スマートフォンでの視聴に向いた動画レシピサイトが人気を集めています。ポイントとなる部分をカット編集でギュッと凝縮したり、早回しを多用するなどして、一連の手順が1分程度の短時間で追えるのが特徴。しかし、動画は片時も目を離せず息をつく間がないため、せわしないと感じる人も多いのではないでしょうか。
そのような“時短”を突き詰めたレシピ動画が主流になるなか、異色のレシピアプリとして話題になっているのが、料理研究家の土井善晴氏が監修するiPhone用アプリ「土井善晴の和食」。毎回、旬の食材を用いた料理を動画で解説するアプリですが、目を引くのが時短を目的とした極端な編集をほとんどしていないこと。雑談を交えながら料理のポイントを語る土井先生の様子を同じ目線のカメラで捉えており、あたかも料理教室に通っているような感覚でゆるく楽しめるのが心地よさを感じます。
しかも驚いたのが、動画の撮影はすべてiPhoneを使っていること。どのように撮影が進められているのか、舞台裏を取材しました。
動画レシピサイトにはない人間味あふれる仕上がり
「土井善晴の和食アプリ」は、土井先生による解説動画でさまざまな和食の作り方を楽しめるレシピアプリ。月額360円ですべての機能を利用できますが、無料でも最新の動画やレシピは閲覧できます。
動画の長さは十数分と、動画レシピサイトと比べると異例の長さに仕上げられています。動画は、基本的にカットを最小限にとどめており、早回しは一切見られません。まさに、料理教室で実際に先生を目の前にしているような感覚で見られるわけです。
最大の魅力といえるのが、調理のポイントや食材にまつわる豆知識、料理や食材にまつわるエピソードなど、土井先生のテンポのよいおしゃべりが最初から最後まで途切れないこと。撮影中にスタッフから寄せられた質問に笑顔で答える場面もあり、基本的に真俯瞰からの撮影でBGMしか流れない動画レシピサイトとは対照的に、きわめて人間味あふれる動画に仕上がっています。
土井先生の魅力を引き出したいからiPhoneで撮る
土井先生のキッチンを訪れると、撮影には実に4台ものiPhoneが使われていました。
メインとなるのが、土井先生と同じ目線の高さで三脚に据えられたiPhone XS。斜め前方から料理をする様子を撮影し続けます。iPhoneの背後にはアプリ制作の担当者が立っており、土井先生が話をしながら目線を寄せることで、あたかもユーザーがその場にいるような感覚になるよう工夫しています。その隣には、正面から土井先生の手元を狙うiPhone 7も配置。このiPhoneが調理をする土井先生にもっとも近い場所にあることから、Lightning接続のマイクを接続して音声収録を担っていました。
長いアームの先端には、料理をするフライパンや鍋を真俯瞰から撮影するiPhone 7を設置。かなり高い位置にすることで、鍋などから発生する水蒸気によるくもりを防ぐようにしていました。料理をする土井先生の脇で脚立の上に立った担当者は、iPhone 7で料理をする土井先生の手元を撮影。このiPhoneは、4台のなかで唯一固定されておらず、わずかに揺れる動画がライブ感を演出するのに奏功していました。
アプリを制作しているYappliの担当者によると、撮影にiPhoneを使っているのは、何より自然体の土井先生の様子をユーザーに届けたいからだといいます。大型レンズを搭載するビデオカメラなどの機材を使うと、やはりカメラを意識しがちになり、表情やトークで土井先生のよさが発揮できなくなるそう。iPhoneならば三脚に据えていても存在感は控えめなので、撮られているという意識を与えずに済むわけです。
雑誌にもテレビにもない魅力がアプリにはある
土井先生は、2009年に和食のレシピをまとめた「土井善晴のわが家で和食」(デアゴスティーニ・ジャパン)という週刊の分冊百科を計101号も刊行した実績があります。合計で5,000を超えるレシピを掲載しており、それを何とか生かせないか…と思っていたところに、アプリ化の提案がやってきたといいます。
土井先生自身、既存のメディアにはない魅力をアプリに感じ、快諾したそうです。「雑誌は文字数に限界があり、どの料理も同じパターンのレイアウトにはめ込まなければならない苦しみがある。テレビも時間的な制約があるし、何より視聴率を考えると真面目なものよりは不真面目なものに仕立てがちになる。アプリなら、これらの既存メディアには載せづらくなったものが自由にできると感じた」といいます。
「レシピは設計図ではなく、あくまでも台本。料理をする人それぞれの気分や環境の違いで、できあがるものは常に異なる。料理とは、いわば即興の物語なのです」と語る土井先生。今後もどのような物語が生み出されていくのか、このアプリで肩肘張らずに楽しみにしていきたいと思います。