ただ、Macのこれまでの自動化を今すぐに切り捨てるわけにはいかず、従来の自動化をサポートしながら時間をかけてショートカットへの移行を進めていきます。Appleが思い描く“自動化の未来”が本当に形になるには時間がかかりそうですが、その断片はこの秋にも体験できます。「Focus」(集中モード)です。
Focusは「Do not Disturb」(おやすみモード)の強化版のようなイメージを持たれていますが、通知などをフィルターして邪魔されない環境を作るだけではなく、さまざまなカスタマイズに利用できます。
例えば、仕事中はiPhoneのホーム画面に仕事に関係するアプリだけを並べて、重要なものを除いてパーソナルな連絡は通知は表示されないようにしたい、と思ったことはありませんか? Focusでは、iOS/iPadOSで表示するホーム画面ページを指定できるので、それが可能です。
ほかにも、ワイヤレスコントローラを接続したら自動的にゲームの設定になるというようなアクションが可能であるなど、カスタマイズ性に優れています。「週末」「読書中」「エクササイズ時」「子供に使わせる時」など、開発者向けベータに触れた人たちの間ですでにさまざまなカスタマイズが考えられ始めていて、環境をカスタマイズして簡単に切り替えられるツールとして関心を集めています。
ちなみにFocusも、iOS、iPadOS、macOSなどすべてのOSに提供される機能の1つです。だから、1つのデバイスで仕事のFocusに切り替えると、同じアカウントで使用する他のデバイスにも自動的に適用されます。スマートフォン、タブレット、PC、使用しているすべてのデバイスで一つずつ“邪魔されない”モードに切り替えなくても、ボタン一つですべてのデバイスがFocusモードに変わります。
ショートカットが評価されている理由の1つが、ユーザーが「あったらいいな」と思う自動化を提案してくれる点にあります。例えば、ある会社の株価をよくチェックしていたら、投資アプリでその会社の情報に直接アクセスするショートカットを提案してくれるので、自分でオートメーションをゼロから作らなくても、提案を使うだけでも簡単に自動化を活用できます。Focusでも、ユーザーがゼロからすべてをカスタマイズしなくても、ユーザーの行動パターンやデバイスの使用パターン、状況などに基づいて提案を行ってくれます。
そうした提案の精度を支えているのが、Apple製SoCが備えるニューラルエンジンによる機械学習処理。デバイス内でAI(人工知能)処理を実現するオンデバイス・インテリジェンスです。秋のアップデートでは、他にもさまざまな新機能でオンデバイス・インテリジェンスが用いられています。Live Textもその1つですし、通知に追加される「通知要約」も機械学習でユーザーの使用パターンを学習し、重要な通知のみをすぐに配信し、緊急性のない通知は朝や夜などにまとめて配信します。
ショートカットやFocusはユーザーの目に見える自動化の機能ですが、オンデバイス・インテリジェンスの成長とともにユーザーの目に見えない部分でも自動化が進み、煩わしかった作業からユーザーを解放し、デバイスをより便利なツールに変えてくれます。
「気づかない」をなくすデザインで操作性向上
ユーザーインターフェイス(UI)デザインという点で、目立たないけど、ユーザーにとってインパクトのある変更がありました。アフォーダンス(affordance)により配慮したデザインです。
iPhone Xから、iPhoneに「3D Touch」という画面を強く押してメニューや特定のアクションを呼び出せる機能が搭載されました。便利な機能でしたが、それまでスマートフォンの画面を強く押すことがなかったユーザーに気づかれないまま、あまり使われずに短命に終わりました。機能が便利であっても、存在に気づかれなかったら機能が価値を発揮できません。
同様の問題が、iPadOSのマルチタスク機能にも存在しています。Split ViewやSlide Overなどのジェスチャー操作は、よく言えばそれまでのデザインを崩さないキレイな実装になっていますが、操作の存在が隠れてしまっていて気づきにくく、マルチタスクをユーザーが想像しづらいものになっています。
そこでiPadOS 15では、従来のジェスチャーによる方法に加えて、マルチタスクメニューからアイコンをタップしてSplit ViewやSlide Over、フルスクリーン表示を切り替えられるようにしました。
操作のモダンさならジェスチャーに軍配が上がります。しかし、マルチタスクメニューは視覚的にSplit ViewやSlide Over、フルスクリーンといった表示があることをユーザーに伝え、マルチタスクに関する情報を提供します。気づきと理解を追加します。
誰にとっても使いやすい、アクセシビリティから新たな革新へ
Appleはユーザーのプライバシーを重視し、製品にプライバシー保護を組み込んでいます。同社はまた、アクセシビリティについてもオプションではなく、多様な人を含めること(インクルージョン)を製品構築の基盤としています。パソコンをマウスで操作できるようにしたMac、携帯をマルチタッチジェスチャー操作できるようにしたiPhoneは、より多くの人が使えるようにするという同社の哲学の賜物でした。
WWDC開幕前の5月20日、Global Accessibility Awareness Dayに、Apple StoreやAppleサポートでオンデマンドの手話通訳機能を使って対応する「SignTimeサービス」や、Apple Watch向けの「AssistiveTouch」などを発表しました。WWDCでも、Live Text、AirPodsのConversation Boost、FaceTimeなどでの空間オーディオの活用、Siriのオフライン対応など、数多くのアクセシビリティに関わる機能・サービスを発表しています。
障害を持つ人や高齢者にとって使いやすいものは、一般の人にも使いやすいという考え方があります。例えば、Live Textは視力に障害の持つ人が写真や「カメラ」を活用するのを支援し、同時に健常なユーザーにも翻訳や検索などの有用性を引き上げてくれます。
「Discover built-in sound classification in SoundAnalysis」という機械学習のオーディオ認識モデルに関するセッションで、とても面白いデモが行われました。最初のデモでは、話し声、音楽、楽器(種類別に)、お茶を注ぐ音、カップをかき混ぜる音、指を弾く音など、周囲のさまざまなサウンドをMacがダイナミックに認識してみせました。続いて、フォルダの中に入っている何十本ものビデオの中から、カウベルを鳴らす音が入ったビデオを探すデモ。サウンドクラシファイアとショートカットを使って、瞬く間に見つけ出してみせました。こうした技術がアクセシビリティに役立つ機能になるのは容易に想像できます。また、こうした技術の積み重ねが新たな製品市場の開拓(例えばARグラス?)や革新的なデバイスにつながっていきます。
開発者カンファレンスとして充実していたWWDC21、しかし暗雲も
WWDC期間中に、Swift By Sundellのジョン・サンデル氏がSharePlayのAPIで作ったサンプルアプリが話題になりました。
SharePlayは、FaceTimeで友人とつながりながら「音楽を聴く」「映像を見る」「画面を見る」といった体験を共有できる機能です。普段AppleのデバイスでApple MusicやApple TV+のコンテンツを楽しむ体験を、離れている友達と共有できます。
サンデル氏はSharePlayのAPIを使って、友達と一緒にWebサイト「WWDC By Sundell & Friends」を読むサンプルアプリを作りました。起動したら記事のリストが表示され、SharePlayが始まった後、記事を選ぶとFaceTimeでつながっている他の利用者のデバイスでも同じように記事が開きます。
「(SharePlayの)一般的な使用例は、映画や音楽などのメディアを友人と一緒に楽しむことですが、AppleのSharePlay APIはそれにとどまらず、開発者が完全にカスタム化したアプリ内での共有体験を提供できるようにします。……これは非常にシンプルなデモですが、SharePlay上でいかに簡単にカスタム体験を作成できるかを示しています」(サンデル氏)
友達と通話しながら、トラベルサイトやショッピングアプリを巡って旅行や買い物の相談した経験がある人はたくさんいると思います。SharePlayがそれをとても便利にしてくれるかもしれません。ウチの子供は、毎日のようにFaceTimeで通話しながら友達とゲーム「Roblox」をしているので、RobloxがSharePlayに対応してくれたら大喜びでしょう。
WWDC21は、基調講演で期待されていたハードウェア製品の発表がなく、「物足りなかった」という反応が少なからず見られました。しかし、「Apple製品のエコシステムに良循環を起こす」というWWDC本来の目的という点で、今年は充実したWWDCだったと思います。秋のアップデートは、良い意味で“Apple沼”にさらにハマりこんでしまいそうで今から楽しみです。
ただ、それゆえにAppleのプラットフォーム力を警戒する動きも広がっています。
Appleのアプリ配信の手法が反競争的だとしてEpic Gamesが起こした裁判で、5月にカリフォルニア州の連邦地裁において両社CEOも出廷した約3週間の口頭弁論が終わりました。2020年夏に訴訟が起こされた時点ではApple有利で進むと予想されていましたが、IT大手の寡占の可能性に対する視線は予想以上に厳しく、Appleが守勢に立たされる展開に。Appleの完全勝利は難しいと見たアナリストが目標株価を引き下げるなど、判決の影響を警戒する動きも出てきています。これはEpicが勝利するということではなく、たとえApple有利の判断になっても、訴訟においてアプリストア市場における同社の独占が浮き彫りになった影響は大きく、欧米を中心に規制当局が警戒を強める可能性が懸念されています。
今回のWWDCでは、Appleのプラットフォームが大きなマイルストーンに近づいた印象を強く受けましたが、見方を変えると、OSにAppleが提供するアプリやサービスが密に統合され、その境があいまいになり、かつ範囲が年々拡大しています。Appleのエコシステムの住みづらさを訴える開発者も現れています。プラットフォーマーに公正さを求める昨今の動きが大きな逆風になろうとしており、Appleのプラットフォーム戦略が引き続き理解を得られるか、状況は予断を許しません。